はじまりだよ
平安時代の話である。
刻は子を回った。
菅原雅則は訪れている越中にて一夜を過ごしている。真夏といえども布団一枚手放せない。普段都で聞くような箏の音は聞こえるわけがなく、冷たい風が代わりに農民の談笑を届けてくる。
この度、都の陰陽師である賀茂忠行の命を受け、雅則は越中へとやって来た。
どうにも、この国の山には妖怪が居るらしいのだ。初めて忠行に「越中の国の妖に会ってきてほしい」と言われた時、雅則はもちろん反論した。何故我を使わす、と。
妖など、都で見るもので十分だ。それだけで怖さが感じられる。ましてや、自ら妖怪見物に行くなどと、勇気のある行動は臆病者の雅則には出来そうにない。
だが、『あの』賀茂忠行の命だ。行かぬ、という選択肢はあるのだろうか。もし行かぬと言えば、首が飛ばされるのだろうか。臆病者の雅則には命に背くことは出来なかった。
兵を連れていざ山に登るが、積雪が、凄まじい地響きと共に何百丈の高さから一気に雪崩落ちる。越中の冬はまだ過ぎていないのかのようにも思える。
雅則は都の暖かさを痛感した。
障子を開ければ一面銀世界である。空には数え切れないほどの星。これらの明かりだけで書が読めそうだ。
この山も中腹に来た所か。農民の楽しげな声が聞こえるてくるのもこの辺りまでだろう。明日は日の出と共に出発らしい。そろそろ寝ようかと思い、布団を掛けた。
その時である。
『お主が都からの送り人か』
女の声がした。
だが、どこから聞こえてきたのかが分からぬ。背後からか、正面からか、それとも横からか。
「どこにおる」
そう問えば
『ここだ』
と返ってきた。
すると辺りが一瞬煌めいたと思えば、雅則の目の前には女が立っている。
黒髪の長い女であった。
ふもとの農民か。その割には身なりが美しい。それに、何故ここまでふもとの農民がやってくる必要があるのか。
もしや、妖かーー?
そう考えると、心が落ち着かない雅則であった。