カワイイ俺のカワイイ調査⑦
「……ユウちゃん」
「あっ」
ポソリと名前を呼ばれ、苦笑を浮かべるカイさんの差し出す右手に気がついた。
すっかり吉野さんに思考をとられていた。
慌てて「スミマセン」と謝罪し鞄を渡す。座ろうとして、止まる。
「あの、これ……」
このまま座っては、皺になってしまう。店内では風の心配もないし、外すタイミングは今だろう。
腰の結び目を指し示した俺に、カイさんは「ああ……」と零し、次いでニコリと笑みを向け、
「まだ、駄目。そのまま座っていいから」
「え? でも、汚しちゃうかもですし……」
「その時は、そーゆー運命だったってコトだね。ほら、いつまでも立ってると目立つよ」
引いた椅子に腰掛けて、優雅に足を組むカイさんは微笑みながらも迫力がある。
明らかな不機嫌。きっとこれ以上押し問答を続けた所で無駄だろう。出来るだけ皺をつくらないようにと手で生地を広げ、そっと腰掛けた。
怒って、いるのだろうか。
尋ねてみようかと口を開くも、グラスとお手拭きを二つずつ乗せたお盆を手に向かってくる吉野さんの姿が見え、閉じた。
「はい、どうぞ」
順に置かれたグラスが、木製の机をコツ、コツ、と鳴らす。
まずはコッチが先か。俺は疑問の矛先を変え、吉野さんを見上げた。
「あの、吉野さん。何かあったんですか? 僕に来て欲しいって言ってくださってたって、カイさんに聞きました」
俺に何の用だ。
それを出来る限り丁寧に尋ねると、吉野さんは「そうそう、それねー」とニンマリ笑んで、
「ユウちゃんにちょーっとお願いがあって」
「お願い、ですか?」
吉野さんは内緒話だというように、口横に手を立てて声をひそめながら、
「もし良かったらなんだけど、今日のオーダーは無しにしてウチの新作食べてみてくれない? 勿論、料金はいらないから」
軽く飛ばされたウインク。面食らった俺の対面で、カイさんがピクリと肩を揺らしたのが目端に映った。
チラリと窺えば、その顔面には確かな不愉快。
今日は随分と表情が豊かだ。その変貌ぶりに口元を隠しながら小さく吹き出して、「是非。お願いします」と頷いた。
やった! と目を輝かせる吉野さん。が、
「いいの? ユウちゃん。来たいって言ってたくらいだし、食べたいのあったんじゃない?」
気を使っている、と思ったのだろうか。
すかさず言葉を発したカイさんは先程の顰めっ面のまま、目には心配を映して俺を見つめる。
選んだ理由が、ここならカイさんの気が緩むから、だなんて言える筈もない。
俺は「いえ」と肩を竦めて、笑顔で返す。
「特別そういうワケじゃなくて、このお店の雰囲気が気に入っちゃて。それに、どれも美味しいですし、新作すごく気になります」
「やっだユウちゃん嬉しいコト言ってくれるじゃないー! よし! 飲み物もサービスしちゃう!」
「え、いや、流石にそこまでは……」
「こーゆー時は『ラッキー』ってノッておくものよ! ハイ、ご注文は?」
意気揚々とオーダー用紙を取り出し構える吉野さんに、どうしたものかとカイさんへ視線を流す。と、「諦めて」というようにユルリと首を振られた。
「こうなったら聞かないから。オレはコーヒーのホットで、ユウちゃんは?」
「……カイさんがそういうなら、お言葉に甘えて。紅茶のホットでお願いします」
「あんたらいっつもホットねー。暑くないの?」
「個人の好きずきだろ。ほら、時間もないんだから、もう行って」
「あ、そっか。ほんじゃ少々お待ち下さいね!」
鼻歌でも歌いだしそうな軽やかな足取りで、吉野さんは厨房へと続くカーテンをくぐって行く。その後姿を見送って、実質タダとなった飲食代に、本当ラッキーだなと冷水をひとくち飲んだ。
鼻を抜ける爽やかなレモンの香り。強風に煽られ疲弊した身体に、すっと馴染んでいく。
「新作かー……なんでしょうね? ワッフルやパフェはもうあるし、それに続くカフェメニューかぁ。やっぱ、デザート系ですかね?」
話を振るも、カイさんは「さぁ……どうだろね」と反応がイマイチ悪い。
どうやら未だご機嫌ナナメのようだ。これじゃ、訊き出す以前の話だなとグラスを置いた。




