カワイイ俺のカワイイ決心
『カワイイ』は最大の武器だ。
気紛れに作った笑顔一つで簡単に相手を懐柔し、自身を優位に立たせることが出来る。
大切なのはこの真理を理解し、正しく使う事。
そうすれば"小さな嘘"なんて、"カワイイ嘘"になるのだから。
「まぁ、予想はしてたけど……」
久しぶり、とか、お待たせ、とか。一般的な待ち合わせの第一声をまるっと無視して、現れた男は俺の顔を見るなりガクリと頭を垂れた。
両方の指を折りたたんでも足りない程"この俺"と会っているクセに、未だ初見のような反応を見せるのは、嫌味ではなく純粋に"抜けている"からだ。
お決まりの挨拶に心中で溜息をつきつつ、俺は胸下で腕を組みながら無言を貫く。
「悠真?」
怒っている、と思ったのだろう。伏せていた顔を上げ、表情を伺うように呟かれたのは紛れも無く"俺自身"の名前。
だが"今の俺"の場合はそう呼ぶなと、これまでに何度も何度も言いつけている。
俺は怒りの気配を纏いながらも、態とらしくゆっくりと、ベビーピンクのグロスに艶めく唇を釣り上げた。
「……いったい、何回言えば覚えるの?」
穏やかともとれる言い回しは、紛れなもない憤怒の証。
ソイツはハッとした顔で青ざめながら、
「あっ、ごめん! 謝るから怒んないでよ、"ユウちゃん"」
これまでの経験から、『鳥頭野郎』と罵る俺の心中をキッチリと悟ったらしい。
慌てた様子で「ごめんごめんっ」と両手を合わせるソイツ――佐々木俊哉によって訂正された"今"の呼び名に、俺は満足気に頷いた。
綺羅びやか、とは毛色の異なる色とりどりのネオン。
塗装の剥げた白いガードパイプが並ぶ大通りに沿って歩道を進めば、並ぶ店舗から流れる、BGMにしては随分と主張する音楽が無遠慮に鼓膜を震わせる。
ビルの高さに匹敵する巨大パネルはこの街を主張しており、惜しみなく随所で光る液晶画面もまた然り。共通しているのは、そのどれにも特筆した共通点があることだろう。
大きな瞳に、小さな顔。数多の理想の集大成であるイラストが並ぶ、"嫁"達の楽園『秋葉原』。
休日というだけあり、狭い歩道には我が物顔の常連からカメラを構える観光客まで、溢れんばかりのヒトが往来している。
ここでのボンヤリはご法度。うっかりしていると、波に呑まれてしまうのだ。
俺は注意深く隙間を抜けながら、目的の地に向かって足を動かす。すっかり慣れたもんだ。が、最早反射でこなす俺とは違い、数度しか訪れたことの無い俊哉は疲弊を滲ませ苦笑した。
「相変わらず人が多いね」
「……そりゃあ、なんたってオタクの聖地で日本屈指の観光地だしな。休みの日はいつもこんなモンだよ」
「都心コワイ……」
返された涙声を冷ややかに受け流しつつ、俺は呆れた視線だけをチラリと向けた。
180センチを優に超える長身と、程よく締まった身体。おまけに優しげフェイスを持つ男の泣き言なんて、残念ながら俺には何の効力も発揮しない。
もしも今、コイツの隣を歩いているのが俺ではなく女の子だったなら、ギャップ萌えだとかなんとかで実に愛らしく頬を染めていただろう。
けれど、俺は男だ。
たとえ、過剰すぎない適度なフリルが可愛らしいミントグリーンのトップスに、ポケットのビジューが煌めくスカートをひらめかせ、ローヒールのパンプスをコツコツと鳴らしていても。
加えるのならば、ダークブラウンの艶やかなセミロングの髪に、ナチュラルメイクで可愛らしく整えていても、間違いなく男なのだ。
そう、俺――瀬戸悠真は、今を時めく"オトコの娘"だ。
勘違いされがちだか、俺は女に生まれたかったとか、男性の気を惹くためにこのような格好をしている訳ではない。
キッカケは遡ること数年前。高校一年時の文化祭まで遡る。
クラスの催しとして決定したのは、ありがちな『メイド喫茶』だった。更にはこれまたありがちで、"メイド"へと変貌したのは女生徒ではなく、男子生徒だったのだ。『その方が面白い』と声を揃える女子のプレッシャーに、負けたのである。
量販店に売っているペラペラな生地のメイド服に、安価なウイッグ。それでも女生徒による渾身のメイクによって、一部の数名を除き中々それらしく変貌を遂げた。
満足げな女生徒達に、満更でもない男子生徒達。準備は順調のように思えたが、一つだけ誤算があった。俺の存在だ。
中の中といった可もなく不可もない顔面は想像以上にメイク映えし、更には165センチという一般男性よりも低い身長と、運動を好まないが故の薄い体つきが、功を奏した。
つまり、恐ろしく"似合って"しまったのだ。事情を知らない他校生から、連絡先をせがまれる程に。
怒涛の文化祭後から、味を占めた一部の女子生徒達による、放課後の"変身会"が行われるようになった。
衣装として持ち込まれた彼女達の私服は、レースとリボンがふんだんに散りばめられた所謂"スイート系"から、身体のラインを強調しつつもストイックな雰囲気を持つ"クール系"と多種多様。
衣装を変えてはメイクを施され、集まったギャラリーの撮影に応じる。
"そーいう趣向"を好む女子がいると入れ知恵をされてからは、戯れに適当な男子生徒に絡み、ギャラリーに黄色い声を上げさせた。当時から"親友"のポディションに居た俊哉は、一番の被害者でもある。
当初は帰宅部員による健全な暇つぶしの一環として何となく引き受けていたが、回を重ねる毎に心境の変化が生まれた。『もっと可愛くありたい』と思うようになったのだ。
自分では、一種の"プロ意識"のようなモノだと思っている。
肌のコンデションを保つ為に化粧水や乳液で手入れをし、女性向けの雑誌を買ってコーディネートや流行りモノの知識を入れた。
メイクだって、ただ塗りたくればいいというわけでは無い。ちゃんと"可愛く"なる為にと、道具を揃えてせっせと研究を重ねた。
努力の結果は明白。『変身会』の参加人数は増え続け、卒業する頃にはファンクラブも出来ていた。
そんな経緯から、"変身後"の自分は可愛いのだと、自惚れではなく胸を張れるのだ。
「あ、思い出した。ここ左だったよね?」
届いた朗らかな声に、思考を切る。
「正解。よく覚えてたな」
先程の呼び名の件然り、ニワトリ宜しく何度言っても忘れるうえに、方向音痴のコイツが覚えているなんて珍しい。
おや、と見上げた俺に、俊哉は嬉しそうに前方を指差し、
「ほら、アレ! あの看板のトコだよね、お店」
薄灰色の壁を背に、こじんまりと佇む一枚のパネル。
丸みを帯びた書体で印字されている『めろでぃ☆』とは店名であり、その後ろにはティーセットを持つ真っ白なフリルを身につけたメイド――"オトコの娘"のイラストが媚びた瞳を向けている。
そう。これが俺のバイト先であり、同士による憩いの場。
(さすがにこれだけわかりやすけりゃ、覚えるか)
納得しつつ分岐点を左折し、人気のない小道を進む。
次の分岐点を右へ。そこからほんの数メートルを行くと、外付けの階段が設えられた、二階建ての四角い建物がある。三角の脚付き黒板には、店名とオススメメニューが数点。階段を登った所に現れた扉が、目的地である『めろでぃ☆』だ。
ノブにぶら下がる『おーぷん☆』と書かれた札を確認し、俺は"顔"を作って扉を開ける。
「おかえりなさいませ~って、ユウちゃん先輩だー」
迎え入れてくれた黒髪ツインテールのメイドは、一度は愛想の良い笑顔で猫撫で声を上げたものの、俺の顔を見るなりあっさりと素のトーンに戻った。
二つ年下の霧島時成。"あいら"という名で勤務をしており、チェキの指名率は俺に次いで上位から二番目である。
どういう訳か、バイト初日から「先輩のファンなんですー!」と俺を慕ってくれていた。飼い猫のように常について回る時成に初めは戸惑ったが、付き合いやすい気さくな性格は気持ちよく、ボンヤリしているようで実は頭が切れると気付いてからは、すっかり頼れる後輩だ。
「あれー? 今日はシフトないですよねー?」
「うん、コイツ連れて遊びに来ただけ」
「どうも、お邪魔します」
不思議そうに首を傾けた時成が、俺の後ろで頬を掻く俊哉に気付き、あ、と小さく零す。
「なるほどー、彼氏さんとデートでしたかー。俊さんお久しぶりですー」
「だから、単なる幼なじみだって前に説明したろ……」
以前、俊哉を連れてきた時にも時成がシフトに入っていた。
今と同様に彼氏だと誤解され、その時に俺も俊哉も"ノンケ"だとしっかり説明したのだが、イマイチ納得出来ていないらしい。
いや、『人生、何があるかわかりませんよ』というコイツの口癖から察するに、納得する気なんて更々ないのかもしれない。
「えー……俊さんカッコいいのにー、もったいないですー」
「勿体なくない。ほら、案内して!」
仕事をしろ。時成の背中をペシリと叩くと、「ふぁーい」と間の抜けた返事。
まったく、いくら知り合いだからって、気を抜きすぎだろ。俺は小さく嘆息して、先導する時成に俊哉と二人でついて行く。
自然を装って見渡した店内にはチラホラと空席。それでも数ヶ月前と比べれば、客足は確実に伸びている。
「お? 可愛いお客がいると思ったら、ユウちゃんじゃないか」
後方から飛んできた自身の呼び名に振り向くと、通り過ぎたボックス席には手を振る二人の中年男性。週に数度足を運んでくれている、開店当初からの常連さんだ。
この人達は自身が女装を嗜むタイプではなく、単純に可愛いオトコの娘を愛でに来店されている。
ニコリ、とこの店一番人気の"ユウ"の笑顔を作って、彼らの元へと歩を進めた。二人はちょっと驚いたような顔をした後、嬉しげに目を細め、
「悪いねワザワザ。そういうつもりじゃなかったんだが……」
「つい声かけちまったけど、もしかして仕事じゃなくてプライベートかい?」
「はい、お友達とお茶をしに。それと……」
俺は可愛らしく口元に人差し指を立て、小悪魔風の笑みを浮かべる。
「ついでにあいらがしっかりお仕事してるか、抜き打ちのチェックに」
「はははっ、だってよあいらちゃん!」
「今日は気が抜けねぇなぁ」
「酷いですーっ! いつもちゃーんとお仕事してますもんー!」
メニュー表を両手で抱え込み抗議する時成に、こちらの様子を伺っていた周囲のお客も沸き立つ。
楽しそうに笑う二人に、「ではまた今度、僕の勤務の時に。ごゆっくり」と頭を下げ、俺に気づいた他のお客様達へも手を振りながら時成の元へと戻る。俊哉は肩身狭そうに、困り顔で縮こまっていた。
まあ、今のは仕方ない。「いくぞ」と小声で告げながら袖口を引っ張ると、「うん」と安堵したように頷き後ろをついて来る。
時成に案内されたのは入り口直ぐのフロアではなく、通路を進んだ先に位置する、半個室タイプの席が左右三つずつ並ぶ部屋だ。
テーブル毎に、足元だけが見える長さのカーテンで区切られている。一席の許容人数は、おおよそ六名程度。大人数のお客様や、スタッフとではなくご自身同士での会話を楽しみたいというお客様を案内する事が多い。
見ればカーテンは全て開いている。どうやら、今の時間は俺達以外の使用はないようだ。
お陰で他の目を気にすることなく、"悠真"として寛げる。 "ユウ"でいる間は口調から仕草まで、しっかりと"気をつけて"いるのだ。
「お好きな所にどうぞー」
促す時成に「ん、ありがと」と頷いて、俺は迷うこと無く奥の席を陣取った。白い壁を背にして、オレンジ色の机を挟んだ紺色のソファーに腰掛ける。
やや遅れて、俊哉も俺の対面に腰掛けた。
「さっすがユウちゃん先輩ー。お見事ですー」
薄く息を吐き出す俺にお絞りを手渡しながら、時成は愉しそうにクスクスと笑う。その言葉と表情の揶揄する所がわからないのだろう。俊哉はお絞りを受け取りながら、不思議そうに首を傾けた。
気づいた時成は次いで俊哉へとメニュー表を手渡しながら、「いえねー」と変わらず笑みを浮かべ、
「さっきの対応ですー。ユウちゃん先輩は、お店が盛り上がる所までぜーんぶ計算してやってますよー」
「え? そうなの!」
「こーやってお休みの日に来てくれるのもそうですー。従業員同士が仲良しなことをアピールした方が、お客さんは喜ぶんですよー」
「そうなんだ。あ、だから今日、お店に来たの?」
声の感じからして、おそらく俊哉は頭上に疑問符を浮かべながら、純粋な目を向けているのだろう。俺は一瞥もせずに、時成から受け取ったメニュー表を追いながら「まぁな」とだけ返した。
ウチのようなタイプの店は、お客様あっての商売だ。
時給アップの為にも、売上向上に貢献して下さるリピーターは掴んでおきたい。更に言えば、歩合制であるチェキの指名をくださるお客様も、一定数は確保しておきたいのが本音だ。
「働く以上、報酬は多いほうがいいだろ。人気商売ってのは"種まき"が必要なんだよ」
「って、悪ぶったコト言ってますけどー、本当は仕事熱心な真面目さんなんですよねー先輩は」
「うるさい、あいら。オムライスプレートにアイスラテ!」
ぶっきらぼうに注文を言いつけて、会話を無理やり遮断する。
茶化されるのはともかく、こうして努力を本心から褒めるようなニュアンスは苦手だ。反応に困る。
「照れなくてもいいじゃないですかー」とクスクス笑う時成は、きっとそんな俺の心情もわかってやっているのだろう。
まったく、こういう所は可愛くない。
「俊さんはどうしますかー?」
「え、と……じゃあ俺もオムライスと、ウーロン茶で」
「はーい、かしこまりましたー」
時成は注文用紙にピンクのペンを走らせると、「少々お待ちくださいね」と頭を下げた。
さっさと行けと手で払ってやるも、何故か嬉しそうな笑みを向けてくるから、コイツは質が悪いのだ。
カーテンが引かれる。足音が遠ざかり、店内に流れるBGMのアニソンと大ホールのざわめきが空間を覆う。と、「ふーん」と俊哉の満足気な声。
「この間も思ったけど、いい子だね、あいらちゃん」
親戚の子供を褒めるような調子で、ニコニコと微笑む俊哉。
俺は「そうだな」と頬杖をつき、透明なグラスを持ち上げ、水を一口ふくんだ。
「いい奴だよ。よく気が利くし、しっかりしてる」
「へー。ユウちゃんが褒めるってコトは、よっぽどなんだね」
「……俺だって、褒める時は褒めるだろ」
「数えるくらいしか聞いたことないよ。でも安心した、伸び伸びやれてるみたいで」
「お前は俺の保護者か」
「"ユウ"ちゃんのルーツを知る幼馴染としては、やっぱりね。あいらちゃんに感謝しなきゃ」
「……」
どちらかと言うと、保護者は俺の方だろ。
出かかった言葉を飲み込んだのは、確かに俊哉の協力も大いに貢献しているからだ。
実のところ、未だに買い物に連れ出す機会も多々ある。下手に機嫌を損ねてもう付き合わないと言われても困るので、ここは沈黙を貫いておいた方が得策だろう。それよりも。
すっかり時成に信頼を寄せた様子の俊哉に、一抹の不安が過る。
『おれ、バイなんで』
『……は?』
時成はある日突然、まるで明日の天気を口にするように、サラリと告げてきた。
あまりにも唐突すぎて、拾った言葉の意味を脳が理解するまで、たっぷり十数秒を要した。そんな俺に、時成はただ穏やかな笑みを貼り付けて、
『気持ち悪かったら近寄りませんから、遠慮なく言ってくださいー』
これまた何でもないように、付け加えられた宣言。
黙って過ごす事も出来ただろうに、こうして口にするのはきっと、過去の様々な経験がそうさせているのだろう。
時成の事だ。尋ねれば許した範囲で答えただろうが、わざわざ深堀りするつもりはなかった。
『……別に、人それぞれだろ。俺はノンケだけど、お前のコトはいい後輩だと思ってる』
そう返した俺に向けたられた表情は、面食らったようにも、心底安心しているようにも見えた。
偏見はない。別に、誰が誰を好きになろうと、構わないと思っている。嘘はない。
だがこの幼馴染は、誰にでも優しく、尚且つ押しに弱い。本人の意図しない所で時成に"勘違い"をさせてしまいそうだし、それこそ本気で来られたら、よく分からないまま受け止めてしまいそうで心配なのだ。
"同情"は、多くを傷つける。一番良くない。
これは事前にそれとなく匂わせて、予防線を張っておいた方がいいのでは。
「どうかした?」
「……いや、何でも」
(考え過ぎだな。それに、俺の口から言うべき内容じゃない)
適当に誤魔化して、もう一口を含んでから水滴の覆うグラスをコトリと下ろす。
時成は隠していないと言っていた。俊哉も、誰ソレ言いふらすようなヤツじゃない。
けれども俺が告げるのは"ルール違反"だろう。そうなった時は、そうなった時に考えればいい。
「そういや、由実ちゃん元気にしてるか?」
思考を切り替え、不自然にならないように別の話題を提供する。
由実ちゃんというのは、俊哉の三つ違いの妹だ。
実家が近い俺達は、家族ぐるみで仲が良い。俺の両親は多忙だった為に、幼少期は何度も俊哉の家で世話になっていた。故に由実ちゃんは俺にとっても妹のような存在であり、由実ちゃんも俺を『悠兄』と呼んでくれている。
俺も俊哉も、大学に通い始めると同時に一人暮らしを始めた為、実家から高校に通う由美ちゃんとは中々会う機会も減ってしまった。最後に会ったのは、先月だったか。
それでも由美ちゃんの家族である俊哉ならば、俺よりも彼女の近況を把握しているかもしれない。そう思ったのだ。
狙い通り、俊哉は朗らかに頷き、
「うん、元気にしてるみたいだよ。昨日も連絡があって……って、そうだった」
「どうした?」
「ユウちゃんに一個相談っていうか、お願いがあるみたいでさ」
「俺に?」
俊哉は「すっかり忘れてた」と慌てた様子でスマートフォンを取り出し、画面へ指を滑らせながら何かを探し始めた。
「最近、男装女子? っていう人にハマってるみたいでさ。なんか、一緒にデートしてくれるんだって」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。
男装女子、とはその名の通り、男装をしている女性のことだ。ある意味、同業者である。
近頃は喫茶店だけではなく、お客の要望に沿ったデート……もとい、"エスコート"と称して街を一緒に回ってくれるサービスが存在しているのは知っていた。
それに、由実ちゃんがハマっている?
鈴のような声で『悠兄』と紡ぎ、頬を桜色に染めながら手を振ってくれていた、あの、由実ちゃんが?
「えーっと、あったあった。この人知ってる?」
俺の動揺などお構いなしに、俊哉は「ほら」と画面を向けて、
「"カイ"っていうらしいんだけど」
表示されていたのは、一枚の写真だ。
スラっと通った鼻筋に、薄い唇。丁寧に整えられた眉はキリリと直線を描き、シャープな顎先がスマートさを漂わせる。
俺よりも短い黒髪は無造作に跳ね上げられているが、硬派キャラなのか、ネクタイは首元までキッチリと締められている。
なる程。確かに、女子好みの"イケメン"だ。
「なんでも凄い人気らしくてね、なかなか予約が取れないんだって。平日ならまだ空きもあるらしいんだけど、由実も学校があるから」
俊哉は肩を竦めながら、申し訳なさそうに「それでね」と続け、
「ユウちゃんがもし知り合いだったら、口利きして欲しかったみたいなんだけど……」
「……」
(そうきたか)
由実ちゃんも、俺がこのバイトをしている事を知っている。『同業者なら、もしかしたら』と考えたのだろう。
中々イイ読みだと感心する一方で、物寂しさに肩が下がる。
(由実ちゃんもしっかり成長してんだな……)
会う度外見は成長を表しているというのに、どうにも幼い頃の印象が抜けないままでいた。なんだか、一気に時の流れを感じる。
ここで『任せとけ』と言えたなら、"兄"としてせめてもの格好くらいついたのだろう。が、残念ながら俺の知り合いに繋がりそうなツテは無い。メイドの知り合いも数人いるが、特別親しい訳ではない。
由実ちゃんの希望には、出来る限り応えてあげたいが。
「悪いけど……」
断ろうと口を開いた瞬間、突如カーテンが開かれ、現れた影がひょこりと画面を覗き込んだ。
「あ、カイさんだー」
「っ!?」
「あいりっ!」
(ビ、ックリした……!)
大きく跳ねた心臓を抑えながら、反射で崩れた姿勢を戻す。
原因の種は顔も上げず、画面の人物に「わーカッコいいー」と目を輝かせている。
(驚かすなよ! って、それよりも……!)
「お前、もしかして知り合いか!?」
「え、まさか。全然ですよー」
「だって、名前」
「むしろリサーチ大好きユウちゃん先輩が知らなかったことに驚きですー。この人めちゃめちゃ有名ですよー?」
「そう、なのか?」
「はいー。あ、オムライスプレートお待たせしましたー」
飽きられたら終い。常に変化を求められるこの界隈では、現状を保つにも、常に情報戦だ。
(そんなに有名なヤツなのか……)
男装界隈は完全にノーマークだった。急いでスマートフォンを操作し、『秋葉原 男装 カイ』と検索をかける。
直ぐに表示されたのは、先程俊哉に見せられた画像だ。加えて、勤め先のプロフィールページやまとめ記事、更にはファンの子達が書いたと思われる賞賛記事がずらりと並んでいた。
(……スゴいな)
予想以上。ここまで認知されているということは、だたの"器量良し"ではないのだろう。ヒトの心を掴む術も、しっかり心得ているはずだ。
この界隈は、顔が綺麗なだけでのし上がれる程、簡単な世界じゃない。
ふと、俺の脳裏に一つの策が掠めた。
(これは、逆にチャンスかも)
「……決めた」
手にしていたスマフォを机上に下ろし、ニヤリと口端をつり上げる。客の前では絶対にしない笑い方だ。
俊哉は不思議そうに首を傾げ、
「決めたって、何が?」
「俺、コイツと"オトモダチ"になるわ」
「え?」
「つっても、ツテがないからな。まずは客として近づくしかないか」
「ちょっ、ソレって」
「わー、ユウちゃん先輩イイかおー」
俺の性質を理解している時成は、面白いことを言い出したと茶化すように手を叩いた。
一方、脳内処理が追いつかないのだろう俊哉は眉に困惑を映し、俺と時成の顔を交互に見て、
「おともだちって、"カイ"さんと?」
「他に誰がいるんだよ」
「でも、そんなわざわざ、由実の為に。俺、そんなつもりで、言ったんじゃ……!」
広い肩幅を小さくし、視線を落とす俊哉。まったく。コイツの考えそうな事なんて、簡単に見当がつく。
大方、俺を利用してるみたいだとか、迷惑をかけているだとか、そんな類だろう。
仕方ねえな。俺は苦笑気味に息をつき、
「あのな、何年俺の幼馴染やってんだよ。確かに由美ちゃんにいいトコ見せたいってのもあるけど、"カイ"さんとコネクションを作んのは、あくまで俺自身の為だからな」
勘違いするなと腕を組み、俺は言葉を続ける。
この図体がデカいだけで勘の悪いワンコには、キチンと理解させないといけない。
「男装と女装っていう違いはあっけど、商売としての根本は同じだからな。手っ取り早くスキルアップするには、実際、お客にウケてる奴から盗むのが一番なんだよ」
「先輩、"オトコの娘"界隈では上のほうですもんねー」時成が相槌を打つ。
「まあな。そろそろ女性客ももっと増やしたいって思ってたトコだったし。そういった意味でも、"カイ"はおあつらえ向きだな」
重ねた理由を理解したのか、ゆるりと上げられた顔。
「ユウちゃん……」
言いたい事は理解は出来たが、納得は出来ていないという所だろう。向けられた瞳は未だ不安が色濃く、眉間には不服そうな皺が深い。
けれどもう、決定事項だ。
物言いたげな表情にニヤリと笑い、「それに」と続ける。
「有名人とお近づきになっとけば、どっかで役に立つかもしんないしな?」
「どちらかっていうと、それがユウちゃん先輩の一番の本音ですよねー」
時成がわざとらしく「コワイコワイー」と肩を竦めてみせる。俺は否定も肯定もせずに、無言で微笑んでやった。と、時成は逃げるように「オムライス、お絵描きしてもいいですかー」と俊哉のオムライスプレートへと目を逸らした。
エプロンの前ポケットに入れていたケチャップボトルを掴みだし、皿の上で逆さにしてからぐりぐりと動かす。
暫くそうしてからだった。今だ当惑したままの俊哉に気づくと、時成は小さく吹き出し、
「いいんじゃないですかー? おれなんかより俊さんの方がよくわかってると思いますけど、一度決心したユウちゃん先輩は止められませんしー。暫くは上手くいくよう、見守るって事でー」
「……そう、だね」
眉尻を下げつつも、息をついて了承を示した俊哉。
時成はにこりと微笑み、「はい、出来ましたー」と俊哉の前へお絵描き済みのプレートを戻す。
「……クマ、かな?」
「……ネコちゃんですー」
「あ、ごめん!」
しょんぼりと告げられた回答に慌てて取り繕う様は、すっかりいつもの俊哉だ。
ひとまず一件落着か。
手助けしてくれた時成を、「ありがとな」と胸中で礼を述べつつ見遣る。伝わったのか、俊哉の目を盗んでこっそりとウインクを寄越してきた。
やっぱり出来た後輩だ。だからつい、頼ってしまう。
「先輩のオムライスには既にお描き済みですー」
「そうだな。さっきから得体の知れない生物がすっげぇ見つめてきてる」
「うさちゃんです!」
「何十回も描いてんのに、なんで上達しないんだろうな」
「知りませんよー」
クスン、と泣いたフリをする時成は無視して、ウサギという名のアメーバが描かれた卵をスプーンで崩して一口。
当店定番のオムライスは特別美味しいという訳ではないが、家庭的でほっこりとする味わいが人気だ。
甘めのチキンライスを咀嚼しながら、俺は「さて」と頭の中で算段を立て始める。
(まずは、"カイ"さんとやらに接触しないと。そのためには……)
「"エスコート"とやらの予約をしないとだな」
呟いた俺に、「でも」と時成が小首を傾げる。
「そんなに上手くいきますかねー? 噂じゃ狙ってる人、けっこう多いみたいですよー」
「そうだよね……。由美の話しだと、通いつめてる人もいるみたいだし。そう簡単に友達になんて……」
(……まったく)
二人共、誰に向かって言っているのか。
「愚問だな」
置いたスプーンが陶器と擦れ、カチャリと小さく音をたてた。
俺はゆっくりと足を組むと、髪をかき上ながら不敵に微笑み、
「こんなにカワイイ"オトコの娘"なんだ。楽勝だろ」
男だけど、女の子のようにカワイイ。彼女を取り巻くどの女子よりも、確実に興味を惹く筈だ。
二人は面食らったように瞠目したが、直ぐに呆れたような笑みを浮かべた。それでも、否定は返してこない。
言えないのだろう。だって俺は、現に"カワイイ"から。
一息ついた空気に、俺は時成を見上げながら親指でホールを指差し、
「よし、取りあえずあいらはいい加減ホールへ戻れ」
気づけば随分と引き留めてしまった。
すっかりくつろいだ様子だった時成は、不満げに口を尖らせる。
「えー、お客様とコミュニケーションをとるのもお仕事ですもーん」
「ここは十分だろ。あっちのホールでお前を待ってるお客様もいる」
「ふぁーい……」
時成は渋々とケチャップボトルをポケットに戻し、代わりに伝票を机へ伏せ置いた。
開いたカーテンをくぐると、クルリと向き直り、
「またねー俊さんー」
手を振る時成につられるように、俊哉もぎこちなく手を振り返す。時成は満足げに微笑み、俺に簡単な会釈をしてからカーテンを閉じた。
足音が去って行く。が、これは、また頃合いを見て来るつもりなんだろう。
(ったく、次来た時は早めに追い返さないと)
嘆息しつつも、"また来る"という点については許容してしまう俺も甘い。
仕方ないだろう。カワイイ後輩のカワイイ我儘には、目を瞑ってやりたくなるのが先輩のサガってもんだ。
(……ま、場合によっちゃあアイツの協力も必要になるだろうしな)
こんな言い訳が浮かんでしまうのも、また。
「俊哉」
「ん?」
「食ったら作戦練るから、お前も協力しろよ」
「え、あ、もちろん!」
頷いた俊哉を確認して、オムライスを口へ含む。思考は再び、攻略法を模索し始めた。
やるからには完璧に、が俺のモットーだ。
(覚悟してろよ、"カイ"さん)
目指すは権力拡大。それと、ささやかな副賞に由実ちゃんの笑顔を。
縦長のグラスを掴み、ストローを咥える。
画面の中から柔和な笑みを向けてくる敵を指先でつつき、黒と白の混ざるラテを一気に吸い込んだ。