第二章 泣き虫の神さま 〈9〉
出かける準備をととのえて境内へ立った渚にカナエが云った。
「とりあえず、でかける前に境内をおそうじしよっか?」
(おそうじ?)
「一宿の恩義ってやつ?」
(そっか。そうだね)
渚はすなおにうなづいた。
「境内の落ち葉を掃くだけでよいから」
渚は一晩泊めてもらった拝殿に一礼すると外へでた。
神社の裏手に小さな物置があった。カナエがカギを開ける。
渚は物置から竹ぼうきと大きな鉄製のちりとりを手にした。カナエも竹ぼうきを手にとると、ふた手にわかれて境内を掃き清めた。
ふたりは掃き集めた落ち葉を境内左手前にある焼却炉へ捨てた。
カナエが渚の防災袋に入っていた防水マッチで焼却炉に火をつけた。
「やー、キレイになったねえ」
笑顔のカナエにうなづきかえしながら、渚は竹ぼうきとちりとりを物置へかたづけた。カナエが遠くから手もふれずにカギをかける。
物置からもどってきた渚は、今さらながら境内右手前わきの小さな平屋に気がついた。ふだんから人の気配がないため、たんなる廃屋と気にもとめずにいたものだ。
(ねえ、カナエ。この家ってなに?)
「さあ、なんだろ?」
渚の言葉にカナエも首をかしげた。
(知らないの?)
「ほら、私って生き物についてる神さまじゃない? 私が生まれてからここへ入った人がいなかったから完全にスルーしてた」
(スルーって……)
「ね、ちょっと見てみよっか?」
カナエが緋ばかまをはためかせながらパタパタと小走りで平屋のとびらへ手をかけた。カチリと小さな音がしてカギが開く。渚もゆっくりカナエのあとにつづく。
「おっじゃましまーす」
カナエはふわりと宙にういて、平屋の奥へ音もなく移動した。渚が玄関でクツをぬいでいると、奥の部屋からカナエが云った。
「ここ社務所だ。お祭りの時とか、神社の人がお泊まりするとこだよ」
(そうだったんだ)
渚が部屋に入ると小さな台所と和室があった。
「なんだ、夕べこっちへ泊まればよかったね。おふとんもあるし。いやー、気づかなかったなあ。灯台下暗しってやつ?」
カナエは奥の廊下に姿を消していて、渚からは見えなかった。カナエが開けたと思しき押入れから数人分のふとんがのぞく。
(ちゃんと開けたら閉めろよ)
たしかにここならもっと落ちついて眠れたかもと思いながら、渚は押入れのふすまを閉めた。とは云え、拝殿でさほど不都合があったわけではない。
「ちょっとちょっと渚。ここトイレあった」
奥の廊下からカナエが顔をだすと、手招きして云った。
(えーっ!? ……そりゃないよ、カナエ)
廊下のつきあたりに『便所』と書かれたとびらがあった。
渚は昨夜の決死のミッションを思いかえしてがっくりと肩を落とした。目と鼻の先にトイレがあったのに、わざわざ野グソしてたなんておマヌケきわまりない。
「ほら、私トイレとか行かないし、ご不浄NGだし。ちょっち気づかなかったよねー。失敬失敬」
(……ま、もういいけどさ)
カナエって神さまとか云うくせにどこかぬけてるんだよな、と渚は思う。
「おもてでバケツに水くんでくれば、昨日のうんち、トイレに流せるよ」
(あ、それは助かる)
さすがにあれをどこか捨てられるところまでもって歩くのはイヤだと思っていたのだ。
昨夜のブツが入っている白いポリエチレン袋を回収してきた渚は、社務所の玄関に転がっていたそうじ用のバケツで神社正面の左右に置かれた貯水甕から水をくみ、ポリエチレン袋の中身だけをトイレに流した。
もっとも、巨大な鉄製の貯水甕は渚の背より高かったので、水をくんだのは宙にうくことのできるカナエだったが。
白いポリエチレン袋をまだ燃えている焼却炉へ捨てると、
「よし、それじゃ出発しよっ!」
カナエが元気に宣言した。