第三十一話 鈴峯家の秘密
今回は、鈴峯家の知られざる秘密が明らかになります。
盂蘭盆は終わった。これで幽霊の出現も、誰かが呼び出したりしない限り落ち着くだろう。
「……」
彩華は一人、道場で稽古に勤しんでいた。理由は、盂蘭盆最後の夜に起こった出来事の顛末を聞いたからだ。あの時彩華は熟睡していたので、何が起きていたのかわからなかった。七瀬や賢太郎、輪路達がいなかったら、今頃取り返しの付かないことになっていただろう。そう、特別な力を持つ彼らの存在がなければ、事態の収拾は不可能だったのだ。いつだってそうである。自分には何もできない。その無力感。それを何とかしようと思って、しかし有効な方法が何も思い付かず、結局いつもの稽古に取り組むしかない。こんなことをしても、霊力を持たない自分では幽霊相手に太刀打ちできない。それでも、何かせずにはいられなかったのだ。
「はぁ……はぁ……」
気温が高いのもあって、もう全身汗だくだ。いや、熱中症になりかかっている。いくら強くなるためとはいえ死んでしまってはもともこもないので、彩華は稽古を終えた。
*
茉莉はベッドの上に寝転んで、ベッドの縁に留まっている七瀬とおしゃべりをしていた。
「ほんっとびっくりだわ。まさか喋れるようになるなんてね」
(わたしも茉莉おねぇちゃんとおしゃべりできて、すごくうれしいよ)
七瀬は口を動かして喋っているわけではない。テレパシーだ。しかし意志疎通ができるので、普通に喋っているのとほぼ変わりがない。
「……ねぇ、七瀬はどうしてウチに来てくれたの?」
それはずっと気になっていたことである。翔の話を聞く限りかなり珍しい蝶らしいし、空手の道場をやっている以外は平凡極まりないはずのこの家に来るなど、何か特別な理由があるとしか思えない。
(やさしいにおいがしたから。)
「匂い?あたしって匂う?」
(そうじゃなくてね、こころのにおい。あまくてやさしい想いを感じたから、わたしはここで蝶になろうって思ったの。想いが栄養になって、わたしはおおきくなれるから。)
なぜ七瀬が来たのかわかった。虹霊蝶は花の匂いのように、魂の匂いを嗅ぎ分けることができるのだ。虹霊蝶がサナギとなり、成虫になってからもさらに成長するためには、人が持つ想いが必要になるのである。茉莉が持つ賢太郎を守りたいと願う想いを、七瀬は嗅ぎ付けた。その想いを食べて成長するために。虹霊蝶の数が少ない理由は、本当の意味で優しい心を持つ人間が少なくなってしまったせいで、成虫になれないでいるからだ。
(だからね、わたしたちが来たところには、やさしい人がいるんだよ。茉莉おねぇちゃんがやさしいから、わたしは来たの。)
「……ありがとう。七瀬はあたしのこと、優しいって思ってくれるのね。」
(うん!)
自分は優しくなんかない。茉莉はそう思っていた。どちらかと言えば自分勝手だし。だが、優しさを感じて現れる虹霊蝶に、面と向かって優しいと言われたのだから、認めるしかない。
(わたしをここに置いてくれたお礼に、茉莉おねぇちゃんを守ってあげる!)
「それは助かるわね。あたし幽霊見えないから」
茉莉は幽霊が見えないので、襲われたらひとたまりもない。七瀬任せになってしまうが、幽霊に対抗できる手段ができるというのは嬉しい。
(おねぇちゃん幽霊見えないの?じゃあわたしが見えるようにしてあげる!)
「そんなことできるの?」
虹霊蝶は他者に霊力を分け与えることで、幽霊を視認して触れるようにできる。ちなみに盂蘭盆の時茉莉に襲い掛かった怨霊達は、生者を意識したことで一時的に他者にも視認できるくらい霊力が高まっただけで、七瀬は何もしていない。だが、羽化して間もない七瀬でも、それくらいのことはできる。つまり、茉莉もまた戦えるようになるのだ。
と、
「茉莉、いますか?」
彩華が入ってきた。
「お姉ちゃん!七瀬があたし達にも幽霊と戦えるようにしてくれるって!」
「えっ!?」
これには彩華も驚いた。幽霊と戦う手段を考えていた彩華にとって、思わぬ朗報だ。しかし、
「……せっかくですが、私は遠慮させてもらいます。」
彩華はそう言って出ていった。
「(???)」
二人は顔を見合せていた。
七瀬の申し出は嬉しい。ずっと考えていたことだから。だが、
「……違う」
何かが違う。自分は、誰かの手を借りて敵を討てるようには、なりたくない。以前明日奈の手を借りて悪霊と戦ったが、どうにもしっくり来なかった。あの時の感覚が残っている。自分の力ではどうしようもない以上他者の力を借りるしかないのだが、なぜか彩華は無い物ねだりをしてしまっている。一体なぜなのか。そう考えていた時、
「彩華。」
誠朗が彩華に声をかけた。
「お父さん?」
「……居間に来なさい。」
誠朗は彩華を居間に呼び出し、向かい合った。
「な、何でしょうか?」
自分の父とはいえ、オーラがある男なので、こんな風に向かい合われると緊張する。
「お前は今悩んでいるな?それも普通の武道ではなく、幽霊関係のことで。」
「!?なぜそれを!?」
幽霊と無縁であるはずの父の口から、幽霊の名が飛び出したのには驚いた。しかも、彩華がそれ関係で悩んでいると知っている。
「逆に訊くが、隠し通せると思っていたのか?親を舐めるんじゃない。言っておくが、私はお前より遥かに幽霊について詳しい。なぜなら私も、幽霊が見えるからな。」
「!?」
*
一般には知られていないことだが、実は鈴峯流の空手には、門下生達に教えている以外に、対霊の技というものが存在している。なぜなら、鈴峯家もまた討魔士の家系だからだ。
「この家が討魔士の家系!?」
「ああ。その証拠に、母さんにも幽霊が見える。」
「……初耳です……」
「当然だ。言わなかったからな」
協会には所属しておらず、聖神帝も使えないが、鈴峯家は立派な討魔士の家系である。だが、十年以上前に討魔士と名乗ることをやめてしまった。
「どうして……やめてしまったんですか……?」
討魔士として幽霊や魔物と戦えるのは、名誉なことであるはずだ。なぜそれをやめてしまったのかと、彩華は問う。
「……私は、ある討魔士と知り合いだった。」
協会に所属してないとはいえ、共闘することもしばしばあり、鈴峯家は討魔士と友人関係を結んでいた。しかし、その討魔士にある事件が起きる。彼は妻子持ちで、妻もまた討魔士であり、幼いながら強大な霊力を持つ娘もいたのだが、ある日、討魔士は協会が実行したある大規模な作戦に参加し、戦いの中で部下全員と妻を失った。娘も巻き込まれて心に深い傷を負わせてしまい、協会側から記憶の改変を受けたのだという。作戦は成功したが、大切な全てを失い、娘も守れなかった。悲惨極まりない敗北を喫した討魔士は、誠朗に頼んだのだ。討魔士と名乗ることをやめて欲しい。自分の子を討魔士にするつもりなら、それもやめて欲しい。あなた達に自分と同じ地獄を味わって欲しくないから。
「……私は友人の頼みを聞くことにした。彩華を、茉莉を、大切な娘達をそんな目に遭わせたくなかったし、何より友人の頼みだったからな。」
彼の頼みを断るわけにはいかないと思った誠朗は、討魔士と名乗ることをやめ、彩華の霊力を封じ込めた。
「わ、私に霊力が!?」
「茉莉にはなかったから、封じる手間が省けた。本来なら一族として恥じるべきことだが、今回ばかりは助かったよ。」
「……全然知りませんでした……」
「あの時のお前は、まだ赤ん坊だったからな。知らないのも無理はない」
誠朗が彩華の霊力を封じたのは、まだ生まれてそれほど時間が経っていない赤ん坊の頃。まだ周囲のことがよくわかっていない頃に封じられたので、彩華は何も覚えていない。
「だがお前が望むなら、私はお前の霊力の封印を解こうと思う。どうだ?」
「!!!」
しかし彩華さえ望めば、その封印はいつでも解くことができるのだという。誠朗は訊いた。封印を解くか、それとも否か。
「……それは……」
彩華は答えられない。自分自身の力で、誰の手も借りずに幽霊と戦うことができる。本当なら彩華自身が何よりも望んでいたことなのだが、いきなり自分が討魔士の家系の生まれだの、自分には霊力があって封印されていただの言われて、かなり混乱しているのだ。
「お前ももう高学年だ。自分の問題をどうしたいかは、お前自身がよく考えて決めろ。」
「……」
彩華はまだ気持ちの整理ができておらず、決められない。なので、
「……少し、考える時間を下さい。」
どうするかを考え、決めるための時間を求めた。
「お前はまだ若い。時間なら十分にあるから、後悔しない選択を見つけろ。」
例え自分の真の力が嫌になってもまた封印してやる、とは言わなかった。再封印する方法がないのか、それとも別の理由があるかは不明だが。
「…ありがとうございます。」
彩華は頭を下げて、自分の部屋に戻った。
「……どうしましょう……」
彩華はため息を吐いていた。いきなりあんなことを言われても、どうしたらいいかわからない。しかし、無駄に時間をかけるわけにもいかないので、彩華は明日奈に連絡した。
「もしもし、明日奈さんですか?」
「彩華?どうしたんだい?」
「……今忙しいですか?忙しくなかったら、ちょっと会いたいんですけど……」
「いいよ。場所はどこにする?」
「じゃあ、ヒーリングタイムで。」
「了解。瞬転を使うから、すぐに行くよ。」
どうやら都合はいいようだ。二人は会う約束をし、ヒーリングタイムへ向かった。
*
ヒーリングタイム。今日は盂蘭盆明けということで、輪路は自室で寝ている。相当疲れたようだ。翔は任務でいないが、ソルフィはいる。
「で、あたいになんか用?」
単刀直入に訊く明日奈。彩華は言おうか言うまいか迷いながらも、結局言うことに決め、自分が討魔士の家系であること、実は自分の中には霊力が封印されていることを話した。
「彩華ちゃんにも霊力があったんだ……それに鈴峯って、そんなにすごい家だったんだね。ソルフィさんは知ってました?」
今まで知らなかっただけに、美由紀も驚いている。
「……実は知ってました。どの組織にも所属せず、己の信念のみを貫く討魔士の一族。何百年も前から存在している名門で、協会では有名なんですよ。」
「そんな大事なことどうして教えてくれなかったんですか!?」
「……それが、誠朗さんからあまり公表しないで欲しいと希望されまして……」
「……無理もないですよね。討魔士を名乗らないんですから……」
美由紀はなぜソルフィが教えてくれなかったのか気になったが、そういう理由なら仕方ない。名門が名乗るのをやめるということは、そのまま没落を意味する。一族全体の恥だ。しかしそれを覚悟の上でやめたのだから、討魔士との友情、そして娘達への愛情はとてつもなく深いものだろう。
「一体どんな人だったんでしょうね。ソルフィさん何か知りません?」
「……いえ……」
ソルフィはなぜか言い淀んだ。その様子を見て、美由紀はまた協会の禁忌に触れてしまったのかと、少し反省した。
「それで、彩華はどうしたいの?」
明日奈は彩華に訊いた。
「……正直言って、どうしたらいいのかわかりません。自分にも実感がないんです。私が、そんなすごい家系の人間だったなんて……」
彼女もまた輪路と同様に、魔と戦う宿命を背負っていた。力を封印されてもなお宿命は変わらず、こうして戦う時が巡ってきたのだ。
「……不思議ですよね。いざそういう時が来てみると、怖くてたまらないんです。他ならない自分自身が、何より望んでいたことのはずなのに……」
彼女は空手を遊びでやっていたわけではない。命を懸ける機会だって、何度もあった。しかし封印を解いてしまえば、今まで以上の命の危機が何度も、絶え間なく襲ってくる。自分はそれに立ち向かえるのか、絶対に勝つことができるのか。そう考えると、恐ろしくてたまらないのだ。
「……あんたの将来を考えると、あたいは封印を解かない方がいいと思う。」
封印さえ解かなければ、彩華が自分から進んで魔物と戦う必要はない。戦いは輪路のような他の討魔士達に任せ、普通の空手家として生きていいのだ。それは彼女の父がそうするべきだと思ったのだから。
「でも自分が本当にやりたいことをやるには、封印を解くしかない。」
しかし、その代わりに自分は魔が迫ってきた時、何もできない。自分以外の誰かが襲われた時、助けられない。妹を、幼なじみを、守れない。
「厳しいようだけどさ、望んだにせよ望んでないにせよ、持って生まれた力なら向き合うことが必要だと、あたいは思うよ。廻藤さんがあたいにしてくれたようにさ」
状況は、輪路が明日奈に自分の力と向き合わせたのと同じだ。彩華にもまた、自分の力と向き合うべき時が来ている。
「……明日奈さんは強いですね。私はこんなに怖いのに、自分の力を受け入れたんですから。」
「強くなんかないよ。あたいだって廻藤さんと会うまでは、自分の力が本当に嫌いで、廻藤さんと会わなきゃ生涯向き合わなかったと思う。」
それに明日奈は自分に力があるのを知っていて受け入れなかったが、彩華は知らなくて突然言われたのだから、状況が少し違う。しかし、実際に同じ状況に置かれてみてわかった。自分の力を受け入れる決意をした明日奈は、やはり強いと。
「……私も明日奈さんを見習わなくちゃいけませんね。これで決心が着きました」
明日奈にいろいろ話してみて、ようやく決心が着いた。
「私、封印を解きます。」
「そうかい。また何か相談したいことがあったら、遠慮なく言いな。」
「はい!」
自分の霊力の封印を解く決意をした彩華は、気持ちも新たに家に帰った。
「……じゃああたいも帰ろうかな。店長さん、ごちそうさま。」
「ハイハイ。暑いから気を付けて帰るのよ?」
「わかってるよ。熱中症なんて笑えないもんね。じゃ」
明日奈もまた、伊勢神宮に帰った。
「みんな、いろいろなことで悩んでるんだなぁ…」
美由紀はしみじみと思った。彼らはもう高校生。子供ではないのだ。
「……」
(佐久真さん……)
ソルフィは佐久真を無言で見た。
*
「本当に覚悟はいいな?」
「はい。」
「……よし。では、後ろを向きなさい。」
封印を解く旨を話した彩華。誠朗はそれを聞き入れ、彩華に後ろを向かせる。既に封印の解き方は説明した。注意点も話してある。彩華は全てを覚悟して、後ろを向いた。鈴峯の空手は、表向きには伝えていない裏の技がある。それが、鈴峯流討魔戦術。この家の討魔戦術は、ただ拳や蹴りを放つだけが技ではない。経穴を突く技が取り入れられている。経穴とは、人間の身体の至るところに存在する、言ってみればツボと呼ばれる部分だ。針治療などで聞いたことがあるだろう。ここを適切な力で突くことで、人体に様々な影響を与えることができる。無論拳足などで突くには、相応の技量が必要になるが。そしてこれも公にはなっていないことだが、霊力に影響を与える経穴もある。その内の一つが、背中の中央にある封霊点という経穴だ。ここを強く突くことで、霊力を持つ者の霊力を封印することができる。誠朗はまだ赤子だった彩華の封霊点を突き、霊力を封印した。そしてその封印を解くには、延髄の部分にある解霊点という経穴を突くことが必要だ。
「……行くぞ!」
誠朗は気合いを入れ、人差し指で彩華の解霊点を突いた。ここで言っておかなければならない。鈴峯家の人間が聖神帝になれないのは、普通の人間と違う特異体質の人間だからだ。あらゆる部分で、彩華達は常人と違う。例えば、他の霊力持ちが封霊点や解霊点を突かれても、霊力が封印されたり解放されたりするだけだが、鈴峯家の人間が霊力を封霊点で封じられ、それを解くために解霊点を突かれた場合、
「ああああああああああああ!!!!」
激痛が走る。最初突かれた時には何も感じないが、およそ二秒後に全身を激痛が襲うのだ。その痛みは、訓練を受けた大の大人が地面を転げ回るほどである。
「あああああああ!!!うああああああああああああ!!!!」
今彩華はその激痛を全身に受け、両手で身体を抱えて床を転げ回っていた。なぜこうなるのかは判明していないが、鈴峯家の人間が霊力を封印するなどあり得ないことであり、二度と封印しないように戒めを与えているのではないかと、誠朗は解釈している。
「お姉ちゃん!?どうしたの!?」
そこへ、彩華の絶叫を聞き付けた茉莉が飛び込んできた。
「お父さんこれどういうこと!?」
「……お前にも話しておこうか。」
何が起きているのかを知っているはずの父に問い詰め、父は答えた。
「そんな……すごく痛いってお姉ちゃんに伝えたの!?」
「もちろん伝えた。彩華はその上で封印を解くことを選んだんだ」
「……わけわかんない。何でそこまでして戦おうとするのよ!?全部他の人に任せればいいじゃない!!」
「……いいんです……茉莉……」
「お姉ちゃん!?」
「彩華!!」
ようやく喋れるようになるまで痛みが治まったのか、彩華は悶えるのをやめて話し出した。
「全部……私自身が望んだことです……」
「……だからさぁ、お姉ちゃんって何でいっつも自分からつらい目に遭おうとするの!?ドMなの!?いくらなんでも異常よ!!」
昔からそうだ。彩華は激しい稽古など、自分から身体を痛めつけるような真似をすることがしばしばある。やめろと言っても、実際に身体を壊しても聞きはしない。だが、それにはわけがあった。
「……わかりたかったんです。賢太郎くんの苦しみを」
幽霊が見える幼なじみ、賢太郎。その理由は、ナイアの精神と細胞が加わったことで霊的な力が備わったからというものだったが、それを知らない彩華は幽霊が見えるというその苦悩を理解し、一緒に苦しむために稽古をしていたのだ。もっとも、霊力を全く持たない自分が霊力を身に付ける方法など知らなかったので、とにかくひたすら稽古に打ち込むことしかできなかった。当然いくら稽古しても空手の腕が上がるだけで、霊力は全く身に付かなかったのだが、それなら少しでもの苦しみを理解しようとさらなる稽古に打ち込み、気が付けば今の生活となっていた。
「わかってるんですか?賢太郎くんも廻藤さんも、今の私以上の苦痛を味わっているんですよ?」
「そ、それは……」
そう言われると反論できない。誰にも理解してもらえない苦痛を、幼い頃から何年も味わい続けるのは、激しい痛みを数分味わうよりずっとつらい。解霊点の痛みはすぐに消えるが、賢太郎や輪路の苦痛は一生続くのだ。
「それがようやく、私にも理解できる時が来たんです。これぐらいの痛み、なんてことはないですよ。」
激痛は完全に治まり、彩華は立ち上がった。
「もう大丈夫なのか?」
「はい。それより、これで本当に幽霊が見えるようになったんですよね?」
彩華は誠朗に尋ねた。確かに、今までにない力が全身にみなぎってくるという感覚はあるが、この家には幽霊がいないためそれが本当に霊力かどうかわからない。
「うーむ……こればかりは幽霊がいそうな場所に行け、としか言いようがない。」
「そうですか……」
誠朗の言からすると、間違いなく封印は解かれているはずなのだが、確かめる方法がないとどうしようもない。
「幽霊を見る以外にもお前の霊力が解放されているかどうかを確認する方法はあるにはあるのだが、いかんせんまだそれをやるには早すぎる。」
簡単だ。レイジンスラッシュのような、霊力を使った攻撃を放てばいい。だが彩華は今霊力を解放したばかりだし、霊力を操る技術については全く知らないので、実行できない。
「じゃあ、お父さんは幽霊が出やすい場所について何か知らないんですか?」
「むぅ……」
「ちょっとお姉ちゃん!気持ちはわかるけど、危ないことに自分から首を突っ込むっていうのは……」
幽霊が出やすい場所について思案に入る誠朗と、それを止めようとする茉莉。と、
「鬼門に行けばいいんじゃないかしら?」
「お母さん!」
樹里が現れて彩華に言った。そういえば、樹里も幽霊が見えると誠朗は言っていた。鬼門とは丑寅、北東の方角のことである。陰陽道において北東は忌み嫌われる方角であり、鬼が出るという意味で鬼門と名付けられているのだ。また、真逆の方角である南西は裏鬼門と呼ばれており、こちらも嫌われている。
「母さん、さすがに鬼門は……」
これには誠朗も躊躇った。
「大丈夫ですよ。彩華もかなり強くなりましたから」
「じゃあ、北東に行けば幽霊が見れるかもしれないんですね?」
「だからやめなさいってば!それに、まだお盆が終わったばっかりよ?そんなしょっちゅう幽霊とか化け物とか、出てくるわけないじゃない!」
「それがそうとも言い切れないのよ。この街に限ってはね」
樹里は語った。この街では、盂蘭盆が終わった後の方が鬼門と裏鬼門の方角に魔物が現れやすいらしい。理由は、盂蘭盆が終わって気が緩んでいるところを、狙っているからだそうだ。
「だから討魔士をやめてからも、お盆が終わった後の鬼門と裏鬼門だけは、こっそり様子を見に行っていたの。」
魔物や危険な怨霊が出現していれば、協会に連絡して討伐を依頼していた。ここ数年は出現していないらしいが、それより前はよく出ていたそうだ。
「わかりました!じゃあ今から言ってきます!」
「あっ!お姉ちゃん!」
話を聞くや否や、彩華は飛び出していった。茉莉は姉を放っておくこともできず、まず自分の部屋に行って、
「七瀬!おいで!」
(うん!)
七瀬を連れ出してから彩華を追いかけた。
「……これで本当によかったのだろうか……」
誠朗は呟いた。正直な話、あの討魔士から頼まれる前から、彼は迷っていたのだ。このまま戦い続けていいのか。男ならまだしも、生まれたのは二人とも女である。本来女らしく生きなければならない者を、血生臭い戦いの世界に引きずり込んでいいのか。だから、あの提案はいい機会だった。これで、娘を戦わせずに済む。そう思った。だがどういうわけか、娘は自ら戦うことを選び、封じられていた力を解放することを望んだ。自分のやったことは間違っていたのか、今やったことが本当に正しいことだったのか、誠朗にはわからない。
「……あの子自身が望んだことです。子供が望むなら、最低限の道筋を用意してやるのが親の務めですよ。」
樹里はそう言った。彩華はもう、自分の生きる道を自分で決められるのだ。その上で、この家の人間と同じ道を選んだ。なら、先人たる親が少し導いてやればいい。あとは彩華自身が勝手に進んでくれる。
「あとは彩華に任せましょう。大丈夫。暴走したりしないよう、茉莉がいいストッパーになってくれますよ。」
そうだ。まだ茉莉がいる。あの子はいつでもやりすぎな姉を心配し、稽古以外で危険な時は必ず引き止めてくれた。
「……そうだな。」
いつまでも可愛い娘のままでいはしない。彼女達にも、自分の道を選ぶべき時は、必ず来るのだから。
*
秦野山市北東郊外。ここには、廃れた神社が一件あった。
「……いかにもって感じよね。」
茉莉は呟く。ボロボロになった神社というのは恐ろしく不気味で、今にも何か出てきそうだ。以前輪路から聞いたが、こういう壊れた建物には淀んだ空気がたまり、そういった場所には幽霊が集まりやすい。かつて茉莉を死の一歩手前まで追い詰めた七人ミサキも、こんな感じの建物をたまり場にしていた。
「どう?幽霊は見える?」
で、肝心の幽霊はというと……
「……淀んだ空気の流れ、らしきものは見えるんですが、幽霊は見えませんね……この流れが霊力でしょうか?」
霊力は見えるが、幽霊は見えないらしい。これでは本当に封印が解けたのかわからない。と、茉莉が気付いた。
「そうだわ。七瀬、幽霊とかいる?あと、淀んだ空気の流れとか。」
七瀬だ。虹霊蝶の七瀬は高い霊力を持ち、霊体を視認することができる。七瀬に確認を取ればいいのだ。
(幽霊はいないよ。淀んだ空気の流れは見える。これは霊力だね。それから……)
幽霊はいないようだ。それと、やはり空気の流れは霊力らしい。だが、七瀬はまだ感じるものがあった。
「それから?」
(すごく嫌な気配がする。こわいなにかに見られてるみたいな……気を付けて!)
何者かの気配と、捕食者が獲物を狙っている時のような嫌な視線。それを危険だと感じた茉莉は、彩華に言う。
「お姉ちゃん。ここは帰りましょ?霊力が見えたんだから、幽霊も見えるわよ。」
ここには封印が解除されているかの確認のためだけに来たのだ。確認さえ取れれば、長居は無用。
「……そうですね。帰りましょう」
彩華も同意し、一緒に帰ろうとした。
その時、
「待て。」
声が聞こえた。その後に、立て付けの悪い扉を無理矢理開けるような音が聞こえた。二人が恐る恐る振り返ってみると、
「そう急ぐこともないだろう。俺達の話を聞いていけ」
神社の社の中から、頭に角を持つ全裸の屈強な怪物が五匹、出てきていた。
「俺達は見ての通り、鬼だ。昨日のうちにここに来た」
幽霊を見に来たはずが、鬼が出てきてしまった。茉莉は少し震えながら、鬼に尋ねる。
「そ、その鬼さん達が、あたし達に何の用ですか?」
「まぁ聞け。俺達は、実はもう三日くらい何も食ってない。だから、食い物をわけて欲しい。」
「じゃあ家に帰って持ってきますね。」
「だから聞けと言っている。まだ話は終わってない」
何とか無関係なまま帰ろうとする茉莉と、それを何とか強引に引き止めようとする鬼。鬼達は続ける。
「食い物って言ってもただの食い物じゃ駄目だ。」
「新鮮な肉がいい。」
「柔らかくてみずみずしくて、かじると血がしたたる生肉がいい。」
「何が言いたいかっていうと……」
口々に食べ物の注文をする鬼達。彩華と茉莉は嫌な予感を感じて、先頭の鬼が結論を言った。
「お前らが食いたい。」
「……やっぱりですか。」
予想通りだった。彩華と茉莉は踵を返して逃げようとするが、一番後ろにいた鬼二匹が大きく跳躍し、二人の前に回り込んだ。
「何度も言わせるな。俺達はもう三日も何も食ってない」
「腹ぺこなんだ。活きのいい獲物は嫌いじゃないが、今回だけは大人しく俺達に食われろ。」
淡々と彩華達に自分達の餌になるよう要求する鬼達だが、冗談ではない。
「ふざけるんじゃないわよ!!食われてなんてやるもんですか!!」
茉莉は構えた。彩華も構える。囲まれた以上、戦って突破するしかない。
「やぁっ!!」
茉莉は目の前の鬼の一匹の腹に、膝蹴りを叩き込んだ。しかし、
「暴れるなって言ってるだろ。」
鬼は膝蹴りを全く意に介さず、その太い腕を振りかざして茉莉を捕らえようとする。
(茉莉おねぇちゃん!!)
しかし、鬼の前に七瀬が飛び出して、鬼の手を受け止めた。七瀬の小さな身体では止められないはずの攻撃だが、結界を張ることで止めたのだ。茉莉はその隙に下がり、茉莉が逃げたことを確認して七瀬も離れる。ここで彼女達は、今さらながら鬼達と自分達の戦力差を思い知った。鬼にも弱点はあるにはあるのだが、以前戦った河童のような、戦闘中に突ける弱点ではない。事前準備が必要な弱点だ。当然鬼の出現など想定外の事態なので、二人は鬼の弱点となる豆や菖蒲の花などを持ってきていない。いくら鬼門とはいえ、本当に鬼が出てくると想定できる者がいるだろうか?
「さて、どうしようかしら?」
手詰まりな状況に冷や汗を流す茉莉。と、彩華が言った。
「……茉莉。私達は多分勝てます」
「は?」
人間より遥かに力の強い鬼相手に、彩華は勝算があると言っているのだ。テロリストのような、人間を相手にするのとはわけが違うというのに。
「お姉ちゃん、それ本気で言ってる?」
「普通に戦えば負けます。ですが、私達は鈴峯家の血を引いていますから、鈴峯家の人間の特異体質を利用すれば、勝てるはずです。」
特異体質の説明については、封印を解かれる前に誠朗から聞いた。討魔士の家系でありながら聖神帝になれず、一部の経穴を突かれれば全身に激痛など、デメリットばかりのような気もするが、当然普通の人間にはないメリットもある。例えば、目だ。目に霊力を込めることで、相手の身体的な弱点を見ることができる。相手に大ダメージを与えられる経穴も、見ることができるのだ。経穴は霊体にも存在し、そこを突くことで憎悪や未練を浄化、成仏させることができる。以前明日奈の札の力で霊が見えたことがあったが、あれは持ち主に霊力を与えているわけではなく、言ってみれば霊を見れる、触れるようになる鎧を着ているようなものであり、実際には霊力を込めるのとは全く違う系統だ。
「茉莉。あなたにも霊力さえあれば、同じことができるはずです。」
「……七瀬に力を借りろってことね。」
茉莉もまた鈴峯の血を引く人間であり、霊力はなくとも体質は同じはずだと誠朗は見解していた。七瀬に霊力を借りれば、茉莉もまた鬼の経穴が見えるはずだ。
「七瀬。あたしに霊力を!」
(わかった!)
七瀬は茉莉に霊力を与える。
「これで霊力をもらったけど、これからどうすんの?どうやって目に霊力を込めればいい?」
「とりあえず、廻藤さんがやってるみたいにやりましょう!」
霊力の使い方などわからないが、輪路がいつもやっているように、弱点を見る、という意識を目に込める。すると……
「……驚いた。ホントになんか見える……!!」
一般人には、普通の鬼にしか見えない。しかし今の二人には、鬼の身体のあちこちに、光る点が見えるのだ。恐らく、あれが鬼の弱点だろう。
「あそこを狙えばいいってわけね。」
「弱点がわかったとはいえ、油断は禁物ですよ!!」
先手必勝。二人は鬼達に向かって駆け出した。
「暴れるな!!」
「大人しく食われろ!!」
ちっとも大人しくしてくれない二人に激怒した鬼達は、二人を取り押さえようと飛び掛かる。もちろん大人しくするわけにはいかないので、二人は襲ってくる鬼達の手を掻い潜り、
「はっ!!」
「やっ!!」
鬼のふくらはぎにある経穴を蹴った。
「ギャッ!!」
「ウガッ!!」
ふくらはぎを蹴られた鬼は前につんのめり、地面に倒れ込む。それから、蹴られたふくらはぎを押さえて悶え始めた。いくら蹴られた場所がふくらはぎとはいえ、鬼が人間の力で蹴られてダメージを受けるはずがない。これは、経穴を蹴った影響だ。
「この!!」
「ちょこまかするな!!」
残った鬼が次々と襲ってくるが、二人は次々と経穴を突いて倒していく。
(これだ……)
彩華はその内の一体にターゲットを絞り、優先的に攻撃を仕掛ける。両腕の経穴を突き、両腕を使用不能にしてから、胸の中央の経穴を突いた。
「ギャアアアアアアアアアア!!!」
断末魔を上げて倒れる鬼。致命的な経穴を突かれ、心臓が停止したのだ。
(これが、私が求めていた魔物との戦い方!!)
遂に彩華はたどり着いた。己の力だけで、誰の手も借りずに魔物と戦う。これこそが、彼女が求めていた境地だ。
「小娘め!!」
「よくも兄弟を!!」
仲間を殺られて怒り心頭の鬼達は、彩華に向かって拳を放つが、
「おーっと!ここから先は通行止めよ!」
茉莉と七瀬が立ちはだかり、鬼達の相手をする。しかし、相手は四体だ。もう二体が彩華に襲い掛かる。
「!!」
己の力に陶酔していて、彩華の反応が遅れた。しかし次の瞬間、
「はぁっ!!」
賢太郎が現れ、硬化した右腕で一度に鬼二体を引き裂いた。
「賢太郎くん!!」
「誠朗さんから聞いてきたんだ!!遅くなってごめん!!」
誠朗は最初輪路に連絡しようと思ったが、連絡先を知らないので賢太郎に連絡したのだ。そして、
「レイジンスラッシュ!!!」
賢太郎は輪路も連れてきた。輪路はレイジンに変身すると、茉莉を追い詰めていた鬼二体をレイジンスラッシュで一太刀のもとに切り捨てた。
*
「しかし、お前らが討魔士の家系の人間だったなんてな。」
輪路は賢太郎から連絡を受けた際、美由紀から彩華と茉莉が討魔士の家系であることを聞いた。賢太郎も輪路から話を聞いて知っている。
「でもまだまだですね。二人が来て下さらなかったら危なかったです」
「いや、こっちこそ、なんか悪いことしちまったな。俺がもっとしっかりしてりゃ、お前らが戦うこともなかったのに。」
彩華は自分の力不足を恥じたが、輪路もまた詫びを入れる。
「それにしても、これどうする?」
茉莉は築き上げられた鬼の死体の山を見て言った。
「……三郎にでも何とかさせるか。」
輪路は三郎に連絡して、この場に呼び出す。
「悪いな来てもらってよ。」
「いやいや、俺もちょうど鬼の死体が欲しかったところなんだ。ありがたくもらってくぜ」
三郎は鬼の死体を結界の中に収納すると飛び去った。鬼の死体など何に使うのかわからないが、本人が嬉しそうなのでまぁよしとする。
「ありがとうね賢太郎くん。お姉ちゃんを守ってくれて」
「間に合ってよかったよ。」
茉莉は彩華の危機を救ってくれた賢太郎に礼を言った。
「ったく、無茶しやがって。そりゃ討魔士仲間が増えるのは嬉しいが、できることならお前らには戦って欲しくないんだ。少しはこっちの気持ちも察してくれよ。だから戦うにしても、自分の身を守る程度に留めときな。」
輪路は危機が去ったのを察し、彩華達の身を案じながら帰った。
「送ってくよ。」
賢太郎は彩華達を送っていくことにし、家に送り届けた。
*
夜。
「お姉ちゃん。」
茉莉は寝る前に、彩華の部屋を訪れた。
「茉莉。どうしたんですか?」
「……七瀬と話し合って決めたんだけどね、あたしも手伝うわ。自由研究」
茉莉はまだ夏休みの自由研究を何にするか決めていなかったが、結局彩華と一緒に自由研究をやることにした。
「茉莉……」
「今日よくわかったの。お姉ちゃんったら無茶しすぎ。あたしが見てないと、自由研究まで無茶しかねないんだもん。」
姉の無茶好きには困ったものだ。だから、これ以上無茶しすぎないようにストッパーになるという意味を込めて、彩華がこれからやるあらゆることをサポートすることにしたのだ。自由研究も、その一環である。
「……ありがとうございます!!」
頭を下げて礼を言う彩華と、照れてそっぽを向く茉莉。少々危険な目に遭ったが、二人の仲はさらに深まった。
次回はアンケートの一つを実行します。お楽しみに!




