帰り道
私の通う高校は雪の降らない地域にある。しかし冬になるとスキー合宿がある。これは一年生と二年生が参加するイベントになっていて、三年生は受験を控えた時期なので、怪我などの事故を避けるために不参加になっている。学校の生徒のほとんどが、まったくの未経験者、もしくは数回しかやったことのない初心者ばかりなので、かなりの不人気イベントだ。学校でスキー合宿の話が出るたびに、怖い、行きたくない、憂鬱だー、なんて声があちこちから聞こえる
私がスキーをやるようになったきっかけは、中学のスキー合宿だった。それまでスキーをやったことがなくて、みんなと同じような気持ちだった。合宿に対する不安な気持ちを家で話したら、お父さんが教えてくれることになった。大学時代はスキーのインストラクターをしていて、ある事情で辞めたらしい。すぐに特訓を始めたから合宿のときには、それなりに滑れるようになっていた。
まあそんなわけで中学一年で始めた私も、高校一年生の今ではかなりの腕前なのです。もともとスポーツならなんでも得意で、走るのも泳ぐのも速いし、球技だってすぐにコツをつかんで上手くできた。前は寒いだけの冬が嫌いだったのに、スキーをやるようになってからは、冬が来るのが楽しみで待ち遠しくてしょうがない。
つい先週も沙織を誘って行ってきたばかり。
「今度の日曜スキーに行くんだけど、沙織も一緒に行こうよ」
「わたしスキーやったことないから……怖いし……」
沙織は目を伏せるようにして言葉を探している。
「私だって最初はそうだったよ。でも大丈夫、すぐ滑れるようになるから。ねっ、そんなに難しくないから大丈夫だよ」
「でも美香ちゃんみたいに運動神経よくないから……」
自分の席に座ったままで、両手をもじもじさせている。目も伏せたままの沙織が可哀想になってきた。近くの空いた椅子を持ってきて沙織の前に座ると、沙織の両手を包み込むようにして握る。
「お願い。沙織と行く合宿がほんとに楽しみなの、一緒にスキーがしたいし一緒に笑いたい。同じように沙織にも思ってもらいたいの。私のわがままな独りよがりかもしれないけど、一緒に楽しんでもらいたいの」
沙織からの反応を待ちきれずに重ねて言う。
「ねっお願い、ちゃんと教えるから。ぜったい滑れるように教えるから、ねぇお願いだよ」
「うん、わかった。スキー行くよ」
そう言ってやっと笑ってくれたのが嬉しくて、握った手をぶんぶんと振る。
「ありがとー。今度ケーキ奢るから。クレープも奢るから」
「そんなのいいよ。美香ちゃんの気持ちが嬉しかったから、行きたいって思ったんだから」
「なぁに? スキー行ったらケーキとクレープ奢ってくれるの? ならあたしも行く」
いきなり奈々が割り込んでくる。
「さっき誘ったとき、いかないって言ったじゃない」
「ねぇ沙織はどこのケーキがいい? あたしクレープは駅前にあるクレープ屋の新メニューが気になってるんだけど」
私を無視して沙織に話しかけている。
「私は沙織に言ったの。奈々には言ってない」
結局クレープを奢ることになった。こんな時ばっかり便乗してくるんだから。
でもこれで沙織と自由行動ができると思うと嬉しかった。まったく滑れない人は先生の指導を受けることになっているので焦っていたのだ。
合宿前日、放課後のホームルームはかなり騒がしかった。明日からの合宿についての連絡や注意が終わって、先生がいなくなるとすぐに帰り支度をする。教室に残ったままで声高に盛り上がるクラスメイト達をすり抜けて、沙織と奈々に声をかけようとしたけど沙織がいない。探しに廊下に出たら案外すぐそこにいて、隣のクラスの男子と話しているのが見えた。仕方なく沙織が教室に戻ってくるのを、おとなしく待つことにした。
冬の日暮れは早い。いつもなら真っ暗になっている帰り道も、部活が休みの今日はまだ明るい。奈々の提案で河原を通って帰ることにした。車がめったに通らないので、道いっぱいに広がって気楽に会話を楽しめるのがいい。考えることは皆同じらしく、大勢の生徒が歩いているのがみえる。冬だけあって河原を渡ってくる風は冷たいけど、赤く染まる夕焼けの空を見ながら合宿の話で盛り上がる。
「あー、明日からの合宿楽しみ。どんなスキー場かな?」
「あー、美香のそのセリフ聞き飽きた。どんなんだっていいでしょうが!」
さもうんざりといった様子で奈々が答える。それくらいでめげないのが、私のいいところ。
「だって次の技術検定、同じスキー場で受けるんだよ。気になるでしょ! 今度こそ絶対受かるって決めてるんだから」
前に一級を受けたのは中学二年の時で覚悟はしてたけど、落ちたのはかなりショックだった。中学三年の冬は高校受験を理由にほとんど連れて行ってもらえなかった。だから今年は一発で合格したいと思っていた。
「スキー検定って、下見とかしてあると有利なの?」
沙織からの質問で、改めて考えてみる。
「あーどうだろ? あんまり関係ないかも」
私の答えるのを聞いて奈々が突っ込みを入れる。
「そらそうでしょ。それに美香はインストラクターになるつもりないんでしょ?」
「そうなの? 美香ちゃんはインストラクター目指しているんだと思ってた」
沙織にはまだ説明してなかったと思い至って、簡単に説明する。
「私も初めは目指せインストラクターって感じだったんだけど、なんか面倒で大変らしいの。お父さんも暇のある大学生だからできただけで、仕事しながらは無理って言ってた」
「ええっ? インストラクターって仕事じゃないの?」
沙織の疑問は深まるばかり。沙織の頭の中を飛び交う?マークを想像して少し楽しくなった。私だって最初はそうだったし、奈々もそうだった。奈々が後を続けて言う。
「歩の悪いバイトとか、ただの趣味みたいな感じらしいよ。あんなに遠いバイトってありえない」
「でもイントラのバイトがある日は、ただでスキーができるってお父さんが言ってたよ」
少しは納得できたみたいで、うんうんとうなずいて聞いていた沙織が、急に困った顔になって聞いてきた。
「あれ?じゃあなんで美香ちゃんはスキー検定をそんなに頑張っているの? てっきりスキーのプロ? みたいなのを目指しているんだと思ってたよ。美香ちゃんてもう将来のこと考えて、頑張っていてすごいんだよってお母さんに話したら、しっかりしていて偉いわねって……わたし、お母さんに嘘言っちゃった」
そんなこと話したの……。嘘って次元じゃなくて、恥ずかしいよ。
「グッジョブ沙織、そのネタ最高! 美香が将来を考える? 最高!」
そう言ってゲラゲラ笑いだす奈々。おなかを抱えてヒーヒー言いながら、笑い転げているかと思えば急に黙り込んで、沙織に向かって親指を立てた手を突き出してウインクする。
「グッジョブ……」
堪え切れなくなってぶーっと噴出してまた笑い出す。
勝手に一人で笑ってろ! 沙織を促して、馬鹿笑いしてる奈々置いて歩き出す。ためらっていた沙織も馬鹿笑いに同調する気はないらしく歩き出す。
「前に受検して落ちた時ショックだったから、リベンジしたいの。それに目標あるとやる気が違うしね」
「目標かぁ、美香ちゃんらしいね」
「でも一級受かったらそれ以上は止めとく。受検料も高いみたいだし、何か新しい目標を見つけて頑張るつもり」
何も知らないでお父さんの勧めるままに技術検定を受けてきたけど、インストラクターを目指すつもりがないのなら不必要な出費は避けたいと思う。お父さんはがっかりするかも知れないけど、スキーの道具もリフト代もかなりの金額だから気になっていた。
「あー腹痛い。最近まれにみるヒットだったよ」
ようやく笑いが収まった奈々を、私たちは立ち止まり振り返って待つ。お腹をさすりながら私たちに追いついてくる。ずいぶん日が陰ってきて暗くなり始めたので、明るい光を放つアーケード商店街へ向かう道へと進路を変える。商店街に近づくにつれ人通りが増え活気を感じる。
ふと思い出して沙織に訊いてみた。
「あっそうだ、さっき田代君と何話していたの?」
沙織は男子が苦手なのでクラスの男子とだって、あんまり話をしない。だからさっきの光景はそれなりのインパクトがあった。それに田代君はうちのクラスの女子からも、人気のあるイケメン君だったし。
沙織はちょっと困ったような顔をして言う。
「明日のスキー、一緒に滑ろうって誘われたの」
「えっ、そうなの」
そうなのかと少し残念に思った。前から約束していたし、沙織と奈々の三人で滑るのが、本当に楽しみだったから。
「あっでも大丈夫だよ。美香ちゃんと奈々ちゃんと約束があるからって、先に約束したからって断ったから」
「えーっ、そうなの?」
さすがにびっくりして、沙織の顔を見てしまう。そんな私の反応がよほど意外だったのか笑顔のままで、ん? といった感じでわずかに首をかしげている。でも私たちを優先してくれたのは素直に嬉しかった。
「そんなの気にしなくていいのに。私たちはそんなの気にしないよ? ねっ?」
そう言いながら奈々をみたら、なんでかな? ビミョーって顔してこっちを見てる。
「えっ、なに? 奈々何か知ってるの?」
はぁーやれやれ、といった顔で奈々が言う。
「相変わらずだねー。美香は鈍すぎー!」
沙織が慌てて言う。
「あ、あのね。少し前になるんだけど田代君に付き合ってくれって言われたの……。断ったけど……」
うそ! マジで? 何にも知らないんですけど? なんで奈々だけ知ってんの?
そんな気持ちが顔に出たみたいで私が何か言う前に、奈々が先に口を開く。
「沙織から聞いたわけじゃないからね」
えっ?
「そんな噂があったの。その時に沙織の様子を見て、そっかぁ! って思っていただけ。それだけ」
そう言ってしまうと、ぷいっと横を向いてしまう。
少し落ち着いて考えれば沙織がそんなこと、言ったりしないってわかる。奈々だってそんなことは、私にだってしゃべったりしないだろう。だけど二人が知っていて、私だけが知らなかったっていう事実に少なからずショックを受けた。
さみしくて悲しいって思った。だからなのかな? 普段なら言えないような言葉が出ていた。
「わ、私だって恋くらいするよ……。い、今は、いいなって思える人がいないだけで……」
ふぅーん、というような顔してこっちを見ていた奈々が急に優しく微笑んで言う。
「美香は少し子供っぽいけど、そこが可愛いんだよ」
沙織も微笑んで、奈々に負けられないとばかりに言う。
「美香ちゃんのそんなとこが好き」
可愛い、好き、なんて言われて嬉しくなって喜んでいたら、また二人して笑う。
「今度、いいなって思えてカッコイイ人ならコクッちゃおっかなー」
そんなことを言って、ますます二人に笑われてしまった。恥ずかしすぎたからネタにしてしまった。




