第二章 泣き虫の神さま 〈3〉
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ややあって、カナエがしずかになった。
(泣きつかれて、眠っちゃったのかな?)
泣きやんでくれたのはありがたかったが、このまま眠られても困る。
(このまま寝ちゃうとカゼひきそうだし。そもそも神さまって、カゼひいたり眠ったりするのかな?)
そんなことを考えていたら、カナエがゆっくり身を起こした。渚へ背をむけると、少し乱れた巫女装束のえりをととのえながら云った。
「ふー。私、人前で泣いたのはじめてだよ。……こんなイイ女泣かせるなんて、渚は罪つくりな男だね」
(生まれて3日とか云いながら、こんなナマイキなセリフ、どこでおぼえたんだろう?)
意味はよくわからないけれど、ようするに、照れかくしの冗談なのだろうと渚は思う。
また、人前で泣いたのははじめてと云うが、人前へ姿を見せたこと自体はじめてである。本当ははじめてでないことをあげる方がむずかしい。
カナエにとり乱されたおかげで、かえって落ちつくことのできた渚だったが、彼はまだ一番心配なことを聞いていなかった。
クラスのみんなに起きたできごとを知ってしまったあとで、それをカナエに聞くことは覚悟がいった。渚は大きく息をつくと、カナエにたずねた。
(なあ、カナエは今もこの町の人みんなのそばにいるんだよね?)
「うん。そうだけど」
(あのさ、あの……ぼくの、ぼくの母ちゃんは、無事?)
渚の質問をうけて、カナエの表情がわずかに強ばった。
「……わからない」
(え? わからない?)
渚が思わず聞きかえすと、カナエの瞳におびえの色がのぞいた。また責められると思ったのだろう。渚はあわてて首をふった。
(いや、あの、どう云うことかな? って)
「……私の管轄はこの町って云ったでしょ? もっと力が強くなれば、町の人たちとのきずなが強くなれば、この町で暮らす人と一緒に、よその町まで行くこともできるようになるんだけど、今の私の力じゃ、この町の外へ出てしまった人について行くことはできない」
(母ちゃんはこの町にいないの?)
カナエはうなづいた。
「あ、でも最初に云っておくけど、私が渚のお母さんとはぐれた時、渚のお母さんは無事だった。……落ちついて聞いて」
(無事だった!? あ、うん。大丈夫だから、つづけて)
本当はちっとも大丈夫ではなかったが、渚はカナエに心配をかけないためにも、心の中で落ちつくよう自分に云い聞かせた。
「渚のお母さんは家へもどると、貴重品をバッグに入れて戸じまりをした。一階のガラス戸が外れたり割れたりしてたから、雨戸をぜんぶ閉めて家を出たところで、津波にさらわれた」
(……!)
「渚のお母さんは気を失いかけたけど、私のサポートがつうじてなんとか波の上に顔を出すことができた。私は流れていた大きな木片をひきよせて、渚のお母さんをしがみつかせた」
その言葉に渚がホッとした表情を見せた。
「本当は、ビルとか高いところへ漂着させてあげたかったんだけど、津波の勢いが激しすぎて沈まないようにするのがやっとだった。あれよあれよと云う間に、渚のお母さんは私の手をはなれて、弁天町の方へ流されてしまった。……ごめん、渚」
消え入りそうな声でカナエがうつむいた。ののしられることを覚悟したカナエの心にとどいたのは意外な言葉だった。
(……なに云ってんだよ。ありがとう、カナエ。母ちゃんを守ってくれて)
お礼だった。渚のお母さんがカナエの目の前で生きていたことだけでも、渚にとっては朗報だった。まったく望みが絶たれたわけでない。
(父ちゃんが避難してるのは、となりのえびす町だから、カナエには父ちゃんのようすもわからないか……)
渚がひとりごちる。
父・清志の安否も気にはなったが、おそらくは無事であろうと確信に近いものを感じていた。玄関わきの物入れに防災袋を常備しておくほど、日ごろから防災意識の高かった清志である。軽はずみな行動はとらないであろう。
(あと、カナエ)
渚の次の言葉が予測できず、カナエはまた少し緊張した。
(もう、ごめんとかあやまらなくていいから。……カナエはぜったいあやまらなくていい。カナエはなんにも悪くない。カナエはすごくがんばってる。もしも、カナエの悪口とか云うヤツがいたら、ぼくがかばってやる)
実際問題、だれにも姿の見えないカナエの悪口を云う人などいるはずもないが、渚はカナエの味方だとつたえておきたかったのだ。
「ふやぁ……」
カナエはおかしな声を上げると、
「ふえーん!」
ふたたび大声で泣きだした。
(え? ちょ、ちょっと、どうしたの?)
うろたえる渚に、カナエがしゃくりあげながら答えた。
「……な、渚が、か、神さまの、わた、私を、か、かばうとか云ったあー」
渚の口をついてでた「かばう」と云う言葉が、神さまのプライドを傷つけたのだろうか?
(え、あ、ごめん。なんかマズかった?)
「ちがうのー、うれじかったのぉー」
豪快なうれし泣きだった。カナエを傷つけたわけではないことがわかって、渚は少し安心した。
しかし、なかなか泣きやむ気配がない。
困った渚はカナエの頭を自分の胸へしずかに押しつけると頭に手をそえた。
一応、神さまとは云え、同い年くらいの姿の女の子へふれる気恥ずかしさもあったが、さっきはそれで落ちついたからだ。
(どうどうどうどう)
泣いている女の子をなだめると云うより、コーフンした動物をおとなしくさせる感覚である。ただ、その甲斐があってカナエはようやく落ちついた。