世界の中心で
電話の音で目が覚めた。辺りは真っ暗で、今が何時何分なのかはさっぱり分からない。僕は未だ覚醒せぬ意識と重い体を引きずってベッドから這い出、投げ出した鞄の中から携帯を取り出した。
相手も確認せずに出る。
「もしもし……」
すると、いつになく切迫し心配そうな辻風結菜が電話に出た。
「もしもし、先輩ですか?」
「ああ、君か」
電話を片手に寝ぼけ眼をこすって部屋の電気を点ける。明るさに目が眩み、眼球の明順応を待ちがてら僕はベッドに腰掛けた。
「どうしたの?」
「こんな非常識な時間に済みません、先輩。ですがどうしても貴方にかけなければと思ったので」
非常識な時間。部屋の置時計に目を走らせると、時刻は丁度夜中の1時だった。
「突然の質問ですが笑わないで答えてください。先輩は、今日の月を見ましたか?」
その瞬間、『ああ』と感慨の為息が漏れた。変わらない満月に気づいたのは僕だけではなかったのだ。この世でたった一人ぼっちだと思っていた僕にも、仲間はいたのだ。清華と文月先輩を失ってどうやら僕は想像以上に打ちのめされていたらしい。
答えるのには少し時間がかかった。電話越しの彼女が不安そうな声をあげる。
「先輩?」
「もちろん見たよ。今日もこの前と変わらない満月だった」
すると、携帯の向こう側からも深いため息が吐かれた。その息遣いに、何故だか届くはずもないのに耳が痒くなったような気がした。
「そうでしたか。いえ、そのような予感がしてたんです」
しかし、凶事はいつだって唐突にやってくるのだ。僕はそのことをすっかり忘れていた。
「では、先輩。わたしとあなたは今後一切関わりを持つのを辞めましょう。金輪際これっきり。もし学内で私を見かけても、決して話しかけてこないでください」
何を言われているのか分からなかった。なんだって?彼女の一方的な通達は続く。
「電話番号も変えます。短い間でしたが」
「ま、まってよ!」
思わず金切声のようなものをあげていた。
「どうしたのさ。何か理由があるのなら言ってよ。そんなの納得できるわけないじゃないか!」
せっかく心からの仲間を見つけて安心していたのに。月の狂気が僕だけに及んでいるわけじゃないとほっとした暁にこれはひどすぎる!
「りゆう…………先輩はこれですべての厄介事から離れられるはずです。月のことも心配なさらないでください。その為に先輩には関わらないで欲しいのです」
「月のこと? ちょっと待ってよ!」
だが彼女は待ってくれなかった。怒りのようなものに声を震わせながら
「今まで本当にありがとうございました。先輩はとっても優しい人でした」
電話が、切れた。
これで、僕は本当に一人ぼっちになってしまった。ずっと続いていた清華と文月先輩の上に、彼女とのつながりも切れてしまった。何故? 月のことが解決する代わりに糸が切られたと、彼女の言葉を鵜呑みにするならそういうことだ。
やはり月はただの自然現象ではなかった。僕と彼女だけが月の女神に狂わされていた証拠であったのだ。
寝起きにショッキングな出来事で頭が混乱している。洗面台に向かって顔をよく洗う。鏡に向かってよく問い直す。見慣れない顔がそこに浮かんでいる。僕ってこんな顔だったのか。
目を閉じてよく考える。今の電話で、最後のパズルピースが埋まったような気がする。彼女の電話はとても大切なことを運んできてくれたような気がする。悲しんでる場合じゃない。
頭を振って邪念を追い出す。
考えるんだ。
5月中旬に訪れた喫茶店。優しそうな彼女。しかめっ面ながらも一緒に働くお爺さん。これが他人の空似ではなかったとしたら? それから狂い始める世界。喫茶店の消失、変わらぬ満月、梅雨の消滅。
清華の告白、文月先輩の失踪、彼女の縁切り。
呪いの神様。彼女の言葉、お爺さんの捨て台詞、文月先輩の助言。氷谷義基、跡継ぎのいない神社。僕と彼女。
すべてのピースが繋がった。彼女の声はきっと、怒りではなく悲しみと苦しみに震えていたはずだ。僕の考えが正しかったのなら。
やはり、彼女に会う必要がある。そこだけは正しかったように、やはり辻風結菜が全ての原因であった。世界は、彼女を中心に回っていたのだ。




