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常識は偏見の塊

 翌日の朝9時、四ノ原駅の南出口付近にある小さなベーカリーに僕が足を運んだ頃には、既に後輩の彼女はやってきていて窓際の席で肘をついて不機嫌そうに外を眺めていた。ゆったりとしたロングスカートにカーディガンを羽織った春らしい装い。彼女の隣の席には小さな肩掛け鞄が置かれていた。僕が菓子パンと冷えたミルクを盆に乗せて正面に座ると、彼女は頬杖をついたまま僕を一瞥した。

「朝食、まだなんですか」

 窓の方を向いたまま放たれる声は外見と違わず不機嫌そうだ。

「見ての通り」

 構わず僕がパンをかじり出すと、彼女は小さくため息を吐いて一枚の紙を取り出した。割と大きなサイズで、広げると4人がけのテーブルの半分程の面積となった。色とりどりの細い線がぐにゃぐにゃと交差している。どこかの地図らしい。

「それは?」

 分かり切ったことをきくと分かりきったことしか返ってこなかった。

「地図です」

 見れば分かる、と言う言葉をミルクと一緒に飲み込む。

「どこの地図なの」

「東京の」

 それもまあ、察しはついた。僕が訊きたいのは、一体何に関する地図なのかと言うことだ。見たところ路線図ではない。線路は映っているものの、他の道路と同じようにあまり目立たないことから路線を教える類のものではないことは分かる。

「四ノ原駅付近のマップです。うちの家に丁度良いものを見つけたので」

 パンを咀嚼しながら、ふーんと気のない相槌を打つ。四ノ原駅を中心に半径10キロメートルほどが詳しく描写されている。載っている飲食店の名前を見るに、ごく最近の物ではなさそうだ。生存競争の激しい四ノ原の飲食店でも老舗の店しか僕の知ってる店はない。

「いつの?」

「分かりません。過去10年以内だとは思うのですが」

 しかしこの地図の目的が分からない。四ノ原と言う地名に区切ったのではなさそうで、南は泊山はくやま、西は西四ノ原までしっかり映っている。因みに、四ノ原を含むここら一体は新宿区に当たる。

「それで、この地図で何をしたいの?」

 すると、彼女は察しが悪いですねなどと言いたげな視線を僕に投げてきた。どうやら僕への好感度は相当に低いらしい。

 こほん、と小さく咳払いがなされる。

「先輩のお店の消失は私も興味があります。私によく似た店員に、まるで廃店寸前のような客入り、それに反し凝った内装。そうですよね?」

 頷く。この前お店に行く途中で彼女に語ったのだ。忽然と消えた喫茶店の話が、僕への興味を引き繋いでいるらしい。

「移転、見落とし、もう一度徹底的に洗うべく地図を持参したのです。先輩のうろ覚えな頭と夜道、悪条件が重なった結果かもしれません」

 妙に燃える眼前の少女に、大学生には見えぬまだ幼さが抜けない女の子に、僕はどうしても気になった一点を問わずにはいられなかった。

「どうして君がそんなに張り切るのさ。性分? 勢い? 本当に暇だから? 僕にはちょっと理解できないな」

 問われた彼女は一瞬変な顔をした。夕空にUFOを見つけてしまったような、ふと地面に視線を落としプラチナを発見したような、そんな表情だ。それから一瞬顔を俯けた。

「実を言うと、私にもよく分かりません」

 それから、こう言う。

「絶対に笑わないと、約束できますか」

 至って真面目な顔でそんなことを言われたのは初めてだ。芸人顔負けのネタが飛んできた場合、僕は約束を守れるか自信がない。けれど、何となく頷いておいた。空気が僕にそうさせるのだ。

 しかし、彼女はいつまで経っても口を開かない。焦らされるのは特別嫌いと言うわけでもないが、特別好きだと言う性癖を持っているわけでもない。先を促すと、さんざん迷った素振りを見せたうえ彼女はこう言った。

「やっぱり、言えません」

 どうやら、僕への信頼度はやはり低い値で彷徨っているらしい。土日のベーカリーの一角に、何とも言えぬ気まずい空気が漂った。


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