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思弁の終わり、信仰の始まり

 朝来たベーカリーにもう一度立ち寄る。今回はお互いお冷だけで席をとるという迷惑行為だったが、店内はがらがらだったので多めに見てくれてもいいだろう。朝と同じ窓際の席に座ると、午後の陽ざしが眩しく入り込んできた。外に面しているのだ。

 バインダーを降ろし、僕らは4人席に向かい合って座る。

 だが、彼女はなかなかしゃべりだそうとはしなかった。無言の時が流れる。促すべきかそうでないかを黙考したのち、質問をして会話を組み立てることにした。

「あのお爺さんは、君のお爺さん?」

 無言で頷かれる。分かり切ったことを尋ねてしまったが、律儀に頷いてくれた辺り先行きは良い。僕の勘が当たったのか、やがて彼女は言葉を紡ぎ始めた。ただし、低トーンで。

「あの神社は、私達一族が代々神主として管理してきたものです」

 まあ、なんとなく察してはいたものの改めて言われると少し驚いてしまう。

「私の名前は辻風結菜ですが、母の旧姓が氷谷なのです」

「あの神社と同じ……」

 こっくりと首肯。

「そうです。あの社は元々私達一族の氏神を祀ったものです。私も詳しいことは知りませんが、江戸時代以前、鎌倉辺りまで歴史を遡れるはずです。元来は豪族、氷谷ひたにの義基よしもとが輸祖を免れる為に私有地としての役割を手放し、見せかけ上の公営地としたのが神社としての始まりだったと聞きました」

「それは建前上の神社?」

 彼女は僅かに首を振った。

「どうでしょうか。しかし元々は氷谷家のみで祀られた唯一信仰のローカルな神と社だったのが、私情をきっかけに大衆としての土着神となったのです。江戸時代に入り徳川一族が江戸を発展させるに従い、重要な地における私達氏神は信仰を集め始めました」

「良いことじゃないの?」

 否定。

「いいえ、元々は氷谷家専用の祭神、それが一辺倒に土着神の役割を負うようになったのですからひどい矛盾が多々あります。天照大御神の血を引かない祭神ですので、豊国や日光に近い性質を持っていますが、それらとの違いは実際には人間が祀られていない点です」

「つまり、偶像。でも神様なんてそんなもんじゃないの?」

「そうですね。そこは問題じゃないんです。氷谷の祭神は元々分割相続で細分化された土地を巡って血縁より地縁を重視しがちになった鎌倉初期に生まれたものです。彼の使命は氷谷を再びまとめること。その為に多く厳しいルールが敷かれています」

「それは土着となった今でも?」

「民衆には厳然としたルールは伝わりません。彼らにおける氷谷神社の役割は、その土地を守る社です。2面性を持ったまま、正確には裏の顔を持ったまま現世まで氷谷は伝わっています。土着神としての氷谷と、氷谷一族を縛る氷谷祭神」

 なんとなく読めてきた。僕の得心が伝わったのか、彼女は大きく頷いた。

「そうです。だからまず、氷谷は氷谷以外に神を持つことは許されません。当時は氷谷を脅かすものは他家でしたから、この信条の元に氷谷を縛り付けます」

「随分強引だ」

「そうして、絶対に信じなければなりません。信じぬものには罰が訪れる、が氷谷です」

 苛烈な宗教となんら変わらないではないか。ふと思い当たる。彼女はあの夜の四ノ原で何と言ってきたか。『あなたは神を信じますか?』

「思弁する限り、神はいらない」

 すると、彼女は哀しげに微笑んだ。

「なんて素晴らしい言葉でしょう。わたしは先輩に心から感謝しました。他人からその言葉をきくことで、どれほどわたしの心が救われたか、先輩は分からないと思います」

 少し黙る。掛け値なしの笑顔には、そんな裏があったのか。キルケゴールの言葉は前半の「思弁が終わる。まさにその時に信仰が始まる」だ。後半の「それならば神は必要ない」は僕のオリジナルなのであった。

「上座仏教と、大乗仏教というものがありますね」

「厳しい修行の末に真言を悟る仏教と、全てを仏に任せる仏教」

「そうです。日本が受け入れたものは大乗仏教でしたね。往々にして面倒で辛い部分は民衆には伝わらないものです。ですが私達は他人ではありません。云わばこれは呪いです。氷谷の神は800年以上の時をかけて信仰を集めてきました。信仰の集まる神は存続するものです」

『そこに在ると人が認めればそこに在るのだ』パルメニデスと唯識論が混ざったような彼女の言葉を思い出す。

「消えるべき神は、諸事情で生き残っています。わたしはそんな神を無視して生きていたのです」

 そう言って彼女は閉めようとした。だが、気になった点がある。

「待って、君のお母さんは信仰を捨てたみたいじゃないか。今は辻風結菜って名前なんでしょ」

 すると、露骨に彼女の顔が曇った。だが、僕がそのことで何かを察する前に彼女は口早に唱えた。まるでさっさと終わらせるべき音読のような調子で。

「わたしの母は死にました。理由は何の神秘性も意図もない交通事故です。よくある話です」

 人の母親が死ぬようなことがよくあってたまるか。そう思ったものの、流石に僕も黙った。氷谷を捨てたものはどうなるか。沈黙した僕を見て、彼女はふっと笑った。それは他にすべき表情がないからそうしたとでも言いたげな、ひどく乾いたものだった。

「引いた人は仕事で寝不足だったようです。根本的な原因は神にあるのではなく、この日本社会にあるのですよ」

「……」

 彼女はまだ18歳である。ひどく大人びて周りの者を寄せ付けないような冷たい空気。そして今の乾いた笑い。僕は膝の上で密かに拳を握ることしかできなかった。

「氷谷家で不慮の事故はたくさん出てるの?」

 彼女は力なく首を振った。

「跡取りが氷谷を捨てれば兄弟が継ぎますが、本人はほぼ勘当状態ですから人々の記憶には残りません。あるいは、そのようなこともあったのかもしれませんね」

 そうして彼女は、いや、辻風結菜はふっと息をついた。お爺さんから言われたことがこたえているのだろうか。確かに、孫娘に対してずいぶんな言い草だった。『神が天罰を与えるとしてもか』


 呪いなんて、そんなものはないさ。そう言ってしまうには、あまりにも酷な現実と、重苦しい空気であった。


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