第三十話 盂蘭盆で
夏にホラーといったら、やっぱり外せないのはお盆のエピソード!
「~♪」
鈴峯茉莉。鈴峯彩華の妹であり、鈴峯道場の凄腕の空手家。姉の趣味は修行。もう馬鹿なんじゃないかと思えるほど、自分を鍛えまくる。やりすぎて身体を壊すこともしばしばだ。で、そんな姉の妹の趣味はというと、
「やっぱりこれよね!」
花の飼育。茉莉は花が好きという乙女な一面を持っており、今は夏ということで朝顔を育てている。彼女の部屋にはベランダがあり、そこで育てているのだ。観察日記も書いているという熱心ぶりである。
(別に道場のことをないがしろにしているわけじゃないわ。ただ、あたしにはあたしのやりたいことがあるってだけよ)
大切な道場だが、茉莉は彩華ほど熱心に空手に取り組むことができない。強くなろうという願望が、あまりないからだ。それよりは、自分の趣味を優先したいという気持ちの方がある。年頃の女の子だ。
と、
「あら?」
茉莉は気付く。よく見てみると、朝顔の幹に何かがある。サナギだ。見たことのないサナギがついている。形としては、蝶のサナギに近いだろうか。
「夏型かしら?」
蝶の中には、夏に羽化するものもいる。夏型と呼ばれている蝶だ。しかし、こんなサナギは見たことがない。気になった茉莉は、部屋の本棚から一冊本を出す。小さい頃に買って、ずっと大事にしている蝶の図鑑。茉莉は全て虫の中で蝶が一番好きで、初めてみた蝶の美しさから、図鑑を買ってもらったのだ。茉莉は図鑑の蝶のサナギと、今朝顔についているサナギとを見比べる。だが、夏型はおろか、図鑑のどの蝶のサナギとも、一致しなかった。
「もしかしたらこの図鑑に載ってない珍しい蝶なのかも!」
そう思うと、茉莉は嬉しくなった。高校生になっても、蝶は好きなままだ。どんな蝶が孵るのか、今から楽しみである。と、
「茉莉!入りますよ!」
ドアがノックされ、外から彩華の声が聞こえた。
「どうぞ。」
茉莉が言うと、彩華が入ってくる。
「茉莉!稽古しますよ!」
「え~?朝やったばっかりじゃない。」
「朝は朝の稽古。昼は昼の稽古です!」
「…今日昼の稽古なんてあったっけ?」
「自主です!」
「…はぁ~…そんなのお姉ちゃん一人でやってよ…」
また彩華の修行好きが始まった。気分がいい時、彩華はもう無茶苦茶に稽古をするのだ。茉莉を巻き込んで。
「何言ってるんですか!賢太郎くんだって頑張ってるのに!」
件の賢太郎だが、彼は自身に宿るナイアの強大な力をつかいこなそうと、日々訓練している。その訓練は大変危険で、彩華達を巻き込まないよう一人で、それも人があまり来ないような場所でやっているのだ。
「賢太郎くんを守れるくらい強くなりたいんじゃなかったんですか?」
「…あたしもそう思ったけど、あのレベルまで強くなるとか無理でしょ。お姉ちゃんも気付いてるんじゃないの?」
「う…」
そう言われるとつらい。何せ賢太郎が至っているのは、人を超えた神の領域。輪路や翔のような、選ばれた者しか踏み込めない世界に、賢太郎はいるのだ。しかし彩華と茉莉は、空手の達人といっても人間の領域である。特別な領域の人間である賢太郎達には、遠く及ばない。少し前までは自分達よりも弱かったのに、ずいぶんと差が離れてしまったと、二人は感じている。昔は二人が守る側だったのに、今ではすっかり守られる側だ。二人がかりで奇襲を仕掛けたとしても、一瞬で返り討ちに遭うだろう。
「とにかく!それでも鍛えておけば、賢太郎くんを守るのは無理でも、自分の身を守ることはできます!」
「…まぁねぇ…」
もう二人にできることは、賢太郎の足手纏いにならないよう、自分の身を守ることだけだ。
「ん?」
と、彩華もまた、茉莉の朝顔の幹のサナギに気付いた。
「それ…」
「ん?あ、これいつの間にか蝶がサナギ作ってたの。でも見たことのない蝶なのよねぇ…図鑑見ても載ってないし。」
「もしかしたら、新種の蝶かもしれませんよ?」
「…そうかも。」
もしそうなら、大発見である。しかし、
「それはさておき、さぁ茉莉!稽古に行きますよ!」
「え~…」
茉莉は彩華に引きずられていった。
*
賢太郎は今、輪路がよくトレーニングに使っている荒野にいる。
「…はっ!」
賢太郎が気合いを入れて正拳突きを繰り出すと、賢太郎の腕が黒く変色し、長く伸びて遠くにある岩を破壊した。
(腕を硬化して伸ばすぐらいなら、さほど集中しなくてもできるようになったみたいだね)
「はい!」
賢太郎は頭の中に響いたナイアの声に、腕を戻しながら応える。
(さて、次は両足を変化させてみようか)
「はい!じゃあ手始めに…」
ナイアに促され、賢太郎は両足に意識を集中する。と、
「…っ!」
賢太郎の両足のふくらはぎに、一本ずつ刃が出現した。
「はっ!やぁっ!」
賢太郎は両足を振り回し、蹴りを繰り出す。刃の切れ味は凄まじく、何もない空間を切り裂いていく。一通り蹴りを放ち終えた賢太郎は、両足を元に戻した。
(うまいうまい。その調子だよ)
まだまだナイア本来の力には及ばないが、短期間でここまで力を使いこなせるようになれば十分すごい方である。と、
「よう。ずいぶん楽しそうだな」
「あっ!三郎!」
三郎が飛んできた。
「修行に励むのもいいが、気を付けろよ?明日から盆だからな。」
「…ああ…もうそんな時期か…」
盂蘭盆。一般的に八月の十三日から十五日に訪れる、死者を弔う期間である。あの世から先祖の霊が帰ってくると伝えられているが、実はそれだけではなく、幽霊が活発に行動する期間でもあるのだ。そして、活発になるのは普通の幽霊だけではない。怨霊や悪霊、リビドンも活発になり、普段よりも多く出現するようになる。明日からの三日間は、協会も対応に追われることになるだろう。事実今輪路はそのことで協会に呼び出されており、シエル達から盆の時の対応について説明を受けているところだ。
「お前には馬鹿邪神が憑いてるからまぁ大丈夫だとして、問題は他の連中だな。明日奈も神社から離れらんねぇだろうし…まぁお前一人いりゃ平気か」
盆の間は、明日奈もまた伊勢市を守るために奔走することになるだろう。輪路も恐らく世界中を回らなければならないので、戻ってこれるかどうかわからない。必然的に、この街の守りが薄くなる。だが、唯一頼りになる戦力の賢太郎には、ナイアが憑依しているのだ。本来の力ではないが、多少強力なリビドンが相手でも問題なく切り抜けられる。
「そういうことだ。ボクさえいれば、この街の守りは万全だよ。廻藤輪路がいない今回だけは表立って戦おうじゃないか」
ナイアは唐突に憑依し、直接話を三郎に伝えた。輪路がいれば輪路に任せるが、輪路がいないなら話は別だ。
「じゃあ頼むぜ。だがくれぐれも、あいつを裏切るような真似だけはやめてくれよな。」
三郎が言ったあいつとは、二人の人物を指している。一人は輪路。もう一人は…
「わかってるよ。」
ナイアがよく知っている相手だ。繰り返す必要はないので、ナイアはただ了承した。
*
協会。
輪路は今、盂蘭盆時の対応について説明を受けていた。
「明日からの三日間、世界中で幽霊が大量に発生します。皆さんは幽霊を発見し次第、速やかに成仏させて下さい。」
巨大なホールのステージ壇上から、シエルがマイクで討魔士や討魔術士達に説明している。
「また冥界から先祖霊の方が帰ってきている場合もありますが、関係なくお帰り頂いて下さい。」
現在は黒城殺徒の件もある。現世において霊魂が大量に存在する状況は、邪神帝オウザの復活、あるいは変身の呼び水になる。非常に危険な状態であるため、どのような理由があろうと冥界から帰ってくることは許されないのだ。
(先祖霊か…そういえば…)
シエルの言葉を聞いて、輪路は思った。
(光弘も帰ってきてたりすんのか?)
お盆は先祖霊が帰ってくると伝えられている。輪路はまだそんなところを見たことがないのだが、シエルがそう言っている以上はあるのだろう。そこで思い浮かべたのが、輪路の先祖である光弘だ。お盆の期間には、光弘も帰ってきたりするのか、輪路は少し気になった。
(光弘なら大丈夫だろうな)
光弘はとてつもなく強いそうなので、例え殺徒に目を付けられても大丈夫だろう。討魔士の長い歴史の中で、唯一究極聖神帝になった男である。黒城一派がやってきたところで、究極聖神帝に変身して返り討ちにしてしまう。
(…待てよ?)
と、輪路は思った。まだ聞いていないことがある。聖神帝に変身できる者が死亡した場合、その変身能力はどうなるのか。死亡してもなお、聖神帝に変身することができるのだろうか?
(…これ終わったら翔に訊いてみるか…)
輪路はそう思いながら、ぼんやりとシエルの説明を聞いていた。
*
翌日。
ジリリリリ!!!
「う~んむにゃむにゃ…」
目覚まし時計の音に叩き起こされ、茉莉は目をこすりながらベルを止めた。そろそろ朝稽古が始まる。茉莉は胴着に着替えると、道場に向かう…前に、朝顔に水をやって、それから道場に行った。
「朝稽古はこれまで!!」
「「ありがとうございました!!」」
父から稽古を受けて、二人は礼をし、道場を後にする。
「はぁ…まだ朝だっていうのにもう汗だくよ…」
夏なので、朝といえど暑さが厳しい。それなのに道場で激しい稽古をして、もう茉莉の全身は汗びっしょりだ。
「汗をかくって気持ちいいじゃないですか!」
もっとも、彩華は爽快感を抱いていたようだが。茉莉はそんな姉にうんざりしつつも、シャワーを浴びる。シャワーは一つしかない上二人とも汗だくなので、一緒に入る。恥ずかしくはない。女同士だし、姉妹だから。
(…何か忘れているような…)
茉莉はそう思いながら身体を洗い、彩華と一緒に風呂場を出た。何も思い出せないまま、自室に戻ってきた茉莉。
「あ。そういえばまだ観察日記つけてなかった」
忘れていたのはそれかと思い出し、観察日記とシャーペンを持ち、ベランダに出る。
しかしその直後、忘れていたのは観察日記だけではないということを思い出す。
「…!!」
茉莉は息を呑んだ。朝顔の花に、一匹の蝶が留まって蜜を飲んでいたのだ。ただの蝶ではない。羽が虹色だ。太陽光を浴びて、キラキラと光っている。美しかった。こんな美しい蝶を見たのは初めてだ。茉莉はまた気付く。蝶のすぐ近くには、割れたサナギがあった。この蝶は、あのサナギから孵った蝶なのだ。
「綺麗…」
それにしても美しい。何と美しい蝶だろうか。と、茉莉の視線に気付いたのか、それとも茉莉の声が聞こえたのか、蝶は蜜を飲むのをやめて羽ばたき、茉莉の方へ飛んできた。茉莉が反射的に手を差し出すと、蝶は茉莉の人差し指に留まり、ゆっくりと羽を動かしている。どことなく、喜んでいるようにも見えた。
「可愛い♪」
茉莉が顔を近付けても、蝶は逃げない。
「茉莉!朝ご飯、食べますよ!」
そこへ、朝食ができたことを教えに、彩華がやってきた。
「あら綺麗な蝶々!サナギから孵ったんですね!」
彩華も蝶の存在に気付き、茉莉と一緒に見る。蝶は彩華が来ても逃げなかった。
「こんな綺麗な蝶のサナギだったなんて…」
「そうですね…あ、茉莉。名残惜しいですけど、もう朝ご飯の時間ですから、蝶を離してあげましょう?」
「…そうね。」
この蝶を飼うわけにはいかない。自然に帰してやるのが一番だ。二人はそう思い、蝶を朝顔に近付ける。蝶は朝顔に飛び移って、また蜜を飲み始めた。
「…じゃあね。」
茉莉は彩華と一緒に、部屋へと戻っていく。
「ごちそうさまでした。」
今で朝食を食べ終えた茉莉は、八月も半ばになったので、そろそろ宿題を終わらせようと自室に戻っていく。筆記の宿題は既に終わっており、後は自由研究だけだ。
(さーて何にしようかしらー?)
朝顔の観察日記をつけてはいるが、それを研究の題材にはしない。あれはあくまでも趣味だ。
(それに、朝顔の観察日記とか子供なら許されるけど、あたしは高校生だしね~)
何か別のものはないかと考える。と、
(…あの蝶もう行ったかしら?)
あの虹色の羽を持つ蝶のことが、ちらりと脳裏をよぎった。あの蝶はとても綺麗だった。珍しがった野蛮な人間に捕まって標本にされたりしていないか、カマキリや蜘蛛に食われていたりしないか、とても心配だ。そう思ってベランダを見た時、
「!?」
あの蝶がいた。逃げるどころか、しきりに窓ガラスに身体をぶつけて、まるで家の中に入りたがっているかのようだ。驚いた茉莉は、慌てて窓を開ける。すると蝶は素早く部屋の中に入り込み、茉莉の頭に留まった。
「…ずいぶん人懐っこい蝶ね。もしかして、あたしのことが好きとか?」
あまりに蝶が自分に接しようとしてくるので、もしかしたら自分のことが好きなのではないかと邪推してしまう。もちろん蝶は答えず、ゆっくりと羽を動かしているだけだ。しかし茉莉が手を出してやると、蝶は茉莉の手に乗ってくる。そんな仕草が、とても可愛らしかった。
「…っと、こんなことしてる場合じゃないわ。」
茉莉は思い直し、蝶を部屋の中に放って彩華の部屋に行く。
「どうしました茉莉?」
「夏休みの宿題に自由研究ってあったでしょ?何にしたらいいか全然思い付かなくって…お姉ちゃんは何にしたの?」
「私は、空手の歴史について調べて発表しようと思います。」
彩華は自分が空手をやっているため、せっかくだからただやるのではなく、歴史を知り、それを糧にしてさらに深い鍛練に励もうということらしい。
「…もういいわ。」
茉莉は部屋から出て行く。彩華が呼び止めた。
「茉莉も一緒にやればいいじゃないですか。合同研究ということにすれば…」
「悪いけど、あたしはお姉ちゃんと違って空手バカじゃないから。」
とても姉と同じようにはなれない。そう思った茉莉は、呆れながら自室に戻った。その直後、また蝶が飛んできて、茉莉の顔の前をひらひらと舞う。
「…ありがとう。」
まるで慰めてくれているようだと感じた茉莉は、蝶を人差し指に乗せる。
「…ちょっと気分転換に行ってくるわ。」
もう一度離して部屋を出ようとするが、蝶は素早く戻ってきて茉莉の肩に留まった。
「…一緒に行きたいの?」
蝶は何も言わないが、羽をゆっくり動かしている。もしかしたら、肯定しているというサインなのかもしれない。
「…じゃあ、一緒に行きましょうか。」
仕方なく、茉莉は蝶を連れて一緒に外出することにした。
*
茉莉と蝶は外出する。行く当ては特にないが、とりあえずヒーリングタイムに行ってみるつもりだ。蝶は茉莉の周りを飛び回っているが、付かず離れずの距離を保ち、決して茉莉の周囲から消えることはない。
「あんまりうろうろしちゃ駄目よ?蜘蛛の巣に引っ掛かったりしたら大変だから。」
茉莉がそう言ったのが聞いたのか、茉莉の頭に戻ってきて、じっとしている。そうこうしているうちに、ヒーリングタイムにたどり着く。
「いらっしゃい。」
「いらっしゃいませ…あ、茉莉ちゃん!」
佐久真と美由紀が笑顔で迎えてくれる。
「こんにちは。」
茉莉はカウンター席に座った。
「今日は茉莉ちゃん一人?」
「はい。ちょっと気分転換がしたくて…やっぱりここが一番です。アイスコーヒーお願いします」
「はいはい、アイスコーヒー一つね。」
美由紀が茉莉一人で来たことを珍しがり、茉莉は佐久真にアイスコーヒーを注文した。と、美由紀は気付く。
「その蝶は…新しいアクセサリー?」
美由紀が蝶の存在に気付く。だが蝶は美由紀の言葉に反応するかのように羽を動かし、自分が生きていることをアピールした。
「えっ!?生きてるの!?」
「はい。今朝、朝顔についてたサナギから孵って、なんか懐かれちゃったんです。」
「へぇ…蝶が懐くことってあるんだ…」
美由紀は感心している。と、
「じゃあ、その子にはこれね。はいどうぞ」
佐久真が茉莉にアイスコーヒーを、蝶に水を一杯持ってきた。虫が飲めるよう常温で、氷も入れていない。その配慮を感じ取ったのか、蝶はコップに飛び移って水を飲み始めた。
「…ところで、今日廻藤さんと青羽さんはいないんですか?ソルフィさんもいないみたいですけど…」
茉莉は店の中に、いつものメンバーが揃っていないことに気付いた。輪路と翔はおらず、アルバイターであるはずのソルフィもいない。
「お盆だから、協会の仕事が忙しいんだって。ソルフィさんもお盆の間は休暇をもらって、協会の方に回ってるよ。」
輪路達は今、協会の仕事で世界中に出回っている。ソルフィも借り出されているのだ。かなり難航しているらしく、輪路においては昨夜も帰ってきていない。盂蘭盆は日本だけの風習だから世界は関係ないだろうと思われがちだが、盂蘭盆期間は世界中で幽霊が出没し、日本の呼び方が便利なのでそう呼んでいるだけだ。
「大変ですね…心配とかしてます?」
「それは、ね。でも輪路さん強いから、負けるとか死ぬとかは思ってないの。それよりも、協会の皆さんとうまくやってるかな、って。」
「あの人協調性なさそうですもんね。」
「小さい頃から協調性なんてなかったよ。私を守るためにいつも一緒にいてくれて、そのために自分がやらなきゃいけないこととか、自分が入ってなきゃいけないグループとか全部犠牲にして…」
小さい頃、美由紀の周囲には敵しかいなかった。いじめや意地悪など日常茶飯事で、助けてくれる者もいなかったのだ。いつからそうなったのかはわからない。ある日突然だ。ただ一人、輪路を除いて。彼こそ美由紀にとっての、希望の光だった。美由紀を守るため、輪路はあらゆる全てに反発し、戦いを挑んで、そして勝利し続けてきた。
「輪路さんが遊びに誘われた時、私も遊びたいって言ったら周りの子達に無視されたことがあったんだけど、そしたら輪路さん、美由紀を入れないなら俺はお前らの仲間になんてならないって言って、自分から抜けて代わりに私と遊んでくれたの。嬉しかったなぁ…」
「そんなことがあったんですね。」
「うん。今にして思えば、輪路さんには悪いことしちゃったなって。本当にいくら感謝してもしきれないの」
輪路は子供の頃から自分の全てを犠牲にして、美由紀を守り続けてきた。だから輪路に協調性がないのは、美由紀のせいなのだ。それがとても申し訳ないことだと思いつつも、美由紀にとっては一番嬉しいことだった。自分を支えてくれる一人の存在というのは、何よりも嬉しい。
「篠原さんは本当に廻藤さんが好きなんですね。」
「うん。私が一番好きな人」
美由紀が輪路を好きだと思う気持ちは、きっとこれからもずっと変わらない。もう輪路以外の男を愛することはできないのだ。そういう発想にすら至らない。
「…あたしにもそういう人ができるといいなぁ…」
「あれ?賢太郎くんは?」
「無理無理。友達として接することはできても、彼氏としてなんてとてもとても。ヘタレだし」
「でも賢太郎くんってここぞという時にすごい勇気出すじゃない?」
「それはそうですけど…」
茉莉は賢太郎のことを、守るべき対象だと見ていた。それがいつの間にやら、手の届かない存在に…
「好きな気持ちは、好きな間にはっきり伝えた方がいいよ?私なんて気持ちを伝えたのに、それっぽいアクションがないんだから。」
「あたしは別に…賢太郎くんが好きだなんて…」
口ごもる茉莉。しかし、賢太郎のことを考えると気持ちがもやもやするのは事実だ。彼に傷付いて欲しくないとも思っている。ナイアが賢太郎を治したことだって、本当はずっと言いたかった。でも、もし言ったらどうなるかわからない。あの人が飛んできて、賢太郎を殺してしまうかもしれない。そう思ったから黙っていたのだ。恋愛感情云々は別にしても、賢太郎は茉莉にとって、とても大切な人なのである。
「…いろいろ思うところはあるだろうけど、言葉に出さなきゃ伝わらないよ。」
美由紀は勇気を出して自分の気持ちを輪路に伝えた。まだ答えはもらっていないが、想いは必ず通じると、そう信じている。
「…はい。」
茉莉は返事をした。それから、出されっぱなしになっていた、アイスコーヒーを飲む。
「ごちそうさまでした。」
コーヒー代を置いて席を立つ。
「気分転換はできた?」
「はい。いろいろと、ありがとうございました。行くわよ」
美由紀に礼を言って、蝶に声をかける。すると、それに反応したのか、蝶はコップから飛び立ち、茉莉の頭に留まった。茉莉は蝶が留まったのを確認して、店を出る。
「本当に賢い…まるで人間の言葉がわかってるみたいに…」
美由紀は目を丸くしていた。あの蝶の仕草、まるで茉莉の言葉を理解しているかのようだ。
「…ふふっ」
そんな美由紀を見て、佐久真はこっそり笑った。
結局自由研究についてはテーマが決まらず、茉莉は家に帰り、蝶と一緒に適当に時間を潰した。そして、夜。夕飯を終えた茉莉は、自室へ帰る。すると、待ちくたびれたとばかりに待っていた蝶が、茉莉の周りを飛び回るのだ。
「ふふっ♪」
本当に可愛い。蝶は完全に茉莉に懐いている。それから、就寝時間。
「へぇ…光るんだ?」
電気を消すと、辺りが暗くなったのに気付いた蝶が、全身を虹色に光らせた。もちろん、普通の蝶にこんな力はないはずだが。
「あなたって本当に不思議な蝶ね…あ、そうだ。せっかくだから、名前付けてあげましょうか。」
あのまま別れていればここまで愛着が湧くことはなかったのだが、蝶が懐いてくれたので名前を付けることにした。
「そうね…七色の蝶だから、七瀬っていうのはどうかしら?」
茉莉は蝶に七瀬という名前を付けてやった。すると、蝶は嬉しそうに茉莉の周りを飛び回る。
「じゃあ決まりね。嬉しいのはわかるけど、もう寝ましょ?」
茉莉が言うと七瀬は机の上に留まり、その輝きを消した。光は自在に点けたり消したりができるらしい。
「おやすみ。」
茉莉は眠りについた。
*
盂蘭盆二日目。
「お盆だっていうのに、あんまり幽霊は出てこないんだね。」
街を歩きながら、賢太郎は呟いた。今彼はナイアの力を借りて、輪路の代わりに幽霊を成仏させて回っている。
(それでも普通よりは幽霊が多い方だよ。まぁ今までは、聖神帝の資格者がいたからね)
「…それって師匠の…」
聖神帝は魂を引き寄せる。聖神帝は迷える魂にとって救いの光であり、幽霊はそれを無意識に求めて集まってくるのである。盂蘭盆時に出現する幽霊の数と、聖神帝に引き寄せられて現れる幽霊の数はさほど変わらない。ようは範囲の問題だ。これが世界中の全てで同時に発生したら、人手不足にもなる。
(さ、早く行こう。先祖の幽霊も帰ってくるから、もっと忙しくなるよ)
「はい!」
賢太郎はナイアと一緒に、幽霊を成仏させに行った。
*
七瀬は結局茉莉が飼うことになった。しかし、彩華は心配している。七瀬は蝶でありながら、知能が人間並みに高いのだ。話しかけると反応するし、ある程度は言うことも聞く。羽化して二日目でこれである。心配になった彩華は、明日奈に連絡してみた。
「どうしたの?今ちょっと忙しいから、手短に終わらせて欲しいんだけど。」
どうやら今、明日奈はとても忙しいらしい。彩華は手短に、七瀬のことを伝えた。
「虹色の蝶…ああ、そういえば今は…」
「やっぱり知ってたんですね?」
「ああ。あたいの予想が合ってれば、その蝶は」
明日奈が七瀬の正体を言おうとした時、
「明日奈!!何やってんだい!!早くしな!!」
電話の向こうから、吉江の怒鳴り声が聞こえた。
「やっば…ごめん!今はちょっと詳しいこと言ってる暇ないの!でもその蝶は心配ないから、放っておいても大丈夫だよ!じゃあね!」
明日奈は早々と電話を切った。
「…心配ない、ですか…」
彩華は疑問に思っていたが、プロが言うのだから間違いないだろうと思い直し、七瀬のことは茉莉に任せることにした。
*
盂蘭盆三日目の深夜。
「ふう…やっと帰ってこれたな。」
輪路は秦野山市に帰還し、一息ついた。結局今の今まで、ここには帰ってこれなかったのだ。
「油断するな。まだ盂蘭盆は終わっていないし、ここには仕事をしに来たんだ。」
輪路のそばには、翔もいる。というのも、秦野山市で妖気と磁場の乱れが検知されたという情報が入り、急いで戻ってきたのだ。
「つっても、何もなさそうだぜ?」
輪路は目標のポイントにたどり着いたが、今のところ何かが起きている様子はない。
その時だった。突然空に雷雲が現れ、輪路達の目の前に雷が落ちたのだ。
「うおわっ!!」
驚いて離れる輪路。翔は慌てず、無言で討魔剣を抜く。ただの落雷でないことがわかっていたからだ。
「フゥゥゥゥゥ…!!」
雷が落ちた場所には、六十センチほどの動物がいて、唸り声を上げていた。
「何だこいつ?イタチか?」
輪路もシルバーレオを抜く。そこへ、三郎がやって来て言った。
「こいつは雷獣だ。」
雷獣。落雷とともに現れ、人に害を為す妖怪である。
「小さいからって油断すんなよ?力は本物だからな!」
「シャァァァァァァァァァ!!!」
三郎が言った瞬間、雷獣は吼えながら輪路に向かって飛び掛かった。全身に雷を纏い、凄まじい速度で体当たりする。
「ぐっ!!」
輪路はシルバーレオで受けたが、勢いが強すぎて防ぎきれず、受け流した。雷獣は続いて翔にも襲い掛かるが、翔は無重動法を使いながら討魔剣で受ける。あまりのスピードで雷獣の体当たりは討魔剣に触れてしまったが、翔は体重がないのを活かしてくるりと回転し、鮮やかに雷獣を受け流した。
「確かにヤバいな…よし。神帝」
「待て廻藤。俺がやる」
レイジンに変身しようとする輪路を制し、翔が進み出る。
「神帝、聖装!!」
翔はヒエンに変身した。だが、まだ終わらない。直後に全ての霊石を召喚し、その力を身に纏ったのだ。ヒエンもまた、霊石を全て揃えた聖神帝。全霊聖神帝に変身できるのだ。ヒエンは那咤太子とレイジンの戦いを見て以来、輪路に対抗意識を燃やしており、あれから猛特訓を重ねて全霊聖神帝の変身時間を二分にまで伸ばしたのだ。
(そう簡単に抜かせはしないぞ、廻藤)
「ヒエン、参る!!」
ヒエンは速さと雷と風の霊石の力を同時に発動し、スピードアップして雷獣に斬り掛かる。驚いた雷獣は雷速で動き、ヒエンから逃げようとするが、元々速い上に三つの霊石を使ってスピードアップしたヒエンからは、例え雷速といえど逃れられない。
「青羽流討魔戦術奥義、螺旋刃!!!」
さらに力の霊石も使い、螺旋を描くように回転しながら突撃し、雷獣を細切れにした。細切れにされた雷獣は、雷となって霧散する。だが、散る瞬間に雷が電線をいくつか切断してしまった。
「ちっ…これだから雷獣の相手は嫌なんだ。体内に雷の霊力を溜め込んでいるから、倒すとどうしてもこうなってしまう。」
ヒエンは変身を解いた。輪路は唖然としていた。
「…何が起きたのか全然わからなかったぜ…」
「スピードに特化すりゃ、あいつの方がまだ上だな。」
同じ全霊聖神帝でも、ヒエンとレイジンでは特化している能力が違う。速さだけを伸ばせば、ヒエンの方が速いのだ。と、
「…ん?」
三郎が何かを感じ取った。
「どうした?」
「…こっちだ!」
三郎はどこかへ飛んでいく。二人はそれを追いかけた。そして、たどり着いた先は…
「ここ、彩華と茉莉の家じゃねぇか。」
鈴峯家の家だった。翔が驚く。
「これは…中に怨霊が侵入しているぞ!」
「何!?怨霊だと!?」
輪路も驚いた。霊力探知を使ってみると、確かに家の中から怨霊の気配がする。それも一つや二つではなく、全部で十三体だ。
「師匠!!青羽さん!!」
「賢太郎!!お前どうしてここに!?」
「ナイアさんが教えてくれたんです!」
ナイアに叩き起こされた賢太郎が来た。だから、寝間着のままだ。
「中から怨霊の気配がするって!」
「ああ。どういうことだこりゃ…」
鈴峯家の家に、怨霊が入り込む理由などない。それも十を越える怨霊が入り込むなど、どう考えても異常だ。
「…なるほど、嵌められたな。さっきの雷獣は、この家に怨霊を送り込むための陽動だったんだ。」
これほどの数の怨霊が、霊と無関係な家に侵入するなどあり得ない。誰かが意図的に送り込みでもしない限りは。つまり、先ほど戦った雷獣は討魔士を引き付けるための囮であり、本命は鈴峯家に怨霊を送り込むことだったのだ。そして、そんなことをする連中は一つしか思い付かない。
「アンチジャスティスか…!!」
「らしいな。俺の力が阻まれてやがる」
三郎は結界を張ろうとしていたが、謎の力が働いていて結界の展開ができない。アンチジャスティスは結界を破るテクノロジーを持っていたので、それと同じようなものだろう。
「…とにかく、今は怨霊を排除することが先決だ!突入するぞ!」
「おう!!」
知った人間の家なので申し訳ないと思いつつも、今は緊急事態なので輪路達は扉を蹴破り、中に飛び込んだ。
(待った)
賢太郎も入ろうとしたが、ナイアに呼び止められた。
「何ですか?」
(前にも言ったと思うけど、よほどの事態でもない限りボクは廻藤輪路の戦いに関与するつもりはない。怨霊ぐらい彼の手に掛かれば軽いものだろう)
確かにそうだ。以前より遥かに力を増した輪路が、数が多いとはいえ怨霊ごときに遅れを取るはずがない。しかし、
「巻き込まれてるのは僕の友達です。だから助けに行きます。止めても無駄ですよ!」
今がそのよほどの事態だし、そういうことは問題ではない。茉莉と彩華が襲われるかもしれないのだから。
(やれやれ…)
ナイアは賢太郎の中で首を振っていた。
*
「…ん…」
茉莉は唐突に目を覚ました。今何時だろうか。部屋の中が暗いので、まだ朝ではないはずだ。とにかく明かりを点けないと、時計が見えない。そう思った茉莉は電灯の紐に手を伸ばし、紐を引いた。
「…あれ?」
だが、明かりは点かない。何度も引いてみるが、電灯は点かなかった。
「…まさか停電?もう…ブレーカー上げてこなきゃ…」
面倒だと思いながらも茉莉は起き上がり、手探りで懐中電灯を探す。こう暗くては、ブレーカーまで明かりなしでたどり着くなど不可能だ。しかし懐中電灯を見つけるまでがまた暗いので、あちこちぶつけたりと悪戦苦闘している。と、七瀬が光りながら、茉莉の目の前まで飛んできた。
「ごめんなさい。起こしちゃったわね」
七瀬に謝り、茉莉は気付く。
「…七瀬。お願いがあるんだけど…」
七瀬は身体を光らせながら、暗い鈴峯家の廊下を行く。茉莉はその後ろから付いて歩き、七瀬をブレーカーがある場所まで誘導する。
「ったく、あたしの家ってこんなに広かったのね…」
こういう時、茉莉は自分がどんな家に住んでいるのかを知る。道場があるため、彼女の家はとても広い。その広さが、今はとても恨めしい。たかがブレーカーを上げるだけの作業で、こんなに苦労する羽目になるとは思わなかった。明かりが消えているためか、家の中がいつもより広く感じる。先も見えない、自分が今いる場所さえ不確かに思える闇の中。七瀬の身体の光だけが、茉莉の滅入りそうになる気持ちを支えていた。かくして、茉莉と七瀬はようやくブレーカーにたどり着く。茉莉は蓋を開け、ブレーカーに手を伸ばした。
「え?ブレーカー上がってる?」
しかし、ブレーカーは上がっており、この停電はブレーカーが原因ではないということがわかった。
「どっかの電線でも切れたのかしら?もう…」
いずれにせよとんだ無駄足である。とりあえず部屋に戻ろうと七瀬に声を掛けようとする茉莉。
だがその時、
トン
「?」
物音が聞こえた。音の感じからして、足音のようだが…
「誰?誰かいるの?」
問いかけるが、応答はない。もしかしたら、家族の誰かが自分と同じようにブレーカーを上げに来たのかもしれないと思って、茉莉は再び声を掛ける。
「お父さん?」
違うようだ。応答がない。
「お母さん?お姉ちゃん?」
まだ応答はない。ただ、足音だけが近付いてくる。ここでようやく、茉莉は様子がおかしいと思い始めた。
「ねぇちょっと。冗談やめてよ。笑えないから」
徐々に、殺気を感じてきたからだ。茉莉が空手という武術をやっている戦士だからこそ、気付くことができた。近付いてくる者は、家族の誰でもない。
(ヤバいわね…)
何者かは、とにかく殺気に溢れている。そして茉莉は声を出してしまったため、完全にロックオンされてしまったのだ。
「オォ…」
それは廊下の曲がり角から姿を現した。男だ。ただし、全身血まみれで、白目を剥いていて服もボロボロ。生きている気配が感じられない。茉莉はあの男が幽霊であると確信した。
「魂…ヨコセ…」
男は言いながら、茉莉に迫ってくる。茉莉はゆっくり後ずさりしながら、かつて輪路が言ったことを思い出していた。悪霊や怨霊の中には、生きている人間の魂を食って力を高めようとする者もいる。この怨霊はその類いだ。
(逃げなきゃ…でも逃げたらお姉ちゃん達が…!!)
太刀打ちできる相手ではない。逃げるべきだ。しかし、彩華達は家の中に怨霊が入り込んでいることを知らない。ここで逃げれば撒くことは簡単だろうが、怨霊がその後どこに行くかわからないのだ。もしかしたら、まだ寝ているであろう彩華達を襲うかもしれない。
「魂…オ前ノ魂食ワセロ!!」
怨霊の足は早くない。ゆっくり後ずさりしながら、茉莉は打開策を考える。だが茉莉は知らなかった。この家に侵入している怨霊が、一体だけではないということを。
「アアァァァァァァ!!!」
いつの間にか背後からもう一体怨霊が迫ってきており、茉莉に襲い掛かった。
「きゃあああっ!!!」
怨霊に気付いて恐ろしさに両手で顔を覆う茉莉。だが、
「ウッ!?ウウッ!!ううぅぅ~!!!」
七瀬が間に割って入り、怨霊の顔の周りを飛び回った。怨霊は苦しんで倒れ、廊下の上をのたうつ。七瀬は正面の怨霊にも飛んでいき、同じように舞った。すると、こちらの怨霊も崩れ落ちて苦しむ。二体の怨霊は、その後安らいだ顔をして、ゆっくり消えていった。
「えっ?七瀬?」
七瀬がやったのだろう。まさか七瀬に、こんな力があるとは思わなかった。しかし、安心している暇はない。
「ガァァァァァァ!!!」
また別の怨霊がやってきた。
「くっ!!」
身構える茉莉。しかし次の瞬間、
「茉莉ちゃん!!逃げて!!」
賢太郎が走ってきた。慌てて飛び退く茉莉。賢太郎は右腕を硬化し、鋭利な爪に変化させて怨霊を引き裂いた。怨霊は断末魔を上げて成仏する。
「賢太郎くん!」
「茉莉ちゃん!大丈夫だった!?」
賢太郎は右腕を元に戻し、茉莉の肩を抱く。
「あたしは大丈夫。この子が守ってくれたから」
茉莉は七瀬を見た。それから、再び視線を賢太郎に戻す。
「それより、どうしてここに?」
「ナイアさんに起こされて来たんだ。この家に、怨霊がたくさん入り込んでるって。入るためにドア壊しちゃったけど、後でナイアさんが直してくれるって。師匠と青羽さんも来てるよ」
「そう。それなら安心ね」
茉莉は安堵した。心強い助っ人が三人も来てくれたのだから、もう家族が怨霊に襲われる心配はない。しかしドアが壊されていたのには気付けなかった。ブレーカーがある場所は玄関から少し離れていたので、わからなかったのだ。
「じゃあ、師匠達と合流しよう。こっちだ」
賢太郎は茉莉の手を引き、彼女を守るように輪路と翔の気配がする場所へ向かう。
「わかったわ。行くわよ七瀬」
茉莉は離れないよう大人しくついていき、七瀬もまたそれに従った。
一方、輪路と翔は既に四体もの怨霊を退治していた。
「ん~、残り六匹は一ヶ所に集められてるみたいだな。こっちだ」
輪路は怨霊の気配を探りながら、翔と三郎を連れて鈴峯家を行く。
「ずいぶん詳しいな。」
「ここにはもう何度も来たからな。どこに何があるかは大体把握してるぜ」
「俺もだ。こっちは道場の方だな…気を付けろよ。怨霊の気配に紛れて、一つだけ生きてる人間の気配がありやがる。」
恐らくそれがここに怨霊を送り込んだアンチジャスティスの刺客だ。輪路と翔は気を引き締めて歩を進めた。
鈴峯家道場。輪路の気配探知に間違いはなく、入り口からの月明かりで照らされた道場の中に、六体の怨霊が集められて呻いていた。
「思ったより早かったね。やっぱりこんな雑魚じゃ足止めにもならないか」
その怨霊達の中に、一人だけ生きている女がいた。
「てめぇか。ここに怨霊を連れ込んだのは」
「その通り。私はアンチジャスティスの霊使い、志村祐実。」
「やはり霊使いだったか。」
輪路が問いかけると女は答え、翔は敵の力が予想通りだったと知る。霊使いとは、その名の通り幽霊を使役して操る法術師だ。あまり力の強い霊は使役できないが、修練次第では数を使役できる。
「ずいぶん大胆な真似してくれるじゃねぇか。何でこの家を狙った?」
「あなたの知ってる人達を殺せば、苦しめられると思って。」
「…相変わらず頭おかしいんじゃねぇかお前ら。」
「だがこれまでだ。その程度の怨霊をいくら集めても、討魔士には通じない。」
翔は討魔剣を抜いて祐実に突き付けた。確かに、怨霊一体一体の力はとても弱い。この程度の怨霊なら、例え数を集めようと力のある討魔士には対抗できない。ましてや残ったのは、たったの六体だ。
「確かにこのままじゃ無理だね。でもわかってる?お盆はまだ終わってないんだよ。」
盂蘭盆が終了するまでには、まだ数分猶予がある。数分あれば、祐実にとっては十分だった。
「お盆は現世と冥界の境が薄くなる。それを利用すれば…」
祐実は霊力を込めて手をかざす。すると、怨霊が新たに十体出現した。
「こんなこともできちゃう。」
冥界から怨霊を呼び出したのだ。しかし、
「それがどうした?何体連れてきても無駄だと言ったはずだが。」
弱い怨霊が十体程度増えたところで結果は変わらない。一体が一撃で倒せるレベルなのだから。
「これを見てもそう言える?」
だが、祐実の奥の手はここからだった。祐実が再び手をかざすと、十六体もの怨霊が一つに集合し、一体のリビドンになったのだ。
「名付けてレギオンリビドンっていったところかな?じゃあ頑張ってね。」
祐実はレギオンリビドンを放置して、姿を消した。
「あの女…またこんな手を用意してやがったのか。翔、今度は俺にやらせてくれよ?」
「…好きにしろ。」
「ありがとよ。神帝、聖装!!」
輪路はレイジンに変身した。
「おっと!結界を張るぜ!」
祐実が去ったことで、三郎の力を阻害していた力が消えた。今なら結界が張れる。三郎は結界を張った。この中なら、いくら暴れようと外に影響は出ない。
「レイジン、ぶった斬る!!」
レイジンはシルバーレオをスピリソードに変えて、レギオンリビドンに斬り掛かった。
「ウウ!!」
「お!?」
だが、レギオンリビドンはシルバーレオを片手で受け止め、レイジンを殴り飛ばした。怨霊一体の力は非常に弱いが、十六体もの怨霊を一つに束ねれば、強力な幽霊になる。しかもただの幽霊ではなく、リビドンだ。先ほどまでとは、また別の存在になったのである。
「結界の中とはいえ、ここは俺のダチの道場だ。早々に冥界へ、お帰り願うぜ!!」
だが数を合わせた程度のことで、レイジンは負けない。以前までなら通じた手だろうが、霊石を全て揃えた今のレイジンに対してははっきり言って無意味である。レイジンは全霊聖神帝にパワーアップした。
「オールレイジンスラァァァァァァァッシュ!!!」
オールレイジンスラッシュを発動し、早々にケリを着けた。
「ま、雑魚だな。」
レイジンは変身を解き、三郎も結界を解除する。全霊聖神帝まで使う必要はなかったかもしれないが、何度も使うことで変身可能な時間が伸びる。雑魚相手でも、使って問題ない場面なら使っていこうと輪路は決めていた。そこへ、賢太郎達も合流してくる。
「師匠!!大丈夫でしたか!?」
「ああ大丈夫大丈夫。」
最初この家に侵入された時こそ焦ったが、まぁ雑魚の集まりだったので苦もなく事態は収拾できた。
「だから言ったじゃない。廻藤さんと青羽さんは強いから大丈夫だって」
「茉莉。お前起きてたのか?」
「どうも停電みたいで、ブレーカーを上げに来たら巻き込まれたんです。」
(すまない。それは俺のせいだ)
翔は心中茉莉に謝った。そこへ、七瀬も飛んでくる。
「この子のおかげで無事でしたけど。」
「何だこの蝶?」
いぶかしむ輪路。翔は驚く。
「これは…虹霊蝶!?」
翔は七瀬が何なのか知っていた。虹霊蝶とは、盂蘭盆の時期にのみ羽化する珍しい蝶である。ただの蝶ではなく、高い知能と霊力を持ち、人の言葉を理解し、単独で怨霊やリビドンに対抗することもできる霊虫なのだ。
「死んだ人間の魂が蝶の姿になって帰ってくるって話を聞いたことがあるか?あれは虹霊蝶の性質が一人歩きしてそう言われるようになったんだ。」
三郎が補足説明をする。昔ある人間が虹霊蝶の羽化を目撃し、こんな美しい蝶が普通の蝶なわけがない。今日はお盆だし、亡くなった人の魂が蝶の形を取って帰ってきたのだ。と思い込み、この伝説が広まったのである。
「七瀬。あなたってそんなすごい蝶だったの?」
予想外な蝶が自分の所に来たので、茉莉は驚いている。と、
(えへへ、すごいでしょ?)
全員の頭の中に、幼い少女のような声が響いた。翔が説明する。
「虹霊蝶は知能が高い霊虫だ。わずか数日で人間の言葉をマスターし、テレパシーを使って会話ができるようになる。」
虹霊蝶は成虫になってからもさらに成長する。テレパシーを使った意志疎通や、高度な法術の使用も可能になる。その高い知能と霊力に目を付け、使役して戦っている討魔術士もいるのだ。
「おいどうすんだ翔?こいつ茉莉に懐いてるみたいだけどよ。協会に連れて帰るのか?」
協会は七瀬を保護するかもしれない。だができることなら、輪路は七瀬と茉莉を引き離したくなかった。
(わたし、茉莉おねぇちゃんと、いっしょがいいな…)
七瀬も後押しするように、翔にテレパシーで話す。
「…虹霊蝶は珍しい霊虫で、数も少ない。力も強いからできることなら協会で保護したいが、彼女なら大丈夫だろう。そのままこの虹霊蝶の飼育を続けるといい」
翔は茉莉の人柄を信じ、七瀬をこの家に置くことにした。
「よかったね茉莉ちゃん!」
「うん!」
賢太郎も喜んでいる。七瀬とのいきさつは、茉莉から聞いた。引き離されたら可哀想だと思っていたのだ。
「じゃあ、これからよろしくね。七瀬!」
(うん!茉莉おねぇちゃん!)
七瀬は嬉しそうに飛び回る。虹色の光が、月光に映えていた。
というわけで、新しい仲間、虹霊蝶の七瀬が加わりました。長くなったので、具体的な変化はまた次回書く予定です。そして次回は、彩華もパワーアップ!お楽しみに!




