藪を突いて虎児を得る
一瞬音が遠のいた。すぐそばの通りを走る車の騒音、そしてすぐ近くを歩く彼女の足音でさえ、消失したような気がした。
足を止める。
彼女が僕を振り返った。
「? どうしました?」
かぶりを振る。
「随分静かだね」
「そうですか? ……まあ、木々で囲まれてますからね」
音はすでに戻ってきている。すぐ後ろの道路で自動車が走る音、彼女の足音。参道はまっすぐ奥まで続いている。再び歩き出す。森の中を切り開いたような参道を進むにつれ表の騒音は本当に遠くなっていき、僕と彼女の靴がたてる小さな音と小鳥のさえずりが聞こえるようになった。
やがて二ノ鳥居が見えてくる。門の隣に社務所、その奥には手水舎や本殿が姿を覗かせている。
鳥居をくぐる瞬間、少し躊躇いが生じた。
さっさと歩き続けていた彼女が鳥居の向こうから声をかけた。
「どうしたんですか?」
……どうしたのだろうか。ばかばかしい。
僕もそのまま鳥居をくぐる。さっきのような奇妙な感覚は起きなかった。
手水舎や社務所には目もくれず、とりあえず本殿の前まで行く。賽銭箱の両脇には2頭の狛犬が置かれており、設置場所としては奇妙だ。本殿を正面に、右側に売店と絵馬がある。店はしまっており、下げられた絵馬の日付は全て今年の正月だった。
参拝客のお年寄りの姿もない。敷地が大きいだけに、淋しさが目立った。
小奇麗なのに人の姿がない。管理人も含め巫女さんの一人も見当たらない。何か間違って廃れた社に迷い込んでしまったような錯覚を覚える。彼女は社務所の近くをうろうろしていた。参道は手水舎の辺りで二つに別れ、僕のいる本殿の方向と、もう一つ反対側の二ノ鳥居へと繋がるものがある。出入り口は一つでないらしい。
僕は彼女の方へ足を運んだ。参道から外れ砂利を踏みしめる。
「人、いないね」
「いなくても問題ないなら、いない方がいいです」
彼女はしきりと社務所の人の有無を確認しているようだった。小さな窓からはぱっと見無人に見えるけど、そこまで気にすることはないのに。
「それで、満足しましたか? 見覚えはありましたか?」
首を振る。
「初めて訪れた」
道は見覚えがあるものだったのに、この神社だけまるで見覚えがない。彼女は小さく息を吐いた。
「こんなことを言ってはなんですが、先輩は少し脳を診てもらう必要があるかもしれませんね」
真面目にこんなことを言われたのは初めてだ。しかも言い返すこともできない。
「さあ、用が終わったのなら帰りましょうか。もし診断結果で何らかの病状が出た場合、是非私に教えてください。それで辻褄が合うでしょうから」
半ば以上本気で言っているような気がする。しかし、僕も彼女の立場だったらそう思うだろう。全ては僕の虚言。世界から隠れるような喫茶店、そしてそのお店の店員だった女性。よく似てるとは言っても、彼女と目の前の彼女は別人であった。
「そうだね、帰ろうか」
来た方向へ踵を返す。僕と彼女が通った方の二ノ鳥居をくぐろうとしたその時だった。
「結菜か。何しにここへ来た」
後ろから、丁度反対側の二ノ鳥居の付近から声がかかった。僕と彼女が同時に振り返る。反対側の鳥居から姿を見せたのは、古ぼけた紺の袴と汚れた白の上衣を纏ったお爺さんであった。禿げあがった頭が彼の外見年齢を底上げしている。
彼は、あの日僕が喫茶店で会ったお爺さんに非常によく似ていた。




