カワイイ俺のカワイイ襲来①
多分、俺は自分でも気付かないウチに、『恋人』という言葉に酔っていたのだろう。
恋人だから、だれよりも彼女を知っている。だれよりも彼女を、理解している。
そんな傲慢めいた勘違いが、全ての間違いで。
だというのに、この、喉奥にべっとりと張り付いている裏切られたような心地が、不快でたまらない。
「ユウちゃん、カイさんに理由聞けた?」
お馴染みの半個室席で、俺の対面に腰掛ける俊哉が不安気に尋ねてくる。
なんの、なんて聞かずとも。
俺は努めて静かに、手にしていたアイスティーのグラスを置いた。
「……受けるか受けないかはともかく、直接話を聞いてあげないとって思ったらしい」
「カイさんって真面目で誠実って感じですもんねー」
丁度のタイミングでカーテンを開けたのは、勤務中の時成だ。「はい、オムライスプレートとカレープレートですー」と順に机上に置き、俺へと視線を移してから、「で、どうなったんですかー?」と先を促す。
持ち上げたスプーンが重い。
あの後、店外でトシキさんと落ち合ったカイさんは、直接話を聞き、きちんと検討した上で断ったと言う。
が、トシキさんは諦めきれなかったらしい。今度は正式な手順を踏んで、カイさんの"客"として現れた。曰く、『心変わりするかもしれないから』と。
「え、大丈夫でした?」
まさか三十分間ずっと口説かれていたのでは。
報告を受けた電話口で尋ねると、カイさんが笑った気配がした。
『うん、大丈夫。その話は最初だけで、後は普通に街中を散歩したよ。……面白い人だね、トシキさんって」
ドキリ、と冷えた心臓。
いや、カイさんはただ事実を述べただけだ、と妙に跳ねる鼓動を宥め、「ですよね。ウチの店でもすごく気さくで、優しいです」と相づちを打った。
(……なんか最近、調子が悪いな)
どうにもことカイさんの言動に、神経質過ぎる。束縛は俺だって好きではない。もっとおおらかな気持ちでいないと。
自分の動揺部分はすっぱり切って、カイさんと交わした会話をかいつまんで説明すると、時成と俊哉は複雑そうな顔をした。時成なんて、「……てゆーかトシキさんのソレって、本当にカットモデルの為なんですよねー?」と懐疑的だ。
そんな事、俺に聞くな。なんならその答えは俺が欲しい。
頭を抱えたい衝動をグッと堪え、「そう言ってるんだから、そうじゃないか」とオムライスをすくい、時成を席から追い出した。
時成がココにいると、フロアにはコウだけになる。早く返してやらないと。
再び二人に戻った空間で、カレーを咀嚼した俊哉が「……でもさ」と切り出した。
「俺も美容師さんの事情はわからないから、やっぱり心配になっちゃうよ。カイさんを疑うつもりはないけど……好きな相手が他の男の人とデートしてるのって、ちょっと嫌じゃない?」
「……"デート"じゃなくて"エスコート"だし、自主的なお出かけじゃなくて仕事な。それに、今回たまたま知ったってだけで、今までだって男性の"客"がいたかもしれないだろ」
「それはそうだけど……」
「俺だって女性のお客様がいるし、お互い様ってヤツ。いちいち"嫌"だなんて言ってたら、身が持たないって」
俺達は互いの仕事を"理解"して上で付き合っている。
そうだ。だから俺は不安にはならないし、互いに"遠慮"する必要もない。
ただ、今回のトシキさんの件は"ユウ"が繋いでしまったようなモノだから、その"責任感"から気にかけているだけだ。
それが答え。俺はいつもより味のしないオムライスを咀嚼しながら、何でもない顔で「大丈夫だって」と嘆息する。
「カイさんが嫌がってるようなら、ちゃんと守るよ」
「……それは、そうだろうけど」
眉間に不満を刻んだ俊哉が、まだ何かを言いかけた刹那。
「先輩! ユウちゃん先輩ーっ!」
慌てた声がシャッ! と勢い良くカーテンを開け、俺達は盛大に肩を跳ね上げた。
ビックリした。てか何事だ。
「あ、あいら。そんな乱暴に……」
「大変ですー! 先輩!」
珍しく肩で息をする時成が、涙目で「助けてくださいーっ!」と俺の左腕を掴んで揺さぶる。
「ちょっ、なんだどうした」
「いまっ……なんか女の子が、殴り込みに……っ!」
「はあ?」
殴り込み? ここは単なるオトコの娘カフェだぞ?
拍子抜けした俺を咎めるように、時成は俺を席から立たせようと、必死に腕を引っ張る。
「いいから来てくださいーっ! このままじゃコウがー!」
「っ、コウ?」
何だかよくわからないが、コウのピンチだと言うのなら、急いで行かないと。
即座に立ち上がった俺は廊下へ飛び出し、駆け足でフロアに向かった。
と、明らかに常時とは異なった、興奮したような声が耳に届いてくる。
女の子の声だ。フロアへ飛び込むと、出入り口付近に焦りを浮かべたコウの後ろ姿が見えた。その対面には小柄な女の子。黒髪のボブで、ちょっと気の強い小動物のような目を更につり上げている。
歳は俺より少し下……コウと同じくらいだろうか。
彼女は俺達に目もくれず、フリルたっぷりのミニスカートから伸びる脚を踏ん張り、コウの腕を強引に掴んだ。
「ほらっ! 帰るわよこーちゃん!」」
「ちょ、ちょっと待ってよ……!」
「待たないわよ! どーせ、ここで働いてるのも内緒にしてるんでしょ!」
「そ、れは……っ」
「……悪いけど、いったんストップ」
引っ張られるコウの腕を掴んで割入ると、コウは驚いたような顔をした。が、刹那、複雑そうに顔を崩す。
なんだろう。ほっとしたような、でもバツの悪そうな。色んな感情が織り交ぜられているようだが、今、その一つ一つを紐解く暇はない。
コウの腕を支える俺の手を引き剥がそうとしながら「ちょっと、邪魔しないでくれる」と凄む彼女の、針のような敵意が全身に突き刺さってくる。
「ち――」
慌てたように言いかけたコウを、俺は視線で制止した。
大丈夫。こんな"トラブル"対応は、朝飯前だ。
俺は目の前の"子鹿"ちゃんへと視線を映し、にっこりと綺麗に笑んでみせる。
「この店で彼の教育担当を担っている"ユウ"といいます。"コウ"に何か御用ですか」
「……あんたには関係ないでしょ」
「お言葉ですが、彼はきちんと雇用契約を結んだウチの従業員で、現在は勤務中の身です。勝手に職場を放棄をされては困りますし、僕には"お客様"が強引に連れ出そうとしているように見受けられます。責任者として、"トラブル"を見過ごすワケにはいきません。コウが何かご迷惑をおかけしたのなら、店としてきちんと対応をさせて頂きますが――」
「……なんなのよ」
射抜く双眸。声を揺らす、制御から溢れた憤怒。
彼女はやっとのことで退いた手を、自身の腿横で握りしめた。
「っ、アンタなんて、こーちゃんのことっ、なんも知らないくせに……っ! こーちゃんを守れるのは、私だけなんだから!」
「ちーちゃんっ!」
なるほど。『こーちゃん』『ちーちゃん』と呼び合う間柄ね……。
どうやら事態は思っているより複雑そうだ。悟った俺は膝を屈め、彼女をしっかりと見据えながら「……それならば」と切り出した。
ふんわりと瞳を和らげる、色を浮かべた"ユウ"の笑み。彼女の戸惑いを察知しつつも、全力で"口説き"の体制に入る。
「ひとまずは僕と、お茶でもどうですか?」




