仲間
リフトを降りた場所で彼を待っていた。リフトで上がってきた人からも、こちらからもすぐに気付ける場所に陣取った。片方だけのストックを握りしめて、一人で悶えていた。奈々を睨むようにして言う。
「なんであんなことしたのよ。恥ずかしいよ。なんて言えばいいのかわかんないよ」
「なんでもいいんじゃない? 親切そうだったし大丈夫よ。ねえ、沙織はどう思う? イケメンかな?」
部外者ですと言わんばかりの気楽さで、沙織と話し始めた。
「どうかな? 顔は全然見えないけど声は素敵だと思う。さわやかな感じだったね」
「あーやっぱり。さわやか君だよね」
いきなり奈々が嬉しそうにニヤニヤして私を見る。
「ねえ、いい人だよね?」
「さっきからなんなの? 何が言いたいのよ?」
まあまあと私をなだめるような仕草をする。
「さっきの人。いい人だよね?」
「いい人だったよ。すごく親切だったよ」
ぶつかってしまったあの時の、彼の対応を思い出すとあったかい気持ちになる。優しい気持ちになれる。
「カッコイイよね? さわやかでさ?」
「うん、すごくカッコイイ。憧れてしまう」
彼の滑っている姿は、ほんの少ししか見てないけど鮮烈に残っている。彼のいろんな滑りを見てみたいと思った。
「じゃあさ、コクッちゃう?」
「はあ? いきなりなに?」
奈々の正気を疑ってしまう。沙織も同じように驚いた顔で奈々を見ている。
「ねえねえ、コクッちゃう? コクッちゃいなよー」
そう言って奈々は馬鹿笑いを始めた。あまりのことに二人してポカーンと奈々を見つめてしまう。そのうち沙織まで笑い始めてますます訳が分からない。
二人の笑いが収まるぐらいになってようやく思い出す。『今度、いいなって思えてカッコイイ人ならコクッちゃおっかなー』自分で言った言葉だった。思い出してしまうと恥ずかしくてたまらない。
「何よ、二人して笑ってひどいよ」
そんなふうに三人で騒いでいるときに、急に後ろから声をかけられて、びっくりしてしまう。
「お待たせー。このストック君のだよね?」
急いで振り返って、持っているもう片方のストックを見えやすいように掲げて、慌ててお礼を言った。いきなりすぎたから、考えるよりも先に言葉が出てた。
「ありがとうございます。ほんと度々すいません」
「そんなのいいよ。さっきコブのところで会ったよね。にぎやかでいいなあ。リフトから手を振ってるのに、全然気付かないんだもんな」
相変わらずフェイスマスクをしているから表情はわからないけど、楽しげに笑う。彼の言葉を聞いて、奈々が会話に入ってくる。
「あの、今日は一人なんですか? もしよかったら少し教えてください。すごく上手で驚きました」
少し迷っているように見えた。奈々が私を肘で突っついてくる。心の中で頑張れ頑張れと唱える。
「あ、あの、どーしてもコブを上手くなりたいんです。も、もし迷惑でなければお願いします。さっきはすごくカッコイイと思って……」
自分で言った『カッコイイ』に、つい先ほどのやり取りを思い出して言葉が続かない。顔も熱くなってきたような気がして焦ってしまう。
「カッコイイか、そんな風に言われたら断れないよね。男としてはさ」
スキーのコーチを引き受けてくれたので、さっきのコブ斜面に向かうことになった。とりあえず近くのリフトに乗って、さらに上へと移動する。一番左端に彼が座って、そのすぐ隣が私、次に沙織、奈々の順に座った。肩が触れるぐらいの距離に座ったから、なんか恥ずかしくて彼の方を向けない。おまけに動くと身体がぶつかってしまいそうで、身動きもできずにいた。そんな私が窮屈そうに見えたのか、さりげなく身体を左に寄せてスペースを作ってくれた。
「頑張ってるけど、何か理由でもあるの?」
そう聞かれて、彼の方を見る。うん、この距離ならそんなには緊張しなくてすむ、と思えてリラックスして話すことができた。手短に事情を説明する。
「君なら大丈夫だと思うよ。もっと下手な奴が、一級受かったの知ってるから」
「えっ、そうですか? やったあ! でもでも、絶対に落ちたくないんで特訓なんです」
この頃になると緊張もほぐれてきて、どんどん会話がはずんでいった。
「これしてると俺の声、聞こえにくいよね? 付けてるのが癖になってるから」
そう言ってフェイスマスクを外して、ジャケットの内ポケットに片付ける。そうしてこっちを向いてにっこり笑う。一番離れている奈々が、彼の顔をじっくり見ながら言う。
「大丈夫、しっかりと聞こえてまーす。でも、ない方が話しやすいです」
「あ、やっぱり」
そう言って楽しそうに笑っている。そんな彼をそっと見つめる。
あの、ぶつかってしまったときと同じ笑顔があった。沙織や奈々にはゴーグルの中までは見えてないだろう。笑顔を独り占めしているような気がして、優越感のようなくすぐったいような気分になった。
奈々がハイハーイと元気に手を上げる。みんな一斉に奈々を見た。
「話しやすくなったことだし名前教えてください。名前知りたいです」
ナイス奈々! そう思って奈々を見ていたら、こっちに振り向いた沙織と目が合った。たぶん沙織も同じ気持ちなのだろう、二人でこっそりと笑い合う。まるで呼吸を合わせるようにして、振り返って彼を見た。意外なことに、彼は悩んでいた。悩んでいるように見えた。
「俺は……。俺は雄太。雄太って呼んで、呼び捨てで」
こんな字だよって、空に指で書いて見せる。
いきなりすぎて困ってしまう。私が動揺したのに気付いたみたいで、笑顔が陰ってしまった。
「ダメかなぁ? 絶対にダメ?」
そんな風に言われちゃうと断れない。
「そんな絶対ってわけでは……」
「俺さ、今日久しぶりのスキーだったんだ。スゲー楽しくてはしゃいで滑ってたんだけど、途中からなんかつまんなくてさ。ずっと一人だったから寂しいのかな? いっつも仲間に囲まれてたから、一人が心細いのかな?」
自分の心に問いかけるようにして、考えながら話す。
「やっぱスキー嬉しい、楽しー、最高、って喜び合えないのが寂しいのかも。だからさ、仲間になってよ、今だけでいいからさ。呼び捨てだと仲間って感じがするから。雄太って呼ばれたら仲間になれた気がするからさ」
そう言って照れながら笑う。そんな彼を見ていると、大勢の仲間とはしゃいでいる姿が想像できた。ずっと一人だったら、私だって同じように寂しくなっただろう。
「雄太!」
「お、おうっ!」
「あたし奈々。奈々って呼んで」
びっくりして沙織と二人で、奈々をまじまじと見てしまう。私には真似できないことをサッとやってのける奈々がうらやましいと思った。
「よろしく奈々。短い間だけど、仲間嬉しいよ」
奈々と雄太が楽しそうに笑い合っている。何とも言えない感情がムクムクと湧き上がってくる。奈々に負けたくないって強く思った。
「美香です。美香って呼んでほしい。雄太の仲間だよ」
雄太は左のこぶしを私の前にスッと差し出した。私は右のこぶしをゴツンと合わせる。
「ありがとう美香。やっぱり仲間って最高だよな」
沙織のことがすごく心配だった。あまりにも無理すぎる展開だと思ったから、私から雄太に説明しようと思っていた。
「ゆ、雄太。わたし沙織です。さ、沙織って呼んでください」
沙織の顔は真っ赤になっていたけど、まっすぐに雄太を見てはっきりと言う。
「沙織サンキュー」
雄太も沙織をまっすぐに見て、優しく笑った。
呼び方が変わると雰囲気もぐっと変わってくる。奈々なんてほとんどタメ口になっている。緊張なんてしなくて、すごく盛り上がる。奈々もいいタイミングで助け舟をだしてくれたし、沙織まで援護射撃してくれた。的外れなところが沙織らしくて余計に盛り上がった。リフトが上に着くころにはすっかり打ち解けていた。
沙織と奈々にはコブ斜面を迂回してもらって、下で合流することにした。
「じゃあ沙織のこと、お願いね」
「了解、沙織行こう。あたしら邪魔だってさ。二人ともお幸せに」
「美香ちゃん、練習頑張ってね。下で待っているね」
二人は初級中級者のための迂回路をゆっくりと滑っていく。
「それじゃあ、こっちも頑張ろっか」
「うん、行こう」
雄太の教え方は、実にシンプルで簡潔だった。今の私に出来そうなことだけ教える。それが出来たら、『いい感じだね、次行ってみようか』だし。出来なかったら『そっか、じゃあ後回しでいいや。こっちはどうかな?』だし。最初はこんなんでイイの? って思っていたけど、だんだんと滑りが変わってくる。なんというか料理のレシピみたいな感じだ。何種類ものさまざまな調味料を足していくことで、味が整っていくあの感じに似ている。コブを攻略するのに必要な要素を積み重ねていくことで滑りが変わっていくし、できることが増えたりもする。なんか不思議。今の私に足りてないもの、必要なものをスッて差し出してくれる。
「美香ってすごいな。教えるとすぐ出来ちゃうんだな。才能だなー。うらやましいな」
「教え方がいいからだよ。雄太のこと、ますます尊敬してしまう」
「あ、でもモーグルに近い滑り方だから検定のときは、もっと大袈裟なアクションのが受けがいいかもよ。まあよく知らないんだけどね」
そう言って笑いながら、身体を大きく大袈裟に動かして手本を見せてくれる。ふと気付けば下に沙織と奈々が見えた。大きく手を振って合図する。
「雄太、合流しなきゃ」
「待たせちゃ悪いもんな」
二人に合流してからは、沙織と奈々にも教えてくれた。二人にも同じように、それぞれに合うやり方でアドバイスする。出来そうなこと、足りないもの、次へのステップに必要なもの、それらを吟味してシンプルな言葉にして教えてくれる。もちろん私にもアドバイスしてくれた。
「ねえ、そんなの大変じゃないの? それぞれレベルも違うし、モチベーションというか目標みたいなものも違うし」
教えてくれるのはありがたいけど、雄太のことが心配になってしまう。そんな私の問いにさらりと答える。
「そんなでもないよ。どちらかっていえば楽しいよ。個性の違いが見ていて飽きないしさ。それに対応できるか力量を問われているみたいで、やりがいあるよ」
そう言って笑うと、沙織と奈々を追いかけていく。
雄太の滑りは上手かった……けれど、それ以上に変だった。ヘンテコだった。コース脇にある雪の壁に、すごい勢いで滑ってきて、そのままの勢いで駆け上がっていく。ウソなに? ってビックリしていると、そのまま頭から転がり落ちてくる。他にもコース脇の新雪に頭から飛び込んで行って雪まみれになったり、わざと転んでスライディングするみたいにスキーウエアで滑ってみたりと、とにかくまともに滑っていない。新雪に突っ込んで自分だけじゃ脱出できなくて、私たち三人がかりで助け出したこともあった。
あーあれだ! 雪遊びしてるガキンチョ。目をキラキラさせて、雪の中を駆け回るやんちゃ坊主。飛んだり跳ねたり、横向きや後ろ向きで滑ったりと、少しもじっとしていない。いつだって面白そうなものを探してきょろきょろしてる。
「ねえ、雄太っていつもあんなアホなことしてんの? まさか仲間も一緒にやってるの?」
「おう。たいてい2、3人は突っ込んでくるな。危うくひき殺されそうになったことあるし。美香もやるんだったら注意しろよ」
「そんなことしないよ。ひき殺されそうって! 相当いかれてるよ!」
「あ、やっぱり」
そう言って本当に楽しそうに笑う。
最初はあまりのメチャクチャさに、ドン引きしてしまった。どれほどカッコよく滑るのかと期待していただけに、雄太のやることは期待外れなんてもんじゃなかった。でも慣れてしまうと次は何するんだろうとワクワクして、雄太のことを目で追ってしまう。それに時々だけど、すごくカッコイイ技を決める。だから余計に目が離せないって思ってしまう。
「おっ、雄太。次あれいってみよー」
「うっしゃー。いっくぜー」
調子に乗った奈々の声に、即座に反応して雄太が突っ込んでいく。
沙織までもが、一緒になって盛り上がっている。
「次はあれ、あれやってみて。雄太がんばれー」
「まかせろやー。おりゃー」
一人で転げまわる雄太、それを見て笑い転げる私たち。真面目に練習したり面白おかしく笑い合ったり、そんな楽しい時間はあっという間に過ぎていく。動いていると汗ばむほどだった日差しも、ずいぶんと弱くなっていて、気づいてみれば太陽もずいぶん低い位置にあった。時たま吹いてくる風も冷たくなっていて、日没が近いことを感じさせた。集合時間が迫っていることにとっくに気づいていたけど、雄太とのさよならが寂しくてずるずると粘ってしまっていた。
それももう限界で、宿舎まで戻るのに沙織のペースだとそれほど余裕がない。しきりに奈々が目配せしてくる。
「ねえ、雄太。私たち戻らないといけない時間なの……あの、だから」
私らしく元気よく言いたいのに、言葉が途切れてしまう。
「そっか、うん、すごく楽しかった。美香、沙織、奈々、最高の仲間に出会えた最高の一日だった。みんなありがとう」
そう言いながら笑う、雄太の笑顔だって寂しそうに見えた。
無駄に元気なのが私の数少ない取り柄、だから元気よくさよならをしたくて、短く感謝の気持ちを伝えた。
「雄太のおかげで自信がついた。検定頑張る。私も最高に楽しかったよ」
「今日はスキーが楽しかったし好きになったよ。雄太ありがとう」
「また一緒にスキーしたいね。またね雄太」
手を振りながら去っていく雄太が、見えなくなるまで手を振った。雄太が小さく消えていく姿を見ていたら、初めて会ったときのあったかくて優しい気持ちを思い出して、切ないような苦しいような気持ちになった。
「やっぱり嫌だよ。このままもう会えないなんて嫌だよ。雄太を追いかけてみる。沙織、奈々、先に行ってて。間に合うように戻るから」
「わかった。沙織は任せて」
「美香ちゃん気を付けてね」
雄太が消えていった先へ向かって、振り返りもせずに滑り出した。どこへ行ったかなんてわからないし、追いつけるかもわからなかった。
でもなぜだか、会えるような気がしていた。確信にも似たような強い思いがあった。二度も出会って、そして仲間になったんだよ。ねえ、雄太。私たちは仲間なんだよ。




