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カワイイ俺のカワイイ初対面

 水色のポロシャツとジーンズを脱ぎ捨て、代わりに手提げから取り出した柔らかな衣服を順に身につける。

 靴下はくるぶしまでを覆う綿ではなく、指先から踵までを覆う浅いレースのモノに。殆ど汚れのないスニーカーも、細いベルトが付いたパンプスへと交換した。

 顔よりも一回り大きな鏡を覗き込みながら、あくまで"ナチュラルに見える化粧"をしっかりと施す。

 肩まで伸びた髪を適当に束ねていたヘアゴムを取り去り、結びグセにミストスプレーをふりかけてから櫛を通して、馴染ませる。

 最後に鏡を持ち上げ色んな角度から確認し、納得出来れば完了だ。


(うん、完璧)


 斜めがけのボディバッグから、フリルがついたベージュの鞄に必要最低限のモノを移す。残りは鞄ごと、元々着用していた衣類も纏めて手提げに詰め込んだ。

 耳を澄まし、外の物音を探る。大丈夫。鍵を外して、そっと様子を伺った。無人だ。

 いける。そう判断を下した俺は荷物を掴み、一気に個室から飛び出した。

 そこまでは完璧だった。誤算だったのは、入り口付近で男子学生とすれ違ってしまった事だ。その男はぎょっとしたように立ち止まると、数歩戻って表示を再確認している。


 スミマセン、お兄さん。

 そこは間違いなく、男子トイレです。


 俺は胸中で頭を下げながら、足早にその場を去った。

 講義終わりに大学構内の男子トイレで着替えるのが日課だが、こういう『うっかり』の日もあるのだ。


 慣れた電車に揺られ辿り着いた平日の秋葉原は、流石に人も疎らで非常に歩きやすい。

 時折感じる視線は慣れたもの。意識外に受け流しつついつもの道を行き、辿り着いた階段上の扉を開ける。


「おはようございまーす」

「わーいユウちゃん先輩だー」

「っ、あいら、重いから」


 既にホールに立ってる時成が、俺の出勤時を狙って抱きついてくるのはよくある事で、それを捉えた店内が沸き立つのも同じだ。

 時成はひとしきりギュウギュウと身体を寄せると、腕を解いて俺の肩口から顔を引いた。半歩下がり、上から下、下から上へと探るような視線を往復させてから、


「なんかちょっと、いつもと違いますねー。気合が入ってるっていうかー」

「……」


(なんでコイツはわかるんだか)


 目ざとい時成の頭をポンポンと軽く叩き、それらしく正解であることを示す。

 それから周囲に聞こえないよう声を潜め、


「まだ入りまで時間あるだろ。行ってくる」

「どこにですかー?」


 コテリと小首を傾げた時成に、俺は人差し指を唇前に立て口角を釣り上げた。


「"カイ"さんと、初対面だ」


***


 "カイ"さんが勤務しているのは、『Good Knight』という男装エスコートの店だった。

 『よい夢を』と『騎士』を意図する英字をもじった店名は、失礼ながら"いかにも"らしい。

 店のHPで『ギャルソン一覧』を表示すると、十数名ほどのスタッフがそれぞれの個性を出したスーツ姿で甘く微笑んでいた。

 『騎士』をコンセプトに持つのならばと王子のような制服を想像していたが、なるほど確かに、いくら秋葉原といえども街を歩くには目立ちすぎる。

 微かな安堵を覚えながら『カイ』の人物写真をクリックすると、拡大された写真とプロフィールの下に、『スケジュール欄』のボタンが表示された。開くと、目盛のような横長の時間軸に、出勤時間が棒状で示されている。

 これが縦に七つ並び、一週間分。どうやらここで空き時間を選択し、予約を行うシステムらしい。

 ざっとスクロールしてみると、確かに人気というだけあって予約済みが多い。が、何の思し召しか、ちょうどこの俺の勤務一時間前が、ぽっかりと空いていたのだ。

 沸き立つ興奮を覚えながら、即決で予約を入れた。今になって思い返せば、大の男が鼻息荒く"男装様"の予約をとっている姿は、中々気持ちの悪い絵面だった事だろう。

 こういう時、一人暮らしで良かったと心底思ってならない。


「えっと……このビルか?」


 立ち止まり、送られてきたメールに添付されていた地図を再度確認する。やはり、この年月を漂わせる雑居ビルで間違いないようだ。店舗は一階のようだが、扉前へと向かうには、階段を数歩登らないといけない。

 事前に確認してきた『入店の流れ』によると、店舗で料金を支払った後に簡単な説明を受け、それからやっとご指名のスタッフと対面し、"エスコート"の開始となるという。

 思っていたよりも地味な外観に少々面食らいつつ、階段を上がる。踊り場の左右に扉があるが、登って直ぐが目的の店舗だ。見ればノブに、白地の艶やかなプレートがかかってる。流れるような書体の、『Good Knight』の印字。

 いくか。薄く息を吸い込んで、扉を開く。


「いらっしゃいませ」


 黒を貴重とした空間に響く、低く"作られた"声。

 部屋の奥中央に鎮座するカウンター上には、『welcome』と書かれた金色のプレート。天井から吊り下げられたシャンデリア型の電灯を受けて、オレンジ色に反射している。その横には、ノート型のパソコンが一台。

 そしてその後ろ。綺麗な笑顔を浮かべて立つその人は、目的の"カイ"さんではなかった。

 明るい茶髪に、茶色い目。おそらくカラコンだろうが、実に違和感なく馴染んでいる。

 その人は胸元に右手を添えると、ニコリと人の良い笑みを浮かべ、


「ご予約の確認をさせて頂いております」

「あ、えっと」


 こういう所は初めてだ。俺は手間取りながらもスマフォで予約完了画面を開き、その人へと提示する。

 覗き込んだその人は手元のマウスをいくつか操作し、小さく頷くと再び柔い瞳を向け、


「瀬戸様ですね。お待ちしておりました」


 胸元に添えられたネームプレートには『拓』の文字。

 淡い光源を映し、片耳だけに付けられたピアスが金色に光った。


(……ベテランさんか?)


 一見、ホストと間違えてしまいそうな外見に反し、どことなく落ち着いた雰囲気が漂う。

 俺より年上なのかもしれない。無意識に、張っていた肩が下がる。

 拓さんは口端を綺麗に上げたまま画面を確認し、薄い唇でゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「ご指名は"カイ"で、初回おためし四十分コースでお間違いありませんか?」

「はい」

「では、こちらで先に料金を頂戴致します」


 頷いて財布を取りだすと、流暢に動いていた拓さんの手がピタリと止まった。

 おや、と様子を伺うと、合わされた視線に困ったような苦笑が乗り、


「失礼ですが……男性でお間違いありませんか?」


(まぁ、そうだよな)


 遠慮がちな再確認。男性と女性では、料金形態が異なるのだ。

 『同業者』にもバレなかった自身の腕に心中でガッツポーズをしつつも、表では"ユウ"としての笑顔を浮かべて丁寧に言葉を選ぶ。


「紛らわしくてスミマセン。"僕"、男なんで問題ないです」

「大変失礼しました。余りにも可愛らしかったので、てっきりお嬢様かと」


 これなら思惑通り、"カイ"さんにも強く印象付くだろう。

 邪な『計画』は腹の中にきっちり隠して、謝罪するように頭を下げた拓さんに「気にしないで下さい」と純粋無垢な笑顔で返す。


「そう言って貰えて嬉しいです」

「お気遣いありがとうございます。コールネームはきちんとカイに伝わっておりますので、ご安心ください」


 予約の際、呼んで貰いたい名前を『コールネーム』として入力する欄があった。

 本名ではなく偽名でも許容されているそこに、俺は"ユウ"と記入している。

 処理を再開した拓さんによって滞り無く会計が済むと、この店のシステムと注意事項をいくつか説明された。


 時間の計測はこの店を出た瞬間からが開始となり、終了十分前になるとギャルソン宛に連絡がいく。

 延長の申し出はその場でも可能だが、本日のスケジュール状況からすると難しいだろう。

 そして、エスコート先での支払いは、全て客持ちである。


 さらに重要点が二つ。

 個人的な連絡先の受け渡しは禁止である。

 男性のお客様は、決してギャルソンに触れてはならない。

 拓さんは「見かけがどんなに愛らしくてもダメですよ」と、悪戯に笑んで付け加えた。


「何か質問等ございますか?」

「いえ、大丈夫です」


 首を振る俺に拓さんは軽く頷き、「少々お待ちください」と背を向けた。進んだ先、カウンター左手側の奥には、カーテンの仕切りがある。

 拓さんはそこを覗き込み、


「カイ」


 とうとう、この時がやってきた。

 緊張から早まる鼓動を叱咤して胸を張り、顎を引いて小さく拳を握った。

 "カイ"さんとの初対面。第一印象が、重要だ。


「お待たせ致しました」


 コツリ、と黒地の床を軽く鳴らして現れた一人のギャルソン。

 一覧に載っていた写真と同じく短い黒髪の毛先は軽く散らされ、俺よりも頭一つ高い位置にある口角が綺麗な弧を描く。


「初めまして。本日エスコートをさせて頂きます、カイと申します」


 片手を胸元に当て恭しく下げられた頭に、つい、つられて俺も頭を下げた。


「あ、よろしくお願いしますっ」


(って、見合いじゃないんだから!)


 思わずのツッコミは、当然胸中で。それでも、明らかな動揺が伝わってしまったのだろう。カイさんは片手を口元に寄せて、笑みを隠しているようだ。

 カッコ悪い、と気落ちしないでもないが、コレはコレで結果オーライなのかもしれない。

 エスコート対象の情報には、事前に目を通しているだろう。俺が"男"だという事実を既に承知済みなのであれば、無駄な警戒は解いてくれた方がありがたい。

 微妙な心境で脳だけを動かす俺の前を、カイさんは静かな足取りで通り過ぎた。扉のノブへと手をかけると、目元を和らげ、


「それでは、参りましょうか」

「っ、はい!」


(わかってるな、"ユウ"! 目的はまず、敵の懐に入り込むことだ!)


 頭の中で気合を入れ直し、すうっと息を吸って背筋を伸ばす。

 開かれた扉をありがたく通り、ゆっくりと閉じられていくその向こう側。


「それでは、良い夢を」


 片手を胸に添えて、腰を折って見送る拓さんの姿。


(……なるほど。"忠誠を誓う騎士"、ね)


 コンセプトに基づく、この店共通の仕草なのだろう。

 つまり、個人の"キャラ設定"の根底はそこにあるわけだ。


 分析を続けながらも表情は通常を装い、先導するカイさんを追って階段を降りる。

 ほんの数段しかないというのに、「足元、気をつけてくださいね」とわざわざ振り向く仕草も至って紳士的だ。


「申し訳ありません、"お嬢様"なら、お手添えできたのですが……」

「……いえ、規則ですから」


(やっぱり、"把握済み"ってことか)


 苦笑を零すカイさんに問題ないと笑顔で返しつつ、そのさり気ない"伝達"に胸中が絞まる。

 人気の高い理由が、わかってきた気がする。やり方がいちいちスマートなのだ。


「本日は軽いティータイムをご所望とのことで、お間違いないですか?」


 備考欄に記載しておいた内容も、しっかりと覚えているようだ。

 頷いた俺に、カイさんは、少しだけ考える素振りをして、


「特にご希望のお店が無いようでしたら、ワッフルなんてどうでしょう?」

「いいですね! 僕、甘いもの大好きなんです」


 とりあえず今日のコンセプトは『可愛さで攻めろ!』だ。

 両手を合わせ、可愛さをプラスしながらはしゃいで見せた俺。計画など知る由もないカイさんは「左様ですか」と笑みを浮かべると、何かを思い出したかのように一度だけ宙を見て、


「ユウ"ちゃん"……で、よろしいですか? それとも、"くん"で?」


 あくまで確認の意図のみを含んだ言い回し。

 出会った時からそうだったが、向けられた瞳には俺の"格好"にも先ほどの仕草にも、微塵の動揺も感ぜられない。

 上手いこと隠しているのか、はたまた、興味がないのか。


(クソ、分かりづらいな)


「"ちゃん"、でお願いします」

「かしこまりました」

「あと、もう一つお願いしてもいいですか?」


 未だ感情の読めない瞳が、俺の闘争心に火をつける。


(その涼しい顔を崩してやる)


「あの……話し方を、敬語じゃなくて普通にして貰えませんか……?」


 今まで数多の人々を陥落させてきた、必殺潤目の上目遣い。

 更に恥じらうような目線外しのオプション付きだ。


(これなら流石に効くだろ!?)


 どうだ!? と見上げるも、カイさんはやはり涼し気な顔のまま「そうですか」と頷く。と、少し屈み込み、俺と同じ高さに合わせた双眼を柔らかく緩め、


「うん、わかった」


(――そうきたか……っ!)


 向けられたのは、絵に描いたような、綺麗な綺麗な微笑み。

 全て『計算通り』なのだろう。タイミング、仕草、表情。現実社会には明らかに"不自然"なそれらも、怖いくらい"自然"だと錯覚させられる。

 これは睨んだ通り、中々のスキルの持ち主だ。


「ユウちゃんは、この辺詳しい?」


 しっかりと車道側をキープしながら歩く速度は、低いながらもヒールの俺に合わせてややゆっくりと。

 片手を軽くポケットに引っ掛けながらの爽やかな笑顔に、胸中で妬みつつも「いいえ」と笑みを返す。


「詳しいって程ではないです。大通り沿いなら少しはわかりますけど、それるとサッパリで」

「そっか。なら、良かったかも」

「え?」

「今から行くお店。ここからそんなに遠くはないんだけど、ちょっと裏にあってね。気に入るといいんだけど」


 こっち、と先を示し、言葉の通り小道に入る。

 そこから更に右に曲がって、暫く進むと、左。


(……本当にこんな所に店があんのか?)


 疑いたくなるような簡素で静かな路地に、キョロリと辺りを見回した。と、


「そんなに心配しなくても、変なトコに連れ込んだりしないよ?」

「ちがっ、そういうワケじゃあ……!」


 夢見る乙女じゃあるまいし、薄暗い路地裏での『壁ドン』ハプニングなど期待しちゃいない。

 とんだ誤解だと否定するも、クスクスと楽しそうに零すカイさんに対して余裕のない自身に羞恥が勝る。

 顔に登る熱を感じながら当惑する俺に、カイさんは「ほら」と前方を指し、


「木の看板のとこ。あそこだよ」


 ね? と先ほどの話題を引っ張るカイさんに、だから違うのにと眉根を寄せる。

 笑う時に片手を口元に添えるのは、カイさんの癖かもしれない。

 ひとしきり楽しそうに笑ったカイさんは、「あー、ウン」と頷くと、


「ユウちゃん、可愛いね。よく言われるでしょ?」

「……言われますけど、多分カイさんとは違う意味だと思います」

「いや、勿論全部含めて可愛いと思うよ」


(なんて取ってつけたような)


 ツッコミながらも、チャンスを見逃す俺ではない。ここぞとばかりにムスリと片頬を膨らませ、可愛らしく拗ねてみせる。

 今までの経験上では中々効力が高いのだが、先程までの結果を思うに、この人はきっとスルーなのだろう。

 心中で溜息をつきつつ、横目でそっと伺う。見下ろす顔からは楽しげな笑みは消えていて、その瞳はジッと俺を映していた。


(え……?)


 戸惑うも、カイさんは特に何を発するでもなく歩を進めていく。店前へと辿り着くと、木製の取っ手を引き、扉を開けた。

 上部で揺れた鈴が、カランと高く響く。


「はい、どうぞ」


(効いた、のか?)


 分かりかねる結果に靄々としつつも、扉前を通り大人しく店内へ踏み入れた。左右に広がる空間にはカスタードクリーム色をした木製の机と椅子とが綺麗に並び、所々に置かれた観葉植物の緑が温かみを感じさせる。

 正直、驚いた。

 "こういう人"が連れて行く店だ。もっと、綺羅びやかで派手な場所を想像していた。


「いらっしゃいませー」


 小走りで現れたのは、ダークブラウンの至ってシンブルなエプロンを身に付けた女性店員だ。

 後ろ手に扉を閉めたカイさんが、


「スミマセン、予約していた『Good Knight』の……」

「ああ! お待ちしておりました! こちらへどうぞ」


 どうやら本当に、普通のカフェらしい。

 人の疎らな店内を横目で観察しながらついていくと、慣れた様子で壁際一番奥のボックス席に通された。これも、窓際では他人の視線が気になるかもしれないという、配慮なのだろうか。


「ソファー側使って。ああ、鞄貰うよ」


 スッと差し出された手。戸惑いつつも、そういうモノなのだろうかと鞄の持ち手を受け渡すと、カイさんは椅子横にしゃがみ込み、足元に置かれていた籠にそっと下ろした。次いで懐から白いハンカチを取り出し、蓋をするように上を覆う。


(……マジか)


 さり気ない徹底ぶりに、思わず呆気に取られる。


(てか女の子って、そんなことまで求めてんの?)


 女子には胸キュンポイントなのかもしれないが、俺には只の衝撃的事実だ。

 唖然と見つめる俺に気づいたカイさんは、椅子に腰掛けつつクスリと笑んで、


「せっかくの可愛いバッグ、汚れたらいけないからね。ビックリした?」

「あ、はい……。そんな、安物なんで、そんなコトしなくても」

「関係ないよ。ユウちゃんのモノを、汚したくないだけだから」

「な、るほど」


(女の子ってこういう心情を求めているのか……)


 勉強になった。

 神妙な面持ちで頷くと、見守っていたカイさんが、耐え切れないといったように吹き出した。


「ごめんごめん、そんな顔するとは思わなくて」


 言う声は、今まで聞いてきたそれよりも少し高い。おそらく、この声がカイさんの"本当の声"に近いのだろう。

 途端に実感する。やっぱり、上手く"装ってる"だけで、女の子だ。


「何にする? ワッフルって言っちゃたけど、好きなものでいいよ」


 目尻を拭いながらメニュー表を俺に向けて広げてくれるカイさんの肩は、まだ小刻み震えている。


(……俺、そんな面白い顔してたのか?)


 若干不安が残らないでもないが、好印象を持ってくれたのならば構わない。

 思考をメニュー選びへ切り替え覗きこむと、綺麗に並ぶ写真の中には流行りのホットケーキやお馴染みのパフェと、実に『女子好み』のラインナップが並んでいる。

 どれも美味しそうだ。目移りする。が、ワッフル目的で此処に来たせいか、気分はもうワッフルだ。

 数種類並ぶ中から目ぼしい一つを選んで、温かく見守ってくれているカイさんへと視線を上げる。


「いちごのワッフルにします。カイさんは?」

「オレは大丈夫」

「え?」

「ご飯は店で食べてきてるから」


(……あ、そうか)


 優しげな笑みのまま店員を呼び止めるカイさん。俺の脳裏に、拓さんから聞いていた注意事項が思い浮かぶ。

 食事の料金は全て客持ちだ。お客様に余計な出費をさせないよう、こういった食事の場面では遠慮するのだろう。

 こちらの気に障らないよう、実にそれらしい口上を使って。


(でも、なあ……)


 カイさんの告げた俺のオーダーを書き留めた店員が、クルリと背を向ける。

 去っていこうとするその人を「スミマセン」と呼び止め、


「カイさん、コーヒーと紅茶どっちが好き?」

「え? コーヒーかな」

「じゃあ、追加でコーヒー二つ。ホットでお願いします」

「かしこまりました。ホットのコーヒーをお二つですね。少々お待ちください」


 低頭し、にこやかに去っていく女性とは反対に、俺へと視線を向けたカイさんは眉間に皺を寄せた。


「そんな、よかったのに……」


 困ったような表情で語尾を弱めるその人に、気にしないでくれと肩を竦めて微笑む。

 同じ席についているのに、相手は水だけというのも気が引けるもんだ。

 女の子ならストイックで格好良いと思えるのかもしれないが、残念ながら、男の俺にはその心情が装備されていない。


「勝手にホットにしちゃってスミマセン。冷たいほうが良かったです?」

「ううん。むしろ嬉しい」


(おや?)


 捻り無く直球で返って来た感謝に、つい、小首を傾げる。

 視線で疑問の理由を尋ねるカイさんに、「いえ」と小さく笑んで、


「てっきり、『キミの選んでくれたモノなら何でも嬉しいよ』的な言葉が来るのかと」

「その方が良かった?」

「いえ、今のほうがキュンとしました」


 軽い調子で答えた俺に、カイさんはユルリとした仕草で机上に頬杖をつき、追求するように双眸を細める。


「ホントかな?」

「カイさんこわーい」


 俺はその視線から逃れるように、恥じらいながら斜め下へと視線を落とした。暫くして、再び上げる。


(……あれ?)


 捉えたカイさんは、やはり俺を観察するようにじっと見据えているだけだった。二度ほど瞬きをすると、自然にグラスを取り口へと運ぶ。

 入店前でのやり取りと似た、微かな違和感。

 何かを告げるでもない。勿論、俺の仕草に頬を染めた訳でもない。


(……なんなんだろ)


「あ、来たみたいだね」


 緩やかな沈黙を破ったのは、特に変化のない落ち着いたカイさんの声。

 足音を拾ったのだろう。後方を振り返ったカイさんの視線の先を追うと、皿を片手にこちらへ向かってきている先ほどの店員さん。


「お待たせしました。いちごワッフルになります」


 確認もなく当然と俺の前に置かれたプレートから、ほのかな湯気と甘い香りが漂う。

 カイさんはカトラリーの入る籠を自身へと寄せると、ナイフとフォークを一つずつ取り出し、揃えた柄を俺に向けた。

 手渡し。一瞬戸惑うも、会釈をして受け取る。その間に一度戻っていた店員さんが、今度はコーヒーを二つお盆に乗せて現れ、置いていってくれた。


「食べてみて」


 促されるままナイフを入れると、サクリと音をたて崩れた甘茶色。切れ目に甘色のメープルシロップと、果肉の残る紅色のいちごソースが流れ込む

 一口大より気持ち小さめに切り分け、吹いて冷ましてから口の中へ。

 カリリとした表面。その奥の生地はふんわりと弾み、見た目とは反して控えめな甘さのソースがワッフルの甘みを際立たせる。


「っ、おいし」


 今まで口にしていたモノとは明らかに異なる食べやすさ。

 感動からバッと顔を上げた俺に、カイさんは「良かった」と嬉しそうに頷いて、


「絶妙だよね。オレのお気に入りなんだ」


 コーヒーもね、と白磁のカップを優雅に傾ける仕草も、少女マンガに出てくる"イケメン"そのもの。

 本当、細かい所作までよく研究している。

 こっそりと盗み見ながらもう一口運ぶと、やはりほっこりとする甘さが口内に広がった。

 咀嚼しながら浮かんだ考えは、本当にたまたま。


「あの、ちょっと待っててくれますか」


 一言断りを入れて席を立ち、不思議そうに首を傾げたカイさんを残してカウンターへと向かう。

 店員さんから受け取ったのは、一枚の小皿だ。俺の姿を追うカイさんの視線は、一瞬たりとも離れない。

 苦笑しながら席へ戻り、再び腰を落とした。新しいシルバーを手にとり、まだ手をつけていない一枚を半分に切ってから、小皿に乗せてカイさんの前へ。


「ユウちゃん?」

「お腹いっぱいだったらごめんなさい。良かったらコレ、食べてくれませんか?」


 一応、お昼からはだいぶ経っているし、お気に入りだというのなら"別腹"かもしれない。

 迷惑だったら失敗だなぁ、とイチかバチかで差し出した皿。

 カイさんはそれと、俺の顔とを交互に見て、


「そんな……悪いよ」

「悪い、ってことは、迷惑ではないんですね」

「そ、だけど……」


 予想だにしていなかったのだろう。

 明らかな動揺を含む瞳に、少しだけ"カイ"さんの仮面の奥を見た気がして。


(やっと、崩れた)


「じゃあ、貰ってやってください。『僕の為』に」


 強調した言葉に、ピクリとカイさんが反応する。

 俺だって計算派だ。丸め込む話術だって、それなりに持っている。


「一人で食べるより、二人で食べたほうが美味しいでしょ?」


 はい、と柄を向けて差し出したのは先ほど取り分けたシルバー。

 本当なら新しいモノを渡したい所だが、生憎この席には二人分しか用意されていない。

 いまいちカッコつかないな、と苦笑した俺の眼前。戸惑いがちに伸ばされた細い指先が、シルバーを掴んで離れていく。


「……そこまで言われちゃ、仕方ないね。ありがとう、ユウちゃん」


 軍配、俺の根気勝ち。

 折れてくれたカイさんは小皿のワッフルを一口大に切り、形の良い唇を薄く開きハクリと食んだ。

 本当に、好きなのだろう。伏し目がちのまま味わうように綻んだ顔は、今までのどれよりも柔らかで。


「……ん、美味しい」


 たぶん、コレは。

 "カイ"さんではなく、"ホントウ"の。


「っ!」


 認識した瞬間に駆け上がってくる熱。

 ヤバイ。

 色づいてしまっただろう頬がバレないようにと慌てて顔を伏せ、乱雑に切り取ったワッフルを口へ放り込んだ。


(なんで俺、こんなに動揺してんだ!?)


 自分でも理由が掴めない動悸。『おさまれ、おさまれ』と繰り返し念じながら、今度はコーヒーを流し込む。

 口内に広がり鼻を抜けたほろ苦さに、鼓動が徐々に通常へと戻っていく。安堵に薄く息を吐き出して顔を上げると、こちらを見つめる双眼とバッチリ目が合ってしまった。


「っ」


(い、いつから見られてたんだ!?)


「……ユウちゃんってさ」


 マジマジとした視線に、ピタリと石化する身体。


(ば、れたか!?)


「可愛いだけじゃなくて、面白いね」

「う、あ、りがとうございます……?」


(良かった、引かれたワケじゃなかった……)


 その言葉の真意が読めないままとりあえず告げた礼に、返されたのは満足気な笑み。

 ひとまず、序盤でのゲームオーバーは免れたようだ。


 軽い談笑を交わす中、くぐもったバイブ音が耳に届いたのは、皿の上がソースまで綺麗に無くなる頃だった。

 間もなく訪れる、終了時刻を示す合図。


「ちょっとごめんね」


 席を立ったカイさんの皿からも、切り分けたワッフルはとっくに無くなっている。見ればカップも、すっかり空になっていた。

 もしかしたら、無理やり空にしてくれたのかもしれない。けれども、あの笑顔は"装った"モノには見えなかった。


「お待たせ、あと十分くらいみたい」

「そうですか……」


(終わり、か)


 微かに湧きでた感情に名前をつける前に、最後のコーヒーをゆっくりと飲み込んだ。

 両の指先を机の上で組みながら、カイさんが小首を傾げる。


「ユウちゃん、今回が初めてだったよね? どうだった?」


 すっかり"カイ"さんのキャラ通りだ。

 近づいたのはほんの一瞬だったなと密かに落胆しつつ、ニコリとした笑みを作りながら、肩を狭めて両手は可愛らしく膝の上へ。


「初めは緊張してたんですけど、カイさん話しやすいし、紳士的だし、すっごく楽しかったです。ここも本当、美味しかったし」

「そっか。喜んで貰えたなら良かった」

「それと、受付の……拓さん? もすごく素敵な方でしたし」

「拓さん、ね」


 カイさんの双眸が細まる。


(んんん?)


 なんだか含みのある言い回しに、俺は瞬きだけを繰り返して続きを待った。

 気づいたカイさんは「いや」と軽く肩を竦め、


「先輩、なんだ。凄く尊敬してるし、本当に格好良いと思う。ただ、さ」


 薄くはにかみながら、指先を唇へそっと寄せて。


「今日、本当に楽しかったから。もしまた来てくれるなら、次も選んで貰えると嬉しいなって思ってたんだけど……拓さん相手じゃね」


 敵わないや、と苦笑を浮かべるカイさんに、即座に首を横に振る。

 わかっている。こうした人気商売は、いかに『自分の客』を増やすかが勝負になってくる。

 どうせコレも、どの客にも使う常套句なんだろうけど。


(今のは、ちょっと掴まれた)


「僕もまた、カイさんとお出かけしたいです。お願い出来ますか?」

「本当に? 勿論、喜んで。……なんか、押し付けちゃったみたいでごめんね」

「そんなコトないです。カイさんにそう言ってもらえて嬉しいです」


 そう。俺の目的は単なる男装の麗人のエスコートではなく、あくまで"カイ"さんそのものだ。

 そのスキルと、人脈。それ以外に興味はない。


(そう、それだけ)


「そういえば、まだ名刺渡してなかったよね」

「え? あ、はい」


 ほんの、一瞬。ツクリと感じた息苦しさに沈みかけた意識が、カイさんの明るい声で浮上する。

 どうして、と問いかけた自身の心は、答えをくれる筈もない。


「はい、これ。いらなかったら捨てて」

「捨てませんよ。大事にします」


 "ユウ"の顔を取り繕い、内ポケットから取り出された顔写真入りの名刺をありがたく両手で受けとる。

 書かれている住所と電話番号は、もちろん店のもの。そういえば、俺も教えられない"ルール"だった。

 先は長い。胸中で嘆息しつつ、口元で笑んでみせた。

 そろそろ、時間だろう。


「行きましょうか」


 何となく、こちらから告げた方が良い気がして、伝票を片手に掴み自ら立ち上がった。

 頷いて席を立ったカイさんはしゃがみ込むと、ハンカチーフを退け、鞄を俺に手渡してくれる。


「お店の外で待ってるね」


 柔い微笑みで告げるカイさんに頷いて、俺はそのまま会計へ。

 レジに立ってくれたのは、入店時から世話になった店員さんだ。精算しながら「美味しかったです」と告げると、「また来てくださいね」と明るい笑顔で頭を下げられた。

 居心地が良い。なんだか本当に、常連になってしまいそうだ。


「お待たせしました」


 何かを考えていたのか、そういう"設定"なのか。

 ズボンのポケットに指を軽くかけながら遠くを見つめていたカイさんが、店外へ踏み出した俺の声に振り返る。


「ありがとうね、ごちそうさま」

「いえ、付き合って頂いてありがとうございました。ここでお別れですか?」

「うん、申し訳ないけど」

「いえ。本当、ありがとうございました」


 客による待ちぶせを防ぐ為、きちんと去ったのを確認してから店へ戻るのだろう。

 気をつけてね、と上げられた片手に、会釈をして背を向ける。


「ああ、そうそう」


 帰路へ向けて踏み出した瞬間。思い出したような声に、立ち止まって振り返る。

 捉えたカイさんは、ニコリと爽やかな笑みを浮かべると、


「次に、会えた時はさ。もっと自然体でいてくれていいよ」

「え?」

「ユウちゃん、そのままで十分可愛いから。"ワザと"可愛いことをしなくても、オレは好き」

「っ!?」


(そういう、コトだったのか)


 意地悪げに細められた瞳に、全ての合点がいく。俺が感じていた違和感の正体は、これだったのだ。

 あの観察するような間は、俺が"そう"していることを見抜きつつも、敢えて黙っていたが為の『不自然』だったのだ。

 見破られた理由が『カイさんだから』なのか、『女性だから』なのかはまだ判断がつかないが。


「……わかりました」


(これは、思ってたよりも強敵みたいだ)


「次、楽しみにしててください」

「うん、絶対に覚えてるからね。……気をつけて」

「はい。カイさんも」


 頷き、振られた掌に今度は軽く手を振り返して、背を向ける。

 俺の懇親の可愛さアピールは逆効果。頭の中でペケをつけ、路地を一人進んでいく。


(……しょうがない)


 下手な小細工が通用しないのなら、このままで勝負するしかないだろう。

 "俺"自身を示したままで、カイさんを懐柔しなければ。


「……どうすっかなぁ」


 ここだけの話、交際の経験は数年前の一度だけだ。それも、俺の容姿に釣られただけの相手で、『思ってたのと違った』とほんの数週間で去られてしまった。

 誰かを振り向かせる、なんて、一度も挑んだ試しがない。


「でもま、"恋人"じゃなくて"友達"で良いんだし、何とかなるだろ」


 諦める、という選択肢なんて、存在しない。

 目的の達成までは、あの手この手と試してみるしかないのだ。

 それに。あの『仮面の向こう側』が見えた瞬間が、まだ脳裏にチラついている。


「……とりあえず、バイトが終わったら予約だな」


 腕時計を確認すれば、まだ入りまで余裕がある。

 脳内で次を画策しながら、俺はのんびりと歩を進めた。


 完璧に造られた仮面の奥で、"彼女"は一体、何を感じていたのだろう。



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