第1話
そして10年の月日が経った。
アレクはいわゆる天才というやつだった。その上努力を惜しまない天才は、弱冠14でーー2年前だーー難関と恐れられる騎士試験を1発で通り、現在では第2騎士団の副団長にまでなった。団長には貴族や騎士爵しかなれないため、平民上がりとしては最も高い位であったし、2年で副団長とは異例の速さである。
だが、それでも彼は焦っていた。
戦争が無いのだ。本当に無いと言うわけでは無いのだが、彼が両親を亡くして教会で預かられる切っ掛けとなった隣国との戦争はその時以来硬直している。睨み合いのままなのだ。多少の小競り合いはあっても、1人が大きな功績を上げられるほどの物では無い。
そして第2騎士団の将軍には近衛騎士への試験を勧められてもいる。だが、それを受けてしまうとキャシーと結ばれることは難しくなってしまう、と思っていた。都合良くアレクが当番の日に、都合良く暗殺者でも現れて、やんごとなき身分の方々の目に止まりでもすればまた話は変わるのかもしれないが・・・。都合良くだなんてこんな事、口に出したら完全に不敬罪である。王やその一族を守護するーーつまるところ王城内部に拠点を置く近衛では功績を上げるのが難しいと思っていたし、またそれが事実であった。もうアレクは子供では無い。金で爵位を買うという行為が裏で普通に行われている事は知っていた。賄賂で位の高い貴族に引き上げてもらったり、金に困った木っ端貴族の名前を買い取ったり。だがしかしそんな大金は無い。
そして自分の中から、あの可愛らしい少女の姿が薄れていっている事もアレクの焦りを加速させていた。アレクも有名にはなった。彼のその実力を見聞きし、是非私兵にと引き抜こうとする貴族も多数居た程だ。
それなのにも関わらず、彼女からの連絡は1度たりとも無かった。
アレクはその時点で、もう既に自分の事など忘れられて居るのだろうと思った。それに、彼はモテるのだ。
顔は悪くなくむしろ良い方であり、若く、それでいて経済力もある。平民上がり故に市井の者には優しく評判は良い。おまけに特定の相手は居ないと来たら年頃の娘達にとってはこんな優良物件は他にない。英雄譚に憧れる貴族の令嬢らの茶会でも名前が挙がるほどに。
10代で結婚するのは普通で、22過ぎたら行き遅れなこの世の中。もしかしたらキャシーはもう嫁いで行って居るのではないか。許婚が居る貴族だって珍しくない。
アレクは、もう諦めかけていた。
たった1つの、それも幼き頃に交わした「やくそく」
もうきっと、あんな孤児なんて忘れられている。
「結婚かぁ…」
いつもの王都内の見回りの任務中に、アレクとペアのダンが呟いた。
「俺はもう無理かもしれないな」
ダンだって顔は良いのだ。実力もある。結婚が無理だなんてそんなことは決してないのだが、彼の性癖に問題があった。
「幼女趣味は程々にしなよ、ダン。しかも罵られたいだなんて…」
そう、彼はその変態的かつ身の丈に合わぬ妄想癖の所為で婚期を逃しかけていた。
「わぁわぁわぁ!こんな昼日中にそんな事言いふらさないでくださいよ!捕っちまう…ってこっちが捕まえる側でしたね。ーーそういやアレク副団長こそ、フロン伯爵でしたっけ?その令嬢様と結婚の約束だなんて。そんな、なんて言い方は失礼ですけど、そんなガキの頃の口約束で一生ふいにしちゃダメですよ」
「あぁ、分かってはいるんだけどね。今じゃもう、顔も殆ど思い出せないんだ。声だけが耳に残って……って悲鳴だ!何処だ!」
「こっちです!恐らく…第2!門の方です‼︎」
王都には4つの大通りと都外に出る門が3つある。大きな通りから1、2、3、4と名が付き、第1大通りのみ外に向かう門は無く、城門へと続いている。その第2大通りと言ったらこの国のメインストリートだ。あそこは大手の商人や貴族なども出入都する、有る意味危険な場所であり、安全な場所でもあった。
ガシャガシャと鎧の擦れる音を立て現場に到着すると、そこには不運にも貴族の馬車の前を通り過ぎてしまった子供が、貴族の私兵に殴りつけられていた。よくある事と言う程では無いが、貴族の怒りに触れれば下の階級の者達は白でも黒くなる。
言いがかりが通ってしまう。
それにしても、あの私兵、何処かで見たような…。
「はいはい、第2騎士団でーす。ちょっと通してくださいねー」
思案を遮る声に振り向くと、身体の大きなダンは人混みに飲まれていた。
その間の抜けた声に気が付いた私兵は、チッと舌打ちをすると中の貴族に伺いを立てた。
「あぁ、やっと抜けた。酷いですよ副団長、置いて行くなんて」
副団長、の言葉で周囲がザワついた。あれがアレックス副団長か、まだ16なんですって、などとアレクの耳に聞こえてくる。
「ダン、上手いことやったな。だが僕をダシに使うのはやめてくれ」
周囲や貴族の私兵など、それらの空気を二言で変えてしまった。
「なんのことでしょうか?副団長様」
「まったく…」
と、その時貴族の馬車から怒声が上がった。マズいと身構えたが、どうやら怒鳴られたのは私兵の行動らしい。そして貴族自ら馬車を降りた。ザワついていた民衆はピタリと声を止めた。そしてその貴族は子供に声をかけ、金貨を1枚渡した。そして馬車に戻って行った。先程の行為は私兵の勝手な行動だったようだ。
「副団長、あれ、フロン伯爵でしたね」
道理で見覚えがあると思った。あの私兵は僕の頬をぶん殴ったやつだった。
「あぁ、そうだね。さて、貴族相手じゃ僕らもいろいろ言えないし、あの子に声をかけてから戻ろうか」
そう言うとアレクは動き出す馬車をチラりと見て子供に声をかけに行こうとした。待て、今視界に映った金髪は。
振り返ると、馬車は既に何処かで曲がったのか視界に映る範囲にはいなかった。