第五十三話 再会の約束
今回は、最終決戦に向けた準備です。前作のキャラがちょっとだけ登場します。
今日のヒーリングタイムは、ソルフィが一般客全員に術をかけ、強制退場してもらってから、臨時休業にした。討魔の道に関係ある者以外、店には誰もいない。
「……そうですか……由姫さんが……」
美由紀は悲しそうに呟く。輪路達も、なぜ光弘が未だに廻藤家の守護霊としてこの世に留まっているのか、聞いていた。今後の戦いに関係のあることだからだ。
輪路達が二百年前の時代にタイムスリップした時には偶然会わなかったが、少し前から光弘はある男の幽霊と知り合いだった。男の名前は、新部秀樹。かつて最強の存在となるために討魔士を目指し、志半ばで戦死した。最強を目指していたため、最強の討魔士である光弘の存在に興味があり、光弘は死してもなお最強を目指す彼を成仏させようと、日々対話を試みていた。
思えばこの時、光弘は力ずくにでも秀樹を成仏させるべきだった。
ある日、邪神帝を身に纏った一人の悪霊が現れたのだ。光弘はそれに苦戦しつつも、変身者の魂が限界を迎えて消滅したため、事なきを得た。
だが、光弘すら苦戦させる邪神帝を見て、秀樹が黙っているはずがない。この力があれば、今度こそ自分は最強になれる。そう思った秀樹は邪神帝を受け継ぎ、悪霊となった。邪神帝の憎悪に負けて理性を失い、襲い掛かってきた秀樹との戦いで絶体絶命の窮地に追い詰められた時、由姫が光弘を庇って殺害されたのである。
「俺は秀樹を強引にでも成仏させなかったことを心の底から後悔した。そして、絶望した」
もっと早く自分が手を打っていれば。いくらそう自分を責めたところで、全ては遅かった。
しかし、奇跡が起きた。魂だけの存在となった由姫が光弘を叱咤激励し、必ず邪神帝を破壊するよう約束して、冥界に逝ったのである。絶望から立ち直り奮起した光弘は究極聖神帝となり、歴史に残る結果となった。
「だが俺はしくじった。以降、俺は後継者が必要だと思ったんだ」
邪神帝の力は光弘の想像以上だった。ここでようやく光弘は、討魔士としての自分の後継者の必要性を痛感したのだ。しかし今まで散々渋ってきたせいで、喜助を自分と同じ次元まで育成するには遅すぎた。
「だからボクが、光弘を守護霊に変えたんだ」
そこでナイアが話に割り込む。己の寿命が近いことを感じていた光弘は、ナイアの提案を聞き入れ、自分の望みを未来の後継者、輪路に託すことにしたのだ。
「邪神帝を破壊したかったなら、そのまま冥界に乗り込めばよかったのでは? 究極聖神帝にもなれますし」
美由紀はもっともな質問をした。だが、それにはちゃんとした理由がある。
「俺は死者だ。一度冥界に行けば、現世には戻れない」
死者が一度冥界に行けば、門を開かない限り現世への帰還はできない。冥界にいると、いつか別の命に転生してしまう。宇宙の千倍以上の広さの冥界の、どこにあるかもわからない邪神帝を探し出すなど、さすがの光弘でも不可能だ。生前に一度冥界に言ったことがあるが、目印も何もない荒野である。唯一目印となる邪神帝の力も、他ならない光弘がかなり削いでしまったため、目印としては使えない。向こうが出てきたところを叩くしかなかった。
しかし、二百年後の未来で、邪神帝は頻繁に輪路達と接触しているという情報を事前に得ている。だからこその賭けだった。今後のことも考えて、輪路を邪神帝すら打ち倒せる最強の討魔士に鍛え上げる。そのために、守護霊となったのだ。
「そして、俺が由姫との約束を果たせる日は近い。あと二週間で、邪神帝を使う者の居城までの道が開くんだ」
輪路は光弘にとって、凄まじいと思えるほどの完成度を得た。そして、できることなら邪神帝破壊の戦いに、自分も参加したい。だから参入を申し出てきた。
「……輪路兄。父様が言っておられることは本当じゃ」
「母様は、邪神帝に殺されたんです……」
「私達、目の前にいたのに、何もできなくて……!!」
麗奈達三人は、無念の悔し涙を流している。まだ幼かったのに、目の前で母親を惨殺される光景を見せつけられたのだから当然だ。
「邪神帝オウザは、廻藤の一族にとって、二百年前から続く因縁の仇敵なんですね……」
彩華は呟いた。輪路が聖神帝として覚醒し、邪神帝と戦うことになったのは決して偶然ではない。二百年前から決まっていた、必然だったのだ。
「……すまねぇ光弘。悪いんだが、殺徒は俺に倒させてくんねぇか?」
「……何?」
「あんたがどれだけの想いを背負ってこの世に残ってきたのか、俺には全然わからねぇし想像もできねぇ。できるはずがねぇよ。ここでわかるって言うやつは、わかってなんかいねぇ」
輪路の言う通りだ。ここでわかると言う者は、わかっているように見えて、実は何もわかっていない。二百年という時間が、死者にとってどれだけ長い時間だろうか。そんな長い時間の中、来るべき時まで己の想いを焦がし続けるという行為がどれだけつらいか。そんなこと、わかるわけがない。ここでわかるという言葉をかければ、それは同情でも気休めでもなく、冒涜になる。
「俺にわかるのは、そんな思いをしてでも、やり遂げなきゃならないってことだけだ。その上で、俺はあんたに頼みたい。殺徒と俺との戦いに、手を出さないでくれ。お前らもだ」
輪路は光弘と、周りにいる者達に、殺徒と一対一で戦わせて欲しいと頼んだ。
「そんな、どうして……」
「あの幽霊はものすごく強いよ。輪路お兄ちゃん、わたし達が入らなかったら負けてたでしょ?」
茉莉と七瀬は疑問を抱いた。究極邪神帝となった、オウザはとんでもなく強い。究極聖神帝のレイジンが、危うく敗れかけるほどにだ。そして二週間後、さらに強くなって現れるだろう。そんな相手に一対一の戦いを挑むなど、あまりにも馬鹿げている。
「……白宮のことだな?」
だが、光弘はわかっていた。守護霊でもあったので、輪路と一緒に見ていたのだ。殺徒と黄泉子の息子、光輝を。
「ああ。あいつと直接話をしたのは、俺だ。その時に、あいつの両親は俺がどうにかしなきゃって思った。だから……」
光輝に殺徒と黄泉子のことを話せば、間違いなく苦しむ。だから話すことなく、自分の手で終わらせようと決めたのは、輪路だ。その気持ちを曲げたくない。誰かにその役目を任せたくない。
「……すまない。お前の気持ちをもっと考えるべきだったな。わかった。お前に任せる」
光弘はあっさり折れた。元々自分は死者だし、輪路に任せようと思ってもいた。割って入った理由は、邪神帝が想像以上に強化されており、輪路一人では勝てないと思ったからだ。
「黄泉子は、翔。お前に任せてもいいか?」
「……気を遣っているつもりか?」
黄泉子は翔にとって、母を殺した仇である。翔に因縁の深い相手だ。
「復讐をさせようってわけじゃねぇ。けど、お前もけじめ、着けたいだろ?」
「当然だ。お前が駄目だと言っても、俺は奴の相手をするつもりでいた」
翔もやる気でいる。黄泉子の相手については、光弘も翔で構わないと思っていた。
「だが、今のままの実力では奴らに通じないぞ」
「わかってるさ。そこであんたに、もう一つの頼みがある。俺を、俺達を鍛えてくれ」
もう二度とあんな姿にはならない。次の戦いで確実に仕留める。そのために、輪路は光弘に師事することにした。輪路よりも遥かに強く、そして多彩な技の数々を持つ光弘に鍛えてもらえば、今度こそ黒城一派に勝てるはずだ。邪神帝も強化されていたが、決して撃破できない相手ではない。
「わしらも鍛えてくれ!」
「今の私達じゃ、まだあの人達に勝てないから……」
「お願いします!」
麗奈、瑠璃、命斗も頼んだ。黒城夫妻と戦えば、死怨衆も必ず出てくる。先ほどの戦い、麗奈達は露払いをするという意味合いで戦ったが、まるで通じていないことを実感した。次に戦うまでに、もっと強くならなければならない。
「よしわかった。全員まとめて、面倒見てやる」
「これは私達も負けていられませんね!」
廻藤の一族とその戦友が決戦に向けて意識を高める中、なぜか彩華が対抗意識を燃やした。
「なんでお姉ちゃんが対抗してんのよ?」
「確かに黒城殺徒は、この街に門を開くと言いました。ですが、それだけだと思いますか? 絶対にたくさんのリビドンを送り込んできますよ」
「……あっ……」
茉莉は納得した。今までだって、黒城一派は現れる度に、大量のリビドンを送り込んできた。今度も絶対に、同じことをしてくるだろう。自分達ではとても邪神帝に敵わないから、せめて麗奈達と同じように、露払いのために戦おうというのだ。
「……そういえば、奴らは邪神帝を強化するために、とてつもない数のリビドンを集めたと言っていたな。最終決戦に向けて、さらなるリビドンの収集を行うだろう」
「そうだったんだ……それ絶対に、ただ集めて終わりってことはないよね?」
「間違いなく戦力に転換してくる」
ソルフィは殺徒達が究極邪神帝を説明した現場にいたわけではないので、今初めて事情を知ったわけだが、集めたリビドンをそのまま門を通して現世に流し込んでくるのは明白だった。
「じゃあ会長にこのことを報告しなくちゃ!」
「そうだな。会長に協力を仰ぎ、早々に戦力をこの街に集結させなければ」
輪路達が親玉を倒して戻ってくるまで、リビドンの侵攻を食い止める役が必要になる。残ったメンバーだけでは、いくらなんでも頭数が足りなすぎる。アジ=ダハーカとの戦いのように、協会の総力を結集しなければならない。
「あたいも頑張らなきゃね。神浄界が奴らにも通用するってわかったし」
究極邪神帝には通じなかったが、死怨衆には通じた。死怨衆クラスに通用するなら、それ以下には効果てきめんだ。少なくとも、死怨衆と同等のリビドンが出ることはないだろう。殺徒達が門を開くまでにもっと修行して、神浄界の持続時間を伸ばす必要がある。
「これで方針は決まったな。じゃあ、早速始めようぜ。何せ二週間しか時間がないんだからな」
輪路が言い、全員は行動を開始した。
「みんな、前に向かって進んでるんですね……私にも、何かお手伝いできることがあればいいんですが……」
美由紀は歯痒かった。彼女にも、封印の神子としての凄まじい霊力がある。しかし、力があってもそれを活かす術がない。
「あなたが帰りを待っていてくれること。それがみんなにとって、そして私にとって一番嬉しいことよ」
「お父さん?」
「私も戦うわ。ブランクが長いから、みんなと同じようには戦えないかもしれない。だが、今度こそたった一人の娘を、守らなくちゃな」
もうアジ=ダハーカの時のような目には遭わせない。今度こそ、美由紀を守り抜いてみせる。佐久真はそう誓った。
「……ありがとう。お父さん」
トラウマを抱えながらも再び立ち上がってくれた父に、美由紀は礼を言った。
*
翔は修行をする前に一度ソルフィとともに本部に帰還し、シエル達に今回の件を全て報告した。
「もう一度、秦野山市に協会の全戦力を集結させて下さい。この戦いに、世界の命運が懸かっています」
「……わかりました。可能な限りの戦力を、再び秦野山市に集めましょう。ダニエル、シルヴィー。あなた達もいいですね?」
「異論はありません」
「私もです」
二人の幹部も、快く引き受けてくれた。
「それと、今回の作戦は私も参加します。今まで以上に危険で、絶望的な戦いになりそうな予感がするんです」
そして第四次世界大戦や、アンチジャスティスとの最終決戦、アジ=ダハーカ戦と同じように、シエルも参加するらしい。今挙げた三つの戦いと同じだ。黒城一派との決戦には、世界の命運が懸かっている。
「ありがとうございます!」
「急ぎ廻藤達にも伝えます」
「そうして下さい」
翔とソルフィは礼を言い、会長室を退室した。
「しかし、こうも立て続けに世界を巻き込む戦いが起きるとは……」
「ええ。まるでこの世界の悪そのものが、何かに対して焦っているみたい……」
ダニエルとシルヴィーは違和感を感じている。伊邪那美の復活やら乙姫の復活やら、短い期間に世界が滅びかねない事件が立て続けに起こり続けているのだ。こんな事態は協会の歴史が始まって以来、一度もない。初めての事態だった。
「……ただの偶然とは、思いますが……」
シエルは呟いた。
*
輪路は戻ってきた翔とともに、光弘と修行をしている。
「どうした!! 究極聖神帝の力を得たくせに、その程度か!!」
光弘は銀獅子丸でシルバーレオを受け流し、片手の手刀で輪路の背中に一撃入れる。その後、間髪入れずに翔が挑みかかり、光弘は蒼天を体刀を使った左手で、烈空を銀獅子丸で止めた。
「ぬるい!!」
「がっ!!」
すぐに光弘は翔の顔面に頭突きを喰らわせて倒す。
「お前達!! 俺が殺す気でやっていたらどっちも死んでいたぞ!! そんなもので黒城の馬鹿どもに通用すると思うのか!! 気合いを入れろ気合いを!!!」
「くっ……おう!!」
「はい!!」
光弘に激を飛ばされ、二人は返事をしながら立ち上がって、再び挑む。
一方、麗奈、瑠璃、命斗達は、三郎と修行していた。
「さて……封印を解くかね」
「「「えっ?」」」
封印を解く。そう言ったことに、三人は同じ反応をする。三人を無視して翼を広げる三郎。すると、突然目の前に勾玉が出現した。
「こいつは八尺瓊勾玉。平常時に余計な力の消耗を避けるために、勾玉の形にして異界に封じた俺の力の大半。つまり、俺の半身ってわけだ。で、こいつを俺に戻すと……」
三郎は勾玉を取り込んだ。すると、三郎の身体が光り始め、光が治まった時、そこには背中から二枚の翼を生やす、初老の男がいた。
「こうなる」
男は三郎の声で言った。どうやら、これが三郎の本来の姿らしい。見た目が変わっただけでなく、妖力も百倍以上に跳ね上がっている。
「足は二歩しかないが、どうやら、叔父上らしいな」
「すごい……三郎叔父さんに、こんな力があったんだ……」
三人は驚愕している。この事実を知っているのは、光弘と由姫だけだ。
「じゃあ始めるぞ。お前らの全力を俺にぶつけてこい」
言うが早いか、三郎の姿が消える。そして、瑠璃が蹴り飛ばされた。
「あうっ!!」
「瑠璃!! 大丈夫か!?」
麗奈は蹴り飛ばされた瑠璃を抱えた。命斗は凄まじい速さで動いた三郎を警戒し、妖刀宿儺を構える。
「この姿に戻ったのは数百年ぶりなもんでな。ちょっと力が有り余りすぎて、やりすぎるかもしれねぇ。だから、お前ら気を付けろよ」
また三郎の姿が消える。しかし、警戒していた命斗は素早く反応し、背後に向けて宿儺を振った。
「お、やるじゃねぇか」
三郎の腕は鎧のように硬質化した羽に守られており、宿儺の刃は一ミリも食い込んでいない。しかし、本当にとんでもない速度だ。今輪路達は、全員に五十倍の重力が掛かる三郎の結界の中にいるというのに、当の三郎の動きはまるで鈍っている感じがしない。
「黒翼旋風!!!」
「あああああっ!!」
三郎の周囲に突風が逆巻き、三郎の背中から散った無数の羽が舞い、刃のように命斗の全身に切り傷を付けた。
「三眼閃」
「ぐぅっ!!」
三郎の背後に三つの勾玉が出現し、襲い掛かろうとしていた麗奈を迎撃した。
「体術だけじゃなく妖術も使え。でないと、俺に勝つのは無理だぜ?」
不敵に笑う三郎を見て、麗奈達は今更ながらに思い出した。三郎は、あの光弘や輪路とともに戦うことができるほどの、大妖怪なのだということを。
「茉莉!! もっと強く打ち込んで下さい!!」
「わかってるわよ!!」
鈴峯家の道場で、彩華と茉莉は本気の組み手を行っていた。輪路達の修行にはとてもついていけないが、彼女らなりに修行をして、少しでも彼らとともに戦えるようにしようと頑張っている。
「はぁぁぁぁっ!!!」
七瀬もナイアを相手に、霊力を操る技術を磨いている。
(気分はどうだい? あと少しで世界が滅ぶかもしれないって戦いに巻き込まれた気分はさ)
七瀬の修行に付き合いながら、ナイアは賢太郎と話をしている。
(……正直言って、かなり怖いです。でも……)
(でも?)
(それ以上に、僕は彩華さんと茉莉ちゃんを、守りたいって思ってます。僕にできることはありませんか? もっとナイアさんの力を高めるとか)
今のままでは、ナイアでも力不足だ。彼女の力を強化する方法はないかと、賢太郎は尋ねる。
(あるよ。君の身体をもらうことだ)
それは、賢太郎の肉体を代償にすることだった。賢太郎は一度欠損した自分の肉体に、ナイアの肉体を融合させることによって超身体能力を得ている。残っている人間の肉体をナイアに差し出し、ナイアの肉体に作り替えることで、さらなる力を得られるのだ。
(じゃあ、左腕! 僕の左腕を、ナイアさんにあげます!)
既に右腕と両足がナイアの肉体になっている。あと賢太郎が差し出せるのは、左腕だけだった。
(ずいぶん簡単によこすね。一度ボクの肉体に変われば、もう元に戻すことはできないんだけど、わかってるのかい?)
一度左腕を差し出せば、その時点で左腕は供物となり、ナイアの栄養として消化されてしまう。だからこそナイアの細胞も強化されるのだが、そうなってしまえば最後、もう二度と人間の肉体としては戻ってこない。差し出せば差し出すほど力は強化されるが、逆に人間からは遠ざかってしまう、一種の契約なのだ。
(構いません! なんなら全身でも!)
(ストップストップ。それ以上もらったら、君は完全に人間じゃなくなっちゃうよ)
左腕がなくなったら、残るは頭と胴体だけだ。それはさすがにまずい。第一、そんなことをすればナイアが賢太郎を乗っ取ることになってしまう。それはしないと誓っている。
(オーケー。わかったよ)
「七瀬ちゃん。ちょっとストップ」
「っ!」
ナイアを相手に攻撃していた七瀬が、攻撃をやめる。そして、
(僕の身体を、ナイアさんに……!!)
(君の肉体を、ボクへの供物に……)
その間に賢太郎が、自分の左腕をナイアへと捧げた。
一度自分の身体の一部が人間のものではないと聞いた時から、今までは感じていなかった違和感を感じていた。言われてみると、確かに違うのだ。右腕と左腕で、動かす感覚が全く違う。まるで、片方が違う生き物であるかのようだった。そしてその感覚が、一瞬の痛みの後、二つとも同じになった。左腕もまた、違う生き物のものになったのだ。同時に、今まで以上の力のみなぎりを感じる。
(これで、守れますよね? みんなのこと)
(……正直言って、これでもまだ足りない。全盛期のボクの力が残っていたとして、黒城殺徒には敵わなかっただろう。だが、心配はいらないよ。廻藤輪路がいるからね)
ナイアからの返答を聞いて賢太郎は思った。ああ、やっぱりあの人には敵わないんだなぁと。でも、そんなことは関係ない。
(なら僕は、僕にできる範囲で、みんなを守ります!!)
(君一人にやらせはしないさ。ボクも協力するよ)
三人は特訓を再開した。
一方、伊勢神宮。
「やっほー明日奈。修行、手伝いにきたよ」
久々に、松室暦が訪れていた。理由は、明日奈から連絡があったからだ。彼女も明日奈と同じく、神浄界が使える。二人で力を合わせれば、明日奈の神浄界の完成度は上がるし、実戦でも高い効果が期待できる。
「来てもらったばっかりで悪いけど、早速付き合ってもらうよ。時間がないからね」
明日奈は急かす。そんな様子を見て、暦は微笑んだ。
「あんたがここまで巫女としての力を求めるとはね」
あんなに自分の力を嫌っていた明日奈が、今や積極的に自分の力の向上を求めている。同じ巫女として、こんなに嬉しいことはなかった。
「私は嬉しいよ」
「……やっと自覚したってところかな。自分の使命を」
天照の巫女としての使命。それは人々を守ること。今明日奈はその巫女として、これ以上ないと言えるほどの正念場にいる。大切な人達を守れるかどうか、彼女の手に懸かっていると言っても過言ではないのだ。
「そろそろ始めるよ。暦も準備を」
二人が話していると、吉江がやってきた。彼女も、明日奈の修行に協力してくれる。
「わかった」
「はい」
間もなくして暦は、自身の戦闘服である巫女服に着替え、三人は修行を始めた。
*
(いよいよ……明日……)
現世と冥界を隔てる壁が薄くなり、門が開かれるまで、とうとうあと一日だ。終わりの時は着々と近付いてきている。 今日、ヒーリングタイムは休みだ。美由紀も外出し、ショッピングモールを歩いている。理由は、明日が輪路の誕生日だからである。最終決戦の日が誕生日とは、皮肉な話だ。
(うーん……)
誕生日プレゼントは何がいいかと、考えながら歩いている。
気付けば、美由紀はアクセサリーショップに来ていた。
(輪路さんって、あんまりこういうの好きじゃないって聞いたけど……)
飾り気のない男である。しかし、わかっていても足が勝手に動き、店の中に入っていた。
色とりどりの宝石やアクセサリーが、美由紀を出迎える。彼女も女なので、こういうのは嬉しいのだが、今回は美由紀があげる立場であるため、自分の中の煩悩を消し去る。
と、
(……)
美由紀の足は、一つのアクセサリーの前で止まった。
(……これならもしかして……)
輪路が気に入るかもしれない。少し迷ったが、
「これ下さい!」
美由紀は店員に言った。
その頃輪路はというと、翔と共に協会本部に来ていた。
「どうした? 休めなかったのか?」
今日の修行は、明日に備えて休むよう光弘から言われている。しかし、どうにも落ち着かなかった輪路は、翔に頼み事をしに来たのだ。
「明日はもちろん勝つつもりでいる。けど、俺が今までやらなかったことをやっておきたいって思ってな」
「というと?」
「上級昇格試験の相手、してくれよ」
そこで翔は思い出した。輪路は準上級昇格試験はクリアしているが、上級昇格試験はしていない。
「最初から思ってたんだ。上級の相手はお前にしてもらおうって」
「……いいだろう。だが、お前の昇格試験をやるのに地下闘技場は狭すぎる。ついて来い」
そういうと、翔は輪路を屋上に案内した。それから、屋上の中心に立って、そこにある紋章に片手をかざす。
「三大士族、青羽翔の名において命ずる。門を開放せよ」
何かを言う翔。と、
『青羽家の名称、及びその魂を認証しました。これより天空闘技場を開放します』
紋章から声が響き、紋章が光り出した。翔が紋章の上に乗ると、翔が消える。
「翔!?」
驚いた輪路が追いかけて紋章の上に乗ると、輪路もまた消えてしまった。
「……ここは!?」
次に輪路が目にしたのは、空だった。今彼は、半径四百メートルほどの広さの石造りの円盤の上におり、それ以外は何も見えない。紋章から降りた輪路は円盤の端に行き、下を見下ろしてみる。遠く離れた地面に、町が見えた。
「うおお~……何だこりゃあ!?」
「ほう、天空闘技場か! なかなか粋な計らいをする」
辺りを見回して驚く輪路の隣に、光弘が現れて言った。
「天空闘技場?」
「より大規模な戦闘を行うために造られた闘技場だ」
先に来ていた翔が説明する。この闘技場は協会の会長か、三大士族の誰か一人の許可が降りなければ使用できないのだ。つまり、よほどの案件がなければ使えないということになる。
「どうして俺をここに?」
「俺とお前の力は、既に討魔士としての次元を超えている。だから、地下では狭すぎると言ったんだ」
あのまま地下を使えば、二人は本部を吹き飛ばしてしまっていただろう。そんな二人が試験を行う。まさしく、よほどの案件なのだ。
「昔俺がよく使ってたんだ」
「あんたが!?」
「ああ。ベルクドから許可をもらってな」
光弘もまた規格外の討魔士である。その彼がかつて使っていた場所で戦うというのは、廻藤の血筋の因果を感じる。
「ここは成層圏だが、特殊な結界で常に保護されている。こちらから外に干渉することはないし、外からもこちらに干渉されることはない」
その証拠に、輪路は呼吸困難に陥っていない。場所こそ天空だが、環境自体は地上と同じだ。
「つまり、おもいっきり戦えるってわけか」
「そういうことだ。さぁ、早速始めよう!」
「おう!」
誰にも邪魔されることのない空の上で、輪路と翔は光弘を観客に、上級昇格試験を始めた。
試験を終え、無事合格してヒーリングタイムに帰ってきた輪路。
「輪路兄様。お客様です」
「客? 俺に?」
と、瑠璃が輪路に、来客の知らせをした。自分に来客とは珍しいと思いながらも、その何者かが待っているという自室に、輪路は上がった。
「勝手にお邪魔させてもらって悪いな。あんたが廻藤輪路か?」
部屋の中には、一人の男がいる。彼が客で間違いないのだろうが、見たこともない完全に初対面の人間だった。
「……そうだが、あんたは?」
「俺の名前はウォント。夜分遅くにすまないが、折り入って頼み事をしに来た。黒城殺徒……いや、白宮隼人と優子のことでだ」
「!? お前、あの二人を知っているのか!?」
このウォントと名乗った男は、殺徒と黄泉子のことを知っていた。二人の本名を知っているので、相当深い付き合いをしていたのだろう。ウォントは沈痛な面持ちをしながら答える。
「……ああ、よく知ってる。俺があの二人を殺したんだからな」
「……!!!」
一瞬何を言ったのかわからなかった。理解した瞬間、輪路は怒りの形相を浮かべ、ウォントの胸ぐらを掴んでいた。
「輪路!! やめろ!!」
今にも殴り掛かりそうな勢いだったが、咄嗟に光弘が出現し、輪路の肩を押さえる。
「殴ってくれて構わない。こうなったのは、全部俺のせいだ」
「……」
殴られてもいいという意思を見せるウォントを、なぜか殴れなくなってしまった輪路は、ウォントを離した。
「……教えろ。お前は何者で、どうして二人はあんなことになった?」
それからウォントは全てを話した。彼は六年前、世界を世界を支配しようとした組織、デザイアの幹部の一人である。自分の弟であり、同じ幹部であるアプリシィを首領に人質に取られ、そして仕方なく隼人と優子を殺したのだ。
「だがこんな結果になるなんて思いもしなかった! まさか……あいつが……!!」
二人が悪霊になるという展開は、さすがのウォントも予想外だった(予想できるはずもないが)。あの戦いで敗れた首領達の魂は眠りについたのだが、ウォントだけは冥界の異変に気付き、つい最近目覚めて暴走する隼人を止めようとした。しかし、もう隼人の力はウォントの力ではどうしようもないほど強大になっており、止められなかったのだ。
「少しばかり癪だったが、ミライの力を借りて現世に来たんだ。あいつを止められる人間を捜してな」
冥界のどこを捜しても、隼人を止められる者はいなかった。冥界にいないならと、デザイアと同盟を結んでいた組織、ヴァルハラの盟主、赤石ミライから力を借りて、現世に来たのだ。
「それであんたの話を聞いた。こんなことをあんたに頼むのは筋違いだが、それを承知で言わせてもらう。頼む!! どうかあの二人を救ってくれ!!」
本来ならこれはウォントが解決しなければならないことである。身勝手な話ではあるが、もう輪路に頼むしか二人の魂を救う方法はないのだ。
「……あんたに頼まれなくてもやるつもりだ」
しかし、輪路としては頼まれるまでもなく、自分でやろうとしていたことである。
「……本当に悪い。俺のせい、なのにな……」
ウォントは謝る。脅されて強要されただけに、輪路もあまり強く言うことができない。
「じゃあ、頼んだぞ……」
安堵したウォントは、再び冥界で眠りについた。
「……なぁ光弘。どうもあの二人を、リビドンに変えたやつがいるらしいんだが……」
ウォントが帰ったのを見届けてから、輪路はベッドの上に横になり光弘に尋ねた。
「……いずれ戦うことになるだろう。どうも廻藤の血ってのは、厄介な相手を引き寄せるらしいからな」
明日の戦いで輪路が殺徒達を倒せば、二人をリビドンに変えた何者かは、輪路に目を付けるだろう。何らかのアプローチをしてくるはずだ。
「……廻藤の血、か……」
光弘に言われて、輪路は思った。そういえば、輪路はたった一年の間に、厄介な相手を何人も倒してきた。光弘も生前はそうだったらしい。そして、これからも様々な敵が、輪路に挑んでくるだろう。
「……俺が生きてたら、美由紀を巻き込んじまうのか……」
ふと、輪路がそう呟いた。
「輪路。今思ったことは取り消せ。そんなことは、誰も望んでいない」
「……ああ」
だが光弘に止められて、それ以上は言えなかった。
協会本部、翔の自室。
「翔くん。起きてる?」
「ああ」
ノックの後、ソルフィの声が聞こえたので、翔は入室を許可した。
「……眠れないのか?」
「……うん」
二人は眠れずにいた。明日で世界がどうなるのか決まってしまうと思うと、興奮して寝られない。
「一緒に、寝ていい?」
「……ああ」
翔が許すと、ソルフィはベッドの中に潜り込み、翔に寄り添った。
「……明日、勝てるかな?」
「勝つ。勝って必ず、お前を守ってみせる」
準備は全て終わっている。今までにないほどコンディションは抜群だ。あとは、明日を迎えるのみ。
「……そうだね」
「さっさと寝るぞ」
「うん……」
翔がそばにいることで安心したのか、ソルフィはあっさりと眠り、翔もすぐに休んだ。
*
とうとう、運命の日を迎えた。今日の朝10時ジャストに、現世と冥界を隔てる壁が、門を開ける程度に薄くなる。
輪路達がいるのは、中央広場。殺徒達と初めて出会った場所だ。そこへ結界が張られ、シエル達協会組がやってくる。
「おはようございます。調子はどうですか?」
「ああバッチリだ。いつでも行けるぜ」
シエルが尋ね、輪路が答える。協会組だけでなく、学生組もいる。学校には現在、明日奈が作った式神が登校しており、賢太郎達が休んでいると気付かれることはない。
「お初にお目にかかります。私はシエル・マルクタース・ラザフォード。現会長です。今までご挨拶に伺えなかったことをお詫びします」
「お前がベルクドの子孫か。今日はよろしく頼む」
今日初めて会ったシエルと光弘は挨拶を交わした。
今回は門が開くと同時に、明日奈と暦の神浄界をシエルの結界と同調させ、雪崩れ込んできたリビドン達を弱体化させるという作戦だ。その間に光弘がリビドンの軍団を蹴散らし、突入組を冥界に送り込む。突入組は輪路、翔、麗奈、瑠璃、命斗、そして光弘だ。光弘は襲ってくる雑魚をひたすら蹴散らす、雑魚散らしの役を引き受けてくれる。
「り、輪路さん!」
と、美由紀がもじもじしながら、輪路に言った。
「ん? どうした?」
それから美由紀は、小さな箱を取り出し、蓋を開けた。中には、銀の指輪が一つ、入っていた。
「み、美由紀さん!?」
「これって、指輪……!!」
それを見て驚く彩華と茉莉。美由紀は顔を赤くして答える。
「た、誕生日、プレゼントです。本当は、昨日渡したかったんですけど……」
いくら誕生日とはいえ、決戦の日にプレゼントを渡すのは場違いだろうと思い、昨日渡すつもりだった。だが、昨日輪路とウォントの話を立ち聞きしており、気まずくなって渡せなくなったのだ。
「輪路さん飾りっ気のあるもの嫌いって言ってたし、銀が好きだからこういうのがいいかなって……」
顔を赤くしたまま言う美由紀。輪路は箱から無言で指輪を取り出し、左手の薬指にはめた。
「ありがとな。大切にするよ。それとな、俺からもやりたい物があるんだが……」
輪路もまた、同じような箱を取り出して開けた。こちらの中身も、銀の指輪だ。
「お前も今日誕生日だったろ? だから買ってきたんだ。お前に何をやったら喜ぶかわからなかったから、これにしたんだけどよ」
実は、輪路と美由紀の誕生日は、同じである。そして美由紀は、なぜ輪路が指輪を左手の薬指にはめたか理解した。輪路も指輪を買っており、店員から聞いたのだ。指輪を左手の薬指にはめるのは、愛の証しという意味があると。
「すごい……」
「あはは。まるで結婚式みたいだね」
感嘆する賢太郎と、笑う明日奈。
だが、
「ごめんなさい輪路さん。その指輪、今は受け取れません」
「えっ?」
「……それは、帰ってきてから、輪路さんの手で、私の指にはめて下さい」
美由紀は今この場での受け取りを拒んだ。それは、輪路に必ず戻ってきて欲しいからである。
「……賢い女だよ、お前は」
輪路は蓋を閉じ、箱をポケットにしまった。
「必ず帰ってくる。だから、お前は待ってろ」
「……はい!!」
輪路は必ず冥界から帰還すると約束し、美由紀は頷いた。
「……どうやら、始まったみたいですよ」
暦が告げる。見ると、中央広場の中心に、巨大な黒い穴が出現した。冥界の門だ。門の中から、まるで濁流のようにリビドンが溢れてくる。
「行くよ、明日奈!!」
「ああ!!」
「「神浄界!!!」」」
明日奈と暦は神浄界を発動し、結界と同調させる。とたんに、リビドン達の動きが鈍くなった。
「ふん!!!」
光弘は銀獅子丸を抜刀し、動きが鈍ったリビドン達に向けて振る。巨大な衝撃波が飛んでいく。衝撃波には浄化の霊力が込められており、数百体のリビドン達を一度に浄化した。
「光弘。餓鬼どもを頼むぜ」
「ああ。任せな」
三郎に言われて、光弘は前進しながら衝撃波を飛ばし、リビドンを浄化していく。
「ソルフィ、留守は頼んだぞ!!」
「うん!!」
再会の約束を交わし合う翔とソルフィ。
「マスター!! 美由紀は頼んだ!!」
「任せろ!!」
輪路が美由紀を佐久真に任せる。
「行くぜ!! 冥界!!!」
「「「「「おう!!!」」」」」
一同は冥界に突入した。
こうして、現世の命運を懸けた生者と死者の戦いが、幕を開けた。




