国破れて山河在り
次の日、昼過ぎに起きた僕は大学の最寄り駅である四ノ原駅へ向かっていた。吊り革に掴って揺れながら考え直す。
そうだ、文月先輩とは今日の書店のアルバイトで会えるのだ。直接会って意見を仰げばいい。なにごともくよくよしても仕方ないものは仕方ないのだ。
車内アナウンスがなされる。
「間もなく四ノ原~四ノ原~」
ふと視線を上げ車窓の外を眺めると、氷谷神社が視界をよぎっていくのが見えた。
4限の授業が終わる頃にはすっかり夕方である。それが終わったら、僕はバイトに行かなければならない。接客業としては本屋さんで働くのは楽な部類ではあった。少なくとも飲食店と比べると。何より、書物に囲まれるのは嫌いではない。本が多い場所は自然と場が静まりかえることが多く、そのことが僕の気に入る。
授業は地誌であった。関東地方の人文地理学だ。そういえば彼女はどこの学部なのだろう。このキャンパスには文系の経済、文、法、そして国際関係学部がある。僕は経済学部であったが、この授業は文学部が開講しているものだ。
教室の席の後の方について講義を聞き流す。
「ですから、太平洋側に関しては関東地方に限らず中部、近畿、北陸においても1年を通して雨が多くなるのは専ら秋の9、10月であり、それも台風によるものですね。日本海側においては冬期に降雪量が増加しますが、勿論日本海側に吹くころにはからっ風になっています。無論これは小学校で習う常識ですが、教職を志望されている方も多いでしょうからその原理を子細に説明できる段階に辿り着くことが必要です。でなければ単位は取得できないものと思って下さい。では冬期の関東地方について~」
その後のことは頭に入ってこなかった。なんだって?
その場で問い直したい衝動をぐっと堪え、僕はこっそり携帯電話を取り出した。インターネットで検索をかける。
日本の気候は高温多湿。典型的な温帯湿潤気候だ。その雨が最も盛んなのは日本全国どこでも同じ、6月頃だろう。当然梅雨だ。こんなことは常識だろうに。しかし教室にいる生徒も顔を見合わせることも訂正することも質問することもない。
みんな一様に眠そうに、あるいは真剣に教授の話を聴いているだけだ。
そうして、ふと気が付いた。検索機能の段階で「梅雨」という変換がそもそもできない。露、汁、液、津由。まるで、ばいうを指し示すつゆという言葉がこの世からすっぽり抜けてしまったかのように。何かが、狂い始めている。
講義が終わってから、僕は即座に大学図書館に駆け込んだ。気象、科学の棚から片っ端に本を手に取った。オホーツク海気団と小笠原海気団が日本の上空でぶつかり合い停滞前線を作り出す。大雑把だったが、確か長い梅雨の原理はこんな感じだったはずだ。調べてみると、確かに2つの気団は海上でぶつかっている。しかし、本来ならそれを北に押し上げ日本にもたらすはずの太平洋高気圧の勢力が増さず、日本列島にまで停滞前線を押し上げるだけの力がなくなっている。結果、梅雨前線は海上でぶつかりそのまま北上することがない。よって日本は梅雨とは無縁の気候になっている。
いや、そもそもだ。梅雨とは梅の熟す時期に振る雨だったはずだ。その雨が存在しないから梅雨という言葉が生まれていないのか。それから僕は語学の棚に足を移動させ、辞書を引っ張り出した。
やっぱりだ。五月雨という言葉はこの時期に関連する単語がすっぽり抜けており、芭蕉の紀行文を調べれば、『五月雨や 降り残してや 光堂』という有名な句も存在していない。
つまり、気候変動ではなく大昔から日本には梅雨が存在しなかったのだ。その痕跡がすっぽりと抜けている。
一方で、満月の固定についての記事は何も書いてなかった。月に関する記事はおおよそ僕の常識通りで、最新の新聞を眺めてみても月の異常に言及しているものはない。その辺の人に、昨日の月を見ましたか? などと質問する勇気もない僕だが、質問しなくとも恐らくこの現象に疑問を抱いているのは世界でただ僕一人だと言う気がした。




