合宿
真っ暗な中で目が覚めた。カーテン越しの光すらない。ドアをノックしながら声をかけてくるお母さんの声で、意識が急速に覚醒していく。
「美香、早く起きなさい。スキー合宿に遅れるわよ」
その声に反応して、ガバッと起き上がりカーテンを開ける。外はまだ真っ暗だ。すぐにまたカーテンを閉めて明かりをつける。あくびを噛み殺しながら用意をする。
「お母さん、おはよー」
「おはよう。早く食べてしまいなさい」
挨拶もそこそこに、急いで朝ご飯を食べて玄関を出る。
「お父さん、おはよー。今日は一段と寒いね」
真っ暗な空を見上げていたお父さんが、振り向きながら言う。
「おはよう、美香。今日、晴れるといいな。さっ荷物を積んでしまおう」
身を切るような寒さの中、お父さんに手伝ってもらい荷物を車に乗せてすぐに出発した。学校に着いてもまだ暗いままだ。校門前には大型バスが何台も並んでいて、合宿への期待が高まっていく。荷物を持って集合場所に向かいながら、自分のクラスを探して合流する。
バスに乗り込んで席につくと、やっと落ち着けた気がした。ようやく明るくなり始めた街の中を、バスが走っていく。車内の暖かさとゆるゆるとしたバスの振動が、早起きからくる眠気に拍車をかける。バスが高速に乗るころには、みんな眠っていた。
バスが高速を降りるころには、すっかり雪国の風景になっていて、周りのみんなも起きだしたみたいでバスのあちこちから歓声が上がる。
雪景色を見慣れているはずの私も興奮してしまって、窓側の席でまだ寝ている沙織においかぶさるようにして景色を見ていた。真っ白な世界が遠くの山々まで続いていて、スキーに来たんだなと実感する。
「ねぇ、雪だよ、雪、雪。沙織、雪だってばー」
そう言って沙織の肩をゆすっていたら
「雪、雪、うるさいわ」と脳天をチョップされた。
「いったーい!」
そう叫んで、後ろの席から覗き込む奈々をにらんだ。お互い長い付き合いなので遠慮がない。
「緊張して眠れなかったかもしれないんだから、起こすな」
うっ、そっかぁー、と思ったのは確かだけど……なんか悔しい。
「わ、私だってあんまり眠れなかったよ。一緒だよー」
「美香のは興奮、沙織は緊張してなの。一緒じゃない!」
さらにチョップされた。頭を手で押さえながら、ぶつぶつ文句を言っていたら、起きてきた沙織が優しくフォローしてくれた。
「大丈夫だよ。この前スキーを教えてもらって練習してから、今日の合宿がすごく楽しみになったの、美香ちゃんのおかげ。誘ってくれてありがと」
ですよね? ですよねー! って奈々をみたら、あれれっ? まだ何か?
「あの時も沙織が心配でついて行ったら案の定、あたしの時と同じ。おじさんはスパルタすぎるし、美香も大丈夫、大丈夫って……全然大丈夫じゃなーい!」
「この、体育会系のスパルタ親子がぁ!」
ガスッ、ガスッとチョップが二発。い、痛い。ほんと痛い。
奈々とは小学四年からの付き合いで、わりと家が近いせいもあり、お互いの家によく遊びに行ったりする。明るくてにぎやか、人見知りしない性格なので男女の区別なく友達が多い。遠慮ない性格だけど、細やかな気配りを忘れないのが奈々のいいところだ。
中学のバスケ部を引退してから髪を伸ばし始めて、肩近くまで伸びたのが嬉しいらしく新しい髪型を試すのがマイブームになっている。
「あたしは中一の時だったんだけどさ、ほんとあの暴走親子が……」
奈々はまだ言い足りないのか、沙織を相手にあれこれ言っている。
なんて失礼な! そんなの大げさに言っているんだから本気にしちゃだめだよ、って沙織に言おうとしていたのに、沙織が小さくうなずいて、奈々に相槌を入れてる。
「そうそう、美香ちゃんのそんなところスパルタだよねー」
そんな……沙織まで……。二人の会話に○○親子って言葉が何度も……何度も……。
お父さんと一緒にされるのは絶対に嫌だ! 今度からは気を付けよう。
そうやって騒いでいる間にも、バスはどんどん山を登っていく。標高が上がるにつれ、道路わきの雪壁の高さが増していく。まるで切り落としたかのような、真っ白な壁がどこまでも続く景色に、驚きの声があちこちから聞こえる。目の前が急に開けると、そこはもうスキー場だった。
部屋割りは沙織と奈々が一緒で、私は別の部屋になってしまった。残念だけど仕方ない、さっさと自分の場所を確保したらスキーウエアに着替えて、二人を呼びに行く。
「おーい、用意できた?」
ドカーンとドアを開けて部屋に入る。ドアの近くにいた友達が声をかけてくる。
「なに? もう行くの?」
「そうだよー。沙織、奈々、はーやーくー」
あきれ顔の友達に返事をしつつ、二人を急がせる。
「奈々と沙織も災難だねー」
そんな言葉を背中で聞き流し、二人を従えるようにして廊下を突き進む。すれ違う友達が話しかけてくる。
「美香、えらく早いね。もう?」
「うん。ちょっと練習したいこともあるし、とにかく早く滑りたいから」
「あ、なんか言ってたね、スキーの試験があるとかって」
「そう、来週なんだ。それじゃあね」
お互い手を振って別れる。そうしてまたずんずんと廊下を進んでいった。
外に出ると閑散としていて、生徒はまだ誰もいなかった。すぐに陸上部顧問の森島先生がやってきて、話しかけてくる。手には生徒名簿らしきものを持っていて、チェックしているみたいだ。
「あら篠村さん、ずいぶんと早いのね。三人とも自由行動なのかしら? ちゃんと滑れるの?」
よくぞ聞いてくれましたとばかりに私が答える。
「スキー検定二級持ってまーす」
「パラレルくらいなら」
「ボーゲンなら……」
沙織の返事を聞くと、森島先生は少し顔を曇らせる。
「守川さん大丈夫? 無理そうだと思ったら戻ってきなさい。途中参加でもちゃんと教えるから」
「はい、わかりました」
沙織のしっかりした返事を聞いた先生は、明るい声で言う。
「よし、それじゃあ三人とも気を付けてね。集合時間は厳守よ。いってらっしゃい」
「はーい、いってきまーす」
三人で声を合わせて返事をした。
ゲレンデに出た私たちが最初にすることは、スキー場のあちこちに設置してある、ゲレンデ案内マップを見つけることだ。マップで行先を決めてからリフトに乗る。初めて来たスキー場でやみくもに行動すると、沙織には危険すぎるゲレンデに出てしまうかもしれないからだ。奈々と丹念にチェックする。幸いにして初級中級者向けのコースが多いみたいで、少し安心した。
リフトからだと遠くまで見渡せる。真っ白なゲレンデを色とりどりのウエアを身にまとったスキーヤー、スノーボーダーたちが思い思いのシュプールを描きながら滑っていく。
「ねえ、あそこに見えるロッジでお茶しようよ」
沙織が指さす先にあるのはリフトに乗らないと見えない、かなり高いところに建っているログハウス風のロッジだった。こじんまりとした造りの建物だからか、赤い屋根が映えておしゃれな雰囲気がある。
何度か滑ったから近くのコースは頭に入っているけど、あのロッジは遠いからと見てなかった。案内マップを思い浮かべながら、奈々と相談しようか迷ったがあっさり諦めて奈々に振る。
「ねえ、奈々。ルートわかる?」
「多分、一度下に降りてゴンドラに乗らないとダメだと思う。自信ないけど」
奈々も同じらしく、首をひねっている。すると沙織が目の前の景色を、指で指示しながら、ルートの説明を始めた。
「まずはあのリフトに乗って……それから……あそこで……」
よほど確信があるらしく、よどみなく説明していく。二人して沙織をまじまじと見てしまった。それに気づいた沙織が慌てて言う。
「何回も確認したから、間違ってないと思うよ」
奈々が首を振りながら、笑って答える。
「そうじゃなくて、なんか積極的な沙織に驚いただけ。ルートはあってると思う」
「そうそう、びっくりしただけ。あそっか、さっきから私と奈々だけで行先決めて、沙織の意見聞いてなかったね。ごめん」
気づいてみれば失礼な話だ。反省しなきゃと奈々と顔を見合わせる。
「そうじゃないの。マップ見て相談してる二人の様子を見ていたら、なんだかスキー場がおっきな3D迷宮みたいに思えてきたの。そうしたらまたスキーが楽しいなって思えてきて、こっそりロッジまでの道を探していたの」
そう言って楽しそうに笑う沙織を見て、私たちも笑った。
リフトを降りて案内マップを探す。見つけて我先にと、三人で突撃していった。




