出会い
ロッジでお茶した後で、沙織と奈々が言ってくれた。
「沙織ともうしばらく休むよ。悪いけど美香だけで、滑っていてよ。後で合流するからさ」
「ごめんね。思ってたよりも疲れてるみたい」
スキー検定の練習のために言ってくれたことはすぐに分かった。だからお礼を言ってすぐにロッジを飛び出した。今回を逃したら練習するチャンスは、当日のわずかな時間くらいしかない。ロッジを出てリフトに向かう。ロッジの中から小さく手を振る沙織に気づいて、大きく手を振り返した。よしっ、がんばるぞ。苦手な不整地の練習をするため、コブ斜面に急いで向かった。
急な斜面を一気に駆け降りる。ぐんぐんスピードが上がっていく。身体を大きく傾けて、雪面にエッジを食い込ませるようにしてターンをする。凍える山の大気を切り裂くようなイメージを思い描く。
やっぱりスキーの楽しさはスピードなんだと思う。スピードを出して感じるスリルと興奮が本能を直撃するような感覚がある。決して暴走ではなく、コントロールしていく。意のままに操り雪山を疾走する快感がある。
何度か練習するうちに、それなりに滑れるようになってきた。これだけ滑れれば一級合格は大丈夫だと思える。でもリベンジするからには、もっと余裕で受かるくらいにしたい。
だけどコブは難しい。簡単な場所なら滑れるのに、ほんの少し難易度が上がっただけで滑れなくなってしまう。少しスピードが出過ぎたり、リズムが変わったりしただけでコントロールできなくなる。どうしてもうまくいかない。何が駄目なのか何が足りないのか、早く上手くなりたい気持ちから無理をしてしまい、暴走して人にぶつかってしまった。
「わわわわーっ。どいてー」
「うわーっ」
その人がかろうじて避けてくれて大事にはならなかった。早く起き上がって謝らないと、そう思うのにジタバタするばかりで起き上がれない。
「ごめん。大丈夫だった?」
ぶつけられた相手は、こっちが悪いのにそう言って、私に手を差し出してくれた。それなのに、その手をつかもうとして思わず躊躇してしまった。ミラーコートのゴーグルにフェイスマスクまでしていて、顔がまるで分らなかったからだ。すぐに自分の失敗に気づいたけどもう遅い。
でもその人は、私の失礼な態度にも気分を害する様子もなく、差し出した右手はそのままに、左手でフェイスマスクを首まで下げて、にっこり笑って言う。
「そうだった、ごめん。はい手、どーぞ」
慌ててその手をつかむ。グッと力強くでも優しく引っ張ってくれた。私がしっかりと立っているのを確認してから、握っていた手を放してくれた。
「ありがとうございます。あの、ぶつかってごめんなさい」
急いでお礼とお詫びを言った。そうやって手を握っている距離だとゴーグルの中の顔が見えて、そこには穏やかに優しく笑う、笑顔があった。
「ほんとすいませんでした」
頭を下げて改めて謝ると、その人は手を上げて仕草でいいよと示す。
「俺も悪かったんだから、もういいよ。君が練習していること知ってたのに、ちゃんと注意していなかった。俺も不注意だったんだ。お互い怪我がなくてよかった」
私を安心させようと、笑顔を見せてそんなことを言う。そんな彼の気持ちが伝わってきて、男らしくていい人なんだなって思った。そんな風に相手を気遣えるのってすごいって思った。
それなのに私は……自分が恥ずかしくなった。
いかにも流行り感たっぷりの派手な色のウエアをルーズに着ていて、おまけにフェイスマスクで顔を隠した悪ぶったやんちゃな若者。お父さんに言わせたら『派手なだけの馬鹿者』。彼を見た最初のイメージはそんな感じだったから。
見た目だけで人を判断してしまった自分が情けなくてしょんぼりしてたら、彼はさらに気を使ってくれたのかアドバイスまでしてくれた。
「余計なおせっかいかもしれないけど、ここをこんな感じでイメージするとうまくいくよ」
そう言いながら滑って、手本をみせてくれた。
なにこの人、めちゃくちゃ上手い。思わず見とれてしまう。
「少し見てたけどテクニックに自信がある人ほど、コブをねじ伏せようとするクセがあるんだよ。そこを注意するだけでも違ってくるよ」
思い当たるふしがあった。なるほどと聞き入ってしまう。思い切って訊いてみた。
「他にも直すべき所とか欠点とかありますか? あれば教えてください」
彼は少し考えてから、私の姿を上から下まで見て答える。
「ひょっとして基礎系をやってる?」
「はい」
「基礎系に限らないけど、スキーは後傾姿勢を嫌うでしょ? だから逆に前傾姿勢がきつくなり過ぎるんだよ。上体をちょっと被せるようなイメージってあるよね? コブだとあれが邪魔になるんだ」
そう言ってその姿勢をやってみせてくれる。そこから背筋を軽く伸ばして胸を張る。
「どう? モーグルっぽくなったでしょ?」
そう言ってこちらを見て笑う。そしてそれぞれの姿勢で滑って見せてくる。私も同じように滑ってみる。そんな時に下の方に、沙織と奈々の姿が出てきた。遠すぎてはっきりとは見えないけど、ウエアの色で分かる。大きく手を振って合図する。向こうも手を振る。
「友達?」
「はい、そうです。後で合流するって約束してたんです」
もっと教えてほしい……だけど、二人を待たせちゃ悪いし……
「そっか。邪魔しちゃ悪いね。それじゃ練習頑張って」
止める間もなく、彼はそう言うと手を上げて去って行く。びっくりするようなスピードで滑っているのにコブのリズムの変化にも瞬時に反応していて、上体がまったくバタついたりしていない。まるでモーグル選手みたいだった。
めちゃくちゃカッコイイ! そう思いながら後ろ姿を見送った。
奈々と沙織に合流するために滑り出す。彼の教えてくれたことを、しっかりとイメージして丁寧に滑るように心掛ける。少しでも彼の滑りに近づきたいと思った。
下にいた二人も彼を見ていて、口々に訊いてくる。
「なに、あの人凄いね。美香、教えてもらってたの?」
「スキーってすごいね。あんな風に滑れるんだね」
もうとっくに見えなくなっていたけど、彼の消えていった方を見ながらつぶやくように答える。彼のイメージが鮮烈に残っている。
「うん、すごく上手ですごく親切な人だったよ。アドバイスもしてくれた。あんな風に滑りたいって思ったよ。なんか憧れてしまう」
奈々がすかさず切り込んでくる。
「なぁに、もしかしてずっと一緒にいたの? あたしたち邪魔しちゃった?」
奈々の声に少し茶化すような感じがあるのを感じて、嫌な気持ちになった。じろりと顔を見てからぷいっとそっぽ向く。今のこの気持ちを茶化されたくないと思った。
「嫌だ、教えないよ! さっさといくよ」
そう言って先に滑り出してしまう。もちろん沙織を置いていけないのでゆっくりしたペースでだけど。冬の冷たい空気のなかをしばらく滑っていると、頭が冷えて冷静になる。私の練習のために快く送り出してくれたことを思い出して反省する。振り向いてみると、奈々は離れたところをちんたら滑っている。
「おーい奈々、早く、次行くよー」
大きく手を振って、大きな声で呼ぶ。沙織も一緒に手を振ってくれた。気づいた奈々は即反応してこっちに向かってくる。
「ヤホー、早く来ないと置いてっちゃうよー」
私たちのそばを駆け抜けていく。瞬時に切り替えて即反応、そんな奈々に呆れるのを通り越して感心してしまう。沙織と一緒になって追いかけていく。
リフトに乗ってから、さっきのことを二人に話した。
「うーん、ほんとにお邪魔虫だったんだねぇ」
「もっと休んでいればよかったね」
そんなことを言う二人に訊いてみる。
「あんなときはどうすればいい? 教えてって言って迷惑そうにされたらショックだよ。立ち直れない。二人が来なくたって言い出せなかった」
「なんで? そんなの向こうの都合だってあるでしょ? 断られたって普通だし仕方ないよ? ねぇ?」
奈々はそう言いながら沙織の顔を見て、同意を求めるように首をかしげる。
「私もそう思うよ」
「だけど、ずうずうしい女だって思うよ。きっと」
「美香ちゃんの話を聞いた限りじゃそんな感じしないけど?」
沙織はそう言った途端に驚いた顔でゲレンデを指さす。
「あれ、さっきの人だよね?」
確かに彼だった。ブルーというよりは空色をした綺麗な発色の真っ青なジャケットに、鮮やかなチャートイエローのパンツはかなり派手で遠くからでもはっきりとわかる。私たちの乗っているリフトの下を通過していくようだった。
すると奈々がいきなり私のストックを奪うと、下に投げ落とした。彼に向かって叫ぶ。
「すいませーん。それ拾ってくださーい。私の友達のなんですー」
突然のことで抵抗する間もなかった。滑っていた彼はすぐに気付いて、落ちているストックとこちらをすばやく確認して、手を振りながら大きな声で返事をしてきた。
「オッケー。上にもっていくよー。上で待ってて、すぐ行くから」
奈々が知らん顔してるので仕方なく、片手に残っていたストックを振りながら答える。
「すいませーん。お願いしまーす。待ってまーす」
彼はストックを拾い上げると、スピード出して滑っていった。
「ちょっと、何するのよ」
そう言って奈々をにらむ。まったく悪びれる様子がないどころか、むしろ得意になって言う。
「いい作戦でしょう? 運命の再会を演出してあげたのよ。確かに親切な人だね。あたしならスルーするもん」




