暗中模索
結局その日はそのまま解散となった。僕ができることはあまりにも少なく、また彼女自身の過酷な宿命に苛まされていることを知ったところで僕にできることはない。人のいない氷谷神社。初詣などにはきっと賑わうだろうに、守るべき氏神が氷谷の一族を苦しめている。
自宅のアパートに帰った僕はふう、と一息ついた。電気を点けてリビングに入る。人のいない家、人と会うことのなかった人生。人違いからとは言え、大学に関係するところで唯一知り合った彼女。僕に係わる余地はない、義理もない。何故だろうか、しかし僕は彼女をほうっておくことはできなかった。知ってしまったのだ。
しかし圧倒的に経験の足りない僕ではどうにも心もとない。やりきれなくなって、ソファに身を投げる。そうしたあと、ふと思い立って衝動的に鞄の中から携帯電話を掴みとり、ソファに寝転がったままプッシュした。
人物は3コールののちに出た。
「やあ、君から電話をくれるなんて珍しいね」
「あ、今大丈夫ですか。文月先輩」
頼れる変人、文月先輩である。電話番号は書店で働き始めの頃に教えてもらったものの、電話どころかプライベートでは彼と会ったこともない。けれど、先輩は快く答えてくれた。
「大丈夫でなかったら僕は出ないよ。で、なんだい?」
電話口の声からではますます先輩が何を考えているかは分からない。携帯をしっかりと握る。やすやすと事情を話すべきではないなと考える。
「先輩は、本当に神を信じてないんですね?」
苦笑の気配。
「藪から棒な確認だね。まあ、君が切羽詰っているのは分かるしその焦燥具合も大変なことだろうと思う。ぼくは信じていないと言っておくよ」
たった二言三言で僕の心理状態が見抜かれた。畏怖を覚える人が多いのも無理からぬ話だと、僕も痛感する。意識してはいなかったが、少し声が尖る。
「神と歴史を敵に回した場合、先輩だったらどう戦いますかね」
「これまた突飛な質問だ。創作の種にでもするつもりかな」
それだったらどんなにか良かったろう。
「まあ、相手が何であろうと古今東西己を知り敵を知れば百戦危うからずという言葉は当て嵌まる。それに従えばいいと思うよ。法律を武器するにせよ、呪術を試みるにせよ」
「己を知り、敵を知る」
「そう、メジャーな言葉だろう。メジャーということはそれだけ歴史的価値があるということだ。愚民衆にさえ自覚を可能にできたということ」
「なるほど、敵を知る」
少なくとも今の彼女以上に知識をつける必要があるな。そう思っていると、先輩が明日の天気を話すような何気ない口調でこんなことを言い出した。
「己を知ることも大事だね。今の君は敵どころか己すら知らないように見えるよ」
流石にムッとしてしまった。
「どうして先輩にそんなことが分かるんですか。僕のことは僕が一番知ってるはずです」
「それはどうかな。君はこの前僕に質問をしたばかりじゃないか。あの時の心情を振り返って、それでも己を知っているとそう言えるかな」
閉口する。すっかり忘れていたが、あの時の僕は喫茶店の消失と二人の『彼女』のセリフのだぶり具合にすっかり当惑していた。
僕にはこの問題もあったのだ。それも、彼女の氷谷問題の前でそれどころではなくなってしまったが。
「関係あるんでしょうか……」
「あるさ!」
先輩は芝居がかった口調で言った。
「立ち向かうのは己で、挑むのは敵なら関係ないはずがない。よく吟味することが必要だ」
『己と敵の状況が関係ないはずがない』先輩の言葉はキーワードとなって僕の心に沈殿する。なるほど、やはり彼は心強い。
「先輩はやっぱりすごいですね」
また苦笑の気配。
「そうでもないよ」
「先輩は一体どんな人生を送ってきたのですか」
言ってから後悔した。彼は自分のことについて話そうとはしないのだ。話したくないのかもしれなかった。だが、先輩はこう言ってくれた。
「僕は取り返しのつかない失敗を犯したことがある。大切な人を失った。それも劇的な失い方じゃない。ポロっとだ。まるで冬が来て葉っぱが木から落ちるように。そうなりたくなかったら、君も頑張るんだね」
もうそんなことにはなりたくないから、彼は強くあるのだろうか。
「ありがとうございました」
「いいんだよ、べつに」
電話が切れる。僕は寝転んだまま携帯を脇に置いて、天井を見上げた。考えることは、たくさんある。




