7月15日 02:02 山道にて
「お気をつけ下さい。先ほどのように足を引っ掛けるところもございますので」
「いえ、そんなことはありません。それに空を飛べたとしても、今回のような場合は飛ばぬ方が良いのですよ。飛ぶとかえって目立ってしまいます。
吸血鬼が城に飛んで行くところを見られたら、それこそ終わりです。この作戦は誰にもばれてはいけないのですし、それならばこっそりと下りるべきなのです。
本当は夜が訪れると同時に村へ下りて、どこかへ潜伏することが一番良かったのですが、パルサーさんに聞けば村に隠れる場所は無かったと言いますし、山の入口から中ほどまでは夜警が這っているとも聞きましたのでこうして回り道をするしかありませんでした。
人も色々と頭がよろしい。やはり昔から吸血鬼の伝説がある村です」
「御心配なく。こちらの道から行けば時刻も時刻です。夜警もいないことでしょう」
「もう半分ぐらいなので、二時半には着きますよ」
『御待ちなさい! 私をおいてどこに行かれるというのですの!』
「パルサーさん!? どうしてここへ!?」
『やっと追い付きましたの……。ブライト様、どうして今ごろになってお出かけを? 私には何も仰らずにどうして私だけ置いていくのですの?」
「これには深い理由が」
『深い理由ですの? いえ、そんなはずはありませんの。ブライト様にそんな、私を置いて行ってまで夜中にお城を出て行かれるなんて……。
あんまりですの……』
「待って下さい! そんな涙を流さないで聞いて下さい! これにはあなたにも言えない事情がございまして、
とりあえずお城に今すぐ引き返して下さい! 後で全てお話しますから!」
『また全てをお話する!? ブライト様! あなたは何度も私にその優しい言葉をかけて下さりましたの! けれど、その度に私は落胆する思いにとらわれますの!
どうしてか分かりますの!?」
「いや、どうしてと言われても」
『それがロマンスの定石なのですの! いつか分かるという言葉は決して素敵な結末を迎えない。ああ、私はそれを知っている、だからもう、その言葉を口にしないでください!
ブライト様! 今ここで全てを仰ってください! それが駄目ならば全てをここでお話下さいませ!』
「分かりました! ちょっと待って下さいね!」
『私は今まで存分に待ちましたの! 一分一秒、あなたの呼吸の数も数えようとしましたの! 世界の中心に何があるかを御存じで!? それすらも考える時間をあなたは私に与えて下さったのに、まだ待てと仰りますの!?
何をそこでぼさっと見てるんですか、御当主様! あなた様はまただんまりですか、そうですか!
あなた様がブライト様を惑わしたのでしょう! そうに決まっていますの!
そうでなければあの明晰なブライト様がこんな夜中に出て行くだなんて……』
「パルサーさん! お城に戻りましょう! お城に誰もいないのでは、誰に入られるか――」
『私よりお城の心配ですの!? 酷過ぎるですの!
そうですの、分かってますの、これも全て御当主様のためですね。ええ、言わずともわかっておりますの。
お城は心配ありませんの。リスリルという麗しき令嬢のような方が任せてくれと仰っていましたの』
「リスリルさんに会ったんですか!? いつ、どこで!?」
『そんな話をするために来たのではありませんの! 私はブライト様に会いに来たの! リスリルはシンデレラの魔法使いですの! それを知った私に、ロマンスの神様は私に見方をしてますの!
ブライト様! ここでお選びくださいませ! その御当主様とこの私め、どちらを御取りになるのですの!?』
「馬鹿なことを言ってないで――」
『馬鹿なこと!? 既にブライト様は心をお決めになっているの!?
おのれえ! ここで、ここでー!』
「な!? 包丁!? やめなさい、パルサーさん!」
『ふふふ、辞めないですの! ヒロインに報われないロマンスなんてあってなかったようなものですの! ブライト様が私に夢中、ああ、この時が一番楽しいですの!?
ここであなたを殺して私も死ぬ! 心中こそ愛の究極ですの、そう、ロミオとジュリエットのように!』
「やめなさい! うわ!?」
『ブライト様!? ああ、ブライト様が転んで怪我を……これも、これも、
全ての元凶はあなた様ですの、御当主様、覚悟は出来ていますね……』
『あなた様が全て悪いのですの。あなた様がブライト様を一人占めするばかりに、あなた様が病弱でなければもう少しは仲良く出来ていたかもしれませんの……』
「いい加減にしなさい!」
『きゃあ!? あ、ああああー』
「パルサーさん!? パルサーさん!」
『殴られた、御殴りになられた……。
ブライト様、どうしてそんなに私を御嫌いになるの……』
「お願いです! 朝までには必ず戻りますからどうか御城へ」
『お城で何をしているので? また待てと申すのですの?
そうですの、ああ、あんなところに綺麗な蝶が飛んでいますの』
「蝶? どこにそんな物が」
『蝶が私を呼んでいますの。こっちですの、こっち……』
「ちょっと! パルサーさん! 足元を気をつけて」
『あは、蝶を捕まえたあ、キャアーーーーーー!』
「パルサーさーーーーん!」
「どうしましょうか。御主人様、満月の夜は今日限りです。
仰っていることはお分かりですか?」
「パルサーさんはたぶん深いところまで落ちてしまいました。
助け出すのには時間がかかります。助け出せば朝になるかと……」
「村で血を吸ってからでも遅くはないですよ。彼女は私と同じアンドロイドですし、滑り落ちただけの衝撃では壊れないと思います。村で血を吸い、力を得たあなたが助けに行くというのが最善の策だと思いますが……」
「そうですね。それでは私も後で嫌な思いをすることになりますね。
分かりました。私もあなた様と同意見です。助けましょう。ここで助けねば私はあなたのお母様に怒られそうで仕方ありません」
「そこで待っていて下さい。ああ、なんでしたらお城に先に帰られててもよろしいですが」
「え? 御主人様が行くというのですか?
それはなりません! そんな危険なことをさせる訳にはいきません」
「駄目です。私が行きますのでそこに……」
「はあ。そういうところはお父様にそっくりですか。
分かりました。少々お待ち下さい」
「これをどうぞ。これを握ってゆっくりと下りて行って下さい。丈夫な木にこの通り、縛りつけていますので、帰りの際にでも」
「って!? 滑り落ちて行くのですか!?
あー! 行ってし――」
『何ですの。あなた様が御助けに来られたのですの』
『つまらないですの。私の計画ではブライト様が下りて来て、そしてそのまま駆け落ちか心中の二つを選ばせるはずでしたのに。
とことん私の邪魔をするのですね、あなた様は』
『ふん、まあいいですの。それよりもどうして私は落ちてしまったのか覚えていらっしゃいます? 途中から記憶がないですの』
『ああ、結構ですの。全てはブライト様にお聞きしますの。そしてお優しいブライト様のこと、きっと私の粗相も許して下さりますの』
『いつまでぼさっと見てるのですの。助けに来てくれたのでしょう。
落ちた衝撃で左腕と右足を負傷しましたの。あなたと違って自然治癒もない私ですので、修理が必要ですの』
『歩くことはなんとか出来ますの。そんな背中におぶって下さろうとしなくも大丈夫ですの。
ブライト様でしたら素直に従うのですが……。
やはり素直にあなた様の好意に従いましょうか。予想以上に負傷が激しいですの』
『ここから私の言う通りに歩いて下さればあなた様が行きたかった村に着きますの。私はそこで出会った機械技師に会って治してもらうことに致しますの。
もちろんあなた様がそこまで連れて行って下さればの話ですが』
『ブライト様は上ですか?』
『そうですか。ではブライト様をお呼びいたしましょう。そして三人で村に向かいましょう。そして村であなた様が何をするのかをわたしもご覧になれる、と。これで私も仲間外れではなくなりますの』
『まずは機械技師のところまでお願いしますの』
『ブライト様をお呼びしなければ? 何を言っておられるのですの?
あなた様が一声、大きな悲鳴を出せばすぐにブライト様はここまでやって来ますよ。そんなワイヤーなんかよりよっぽど効果がありますの』
『腹に力を込めて、さあ思いっきり叫ぶのですの!』
『ほら、上で、ほら近付いてきましたの。
ブライト様も悲しいですが無事じゃすみませんの。もうあなたは機械技師のところに行くしかありませんね』
『すべて、あなた様の口でご説明するのです。では、後はお願いしますの。機械技師の家はブライト様にお伝えしていますの。私は少し眠りますの、眠たいのですの、では』
『ああ、それとですの。言い忘れていましたの。
もし私を信じて下さるのならば、しばらくは人の血を吸わずに生き永らえるかもしれませんの。全ては私が眠りから覚めてから。では』




