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神は死んだ

 大学から四ノ原駅付近までは約20分ほどかかる。夜の国道に沿って歩き、僕は彼女からいくつかの情報を入手した。曰く、彼女はまだ大学の1回生でなんなら後輩だったわけだ。無論僕が年上と発覚したからといって敬意を払われるわけではない。

 僕は敬語には必ずしも敬意が込められるわけではないと、改めて痛感した。しかし、肝心の名前については教えてもらえなかった。僕の信用が足らないおかげだろうか。

「僕の名前は、大森優輝っていうんだ」

 と自己紹介すると、

「案外普通の名前ですね」

 と大して興味もなさそうにあしらわれてしまった。

 都会の通行量はそう多くない。夜の帰宅時になって多少は増えるものの、歩行者が強い力を持つこの街道は、速度制限も厳しく自動車は飛ばせない。自動車の騒音の代わりに、軒を連ねた飲食店から喧噪が漏れ聞こえ居酒屋の脇でうずくまってる酔っ払いがうめき声をあげる。そんな様子をさして平然と、虫の羽音ほどの関心も払わない彼女を見て、僕はちょっと感心した。

「1回生だけど、慣れてるみたいだね」

「私、東京育ちですから」

 あ、そう。1回生らしい初々しさの毛ほども見せない彼女であった。まだ入学してからひと月ぐらいなのに。

「むしろ、私はサークルを立ち上げたくらいです」

「君が!?」

 これには驚きを隠せない。僕の大げさなリアクションに彼女はちょっとうざったそうに眉をひそめた。

「19で起業する人もいるんです。大したことではありません。それに、サークルのようなものはそのサークルが立ち上がったと思えば創設されるんです。そのサークルという概念が存在すれば、実物も存在することと同じです。世の中なんてそんなものです」

 妙に冷めたことを言う。

「で、サークルの規模は?」

「一人です」

「え?」

 拍子抜けを身を以て体感する。

「私一人です。ですが存在するのです。私が存在すると思えばするんです」

 街道は駅方面へ向かう学生の流れができている。勿論、夜に沈んだ後の話なのでそう大きな流れでもないが。夜の講義はとる人が少ないからね。


 四ノ原付近に辿り着いた時、ようやく僕はその問題に行き当った。あの当時はふらっと何も考えずに脇道に逸れたから、正確な道筋を覚えていない。まして夜である。

「でも、行って帰ってきたのでしょう。流石に覚えているはずでは?」

 そう僕も思っていた。しかし、心辺りのある小道へ逸れてみても店が見当たらないのだ。おかげで僕と彼女は同じ場所をぐるぐる回っている。脇道に逸れると主要道の喧騒は一気に遠ざかり、周りが数段暗くなる。小売店は既に店じまいをしている。喫茶店ならこの時間でもやっていると踏んだが。

 いや、それ以前に見つからなければ話にならない。

 このままでは……

「なるほど、ではあのお店の存在自体、先輩のでっち上げだったわけですね」

 と、当然こう思われる。僕が何も言い返せずにいると、彼女は小さくため息をついた。

「とはまあ、思わないことにします。器用な嘘がつける人ではなさそうですし」

 それはありがたい。が、お店を再び見つけられれば全て面倒なことはチャラにできるのだ。人違いも真実も証明できる。途方に暮れて空を見上げると、どこも欠けることがない綺麗な満月が浮かんでいた。

「満月ですね」

 つられて彼女も月を見上げる。

 そのまま無造作にふと視線を下げた僕は、思わずアッと声をあげてしまった。

「なんですか?」

 例の喫茶店はかなり背の高い建物の陰になっていて、随分日当たりが悪いもんだと感じた。その喫茶店に影を落としていた雑居ビルを見つけたのだ。どうしてこんな簡単な方法が思いつかなかったのか。

 それは、僕らの丁度数十メートル先にあった。ということはその先に店はあるのだ。……しかし、僕らはこの辺りをぐるぐる回って当然そこも通過したはずだったが、この時の僕はその可能性について深く考えなかった。あるいは意図的に。

 彼女を引っ張ってそこへ行く。ようやく辿り着けるのだ。個人的にはあそこのお店のあの女性ともう一度話をしてみたくもある。考えてみたらこの辺りの景色にも見覚えはあった。やれやれ、僕は本当にポンコツだな。


 しかし彼女の手を引いて店の前まで来た僕は愕然とした。

 喫茶店があったはずの背の高い雑居ビルの隣は、野菜を売る小売店になっていて今は店が閉まっていた。その店は確か、喫茶店の隣の店だった。例の喫茶店だけがすっぽりと最初から存在しなかったかのようになくなっている。つい3日前に訪れた場所が。

 隣の彼女が、ふいに声をあげた。

「概念が存在すれば、それは存在するんです。逆に言えば、概念がないものは存在しない」

 彼女は言った。続けて

「先輩は神を、信じますか?」

 その質問に背筋が凍る。薄暗い喫茶店の映像が脳内でフラッシュバックし、目の前の彼女と店員だった彼女が重なった。恐る恐る、僕は答えた。

「思弁が終わる。まさにその時に信仰が始まる。それならば考える限り、神は必要ない」

 夜の冷気が辺りを包む。彼女は、月明りに照らされてにっこりと微笑んだ。

「良い考えです」


 空には何一つ欠けることがない月が浮かんでいた。

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