新たなる決意 (近衛騎士)
「余の考えとしては以上だ。後はそなたらで良く話し合え」
立ち上がられた陛下が玉座からおり、扉へ歩み寄ってくるのを見て、扉前に控えていた俺は深く頭を下げた。
衣擦れの音と仄かな香のかおりが横を通り過ぎてから、素早く面を上げて後に続く。
副官でもある第一魔導師団長と、小声で話し合いながら歩む陛下の背後に控えつつ、周囲に常に気を配るのは忘れない。
いかに王城内といえど、いつ何時何が起こるとも限らないからだ。
御身に危険が及ばないよう、身を挺してでもお守りするのが我々近衛騎士の使命である。
暫らく回廊を進まれた後、二手に分かれる場所へとさしかかった陛下は不意に足を止められた。
「陛下、如何なさいましたか?」
手元の資料を見ながら話をしていた魔道師団長は、一瞬不思議そうに顔を上げたが、陛下が顔を向けている方に視線をやると、心得たように小さく笑い声を立てた。
「では、私は先に執務室に戻っております」
一言告げると、魔導師団長は供を連れて去っていった。
そんな団長の後姿を、陛下は何とも言いがたい表情で見送っておられたが、踵を返して南へと向かう回廊を進み始めたため、俺も黙って陛下の後に続いた。
近頃、陛下がよく赴かれる場所がいくつかある。
王城内にある王立研究所や、国内最多の蔵書数を誇る王立図書館、そして、今ちょうど向かわれている、南地区に程近いやや広めの中庭だった。
赴いた場所で、陛下はいつもある人物を探される。
最近、王立研究所の客分として、あの魔の領域に踏み込んだ度胸ある娘だ。
見たところは、市井にいる子達となんら変わりない、ごく普通の女性である。
だが、俺はふとした出来事から、彼女があの仮面の薬師であることを知っていた。
*************
事の発端は先日行われた西への視察で、俺も陛下の護衛の一人として選出されていた。
非公式であるため、付き従う騎士や魔導師、侍従も少人数での巡行で、さらには新米従者の指導も任されていた俺は、それなりに気を引き締めて視察に臨んだ。
そんな一行の中に、一人だけ奇妙な同行者がついてきていた。
不気味な仮面をつけた人物で、愛想はないし、口を開けば毒を吐くような小憎らしい奴だった。
その薬師は王妹殿下の誘拐事件の時に、地下室で救出された殿下と供にいたため、暫らくは組織との関連について取調べを受けていたが、調査の中で組織と無関係であることが証明された。
その後、いつの間にか城から姿を消していたが、変わった魔術に精通しているということで、今回の視察に参加するよう要請を受けたらしい。
あれから、ちょっとは変わってるかと思ったが、相変わらず態度は刺々しいままだ。
近寄るなって雰囲気が伝わってくる奴に、わざわざちょっかいを掛けるのも面倒で、俺は当たり障りのない対応を続けていた。
特に問題なく進んだ視察だが、数日がかりの道程であり、その途中では山に分け入ることもある。
行く先々に常に大きな街がある訳もないので、当然野宿をする機会も多々あった。
そのため、遠征に慣れていない研究者や魔導師、侍従達は疲労もあるだろうからと、夜番は騎士が交代で行うことになっていた。
ある晩、目が冴えて寝付けなかった俺は、溜め息をついて寝袋を抜け出した。
せっかくだから夜番を交代しようかと思い、火の番も兼ねている同僚に声をかけると、そいつはちらりとこちらに視線をよこして俺を呼んだ。
「何かあったのか?」
「陛下が、天幕を出られた。ついでにご様子を窺ってきてくれ」
番は何かあった時のために、必ず二人組で行っているのだが、もう一人は周囲の巡回に出ているらしい。
そのため、王の護衛につきたくともその場を離れられなかったのだろう。
安堵したような同僚に頷いて返すと、俺は陛下の向かわれた先を聞いてそちらに足を向けた。
陛下は武術も修めておいでだから、そう簡単に襲われることもないはずだが、用心に越したことはない。
幾分か足を速め、俺は周囲の気配を探りながら草を踏み分ける。
ほんの少し天幕から歩いた先で、密やかな話し声を耳にし、俺はほっと息を吐いた。
陛下のお邪魔にならず、それでいて何かあればすぐに飛び出せる場所に控えた時、唐突に強い風が吹いた。
「うわっ!」
小さく響いた声は明らかに女性のもので、俺は不審に思い眉を顰める。
この視察は、とある事情から転移の魔術が使えず、それなりに過酷な道のりになることが予想された。
そのため、研究者や魔導師も男性から構成されており、女性は一人もいないはずなのだ。
もしかしたら、昨日出立した街から、夜伽のために娘がついてきていたのかもしれない。
陛下はこの度の視察では身分を隠しておいでで、街に泊まられる際も顔をお見せにはならなかった。
だが、宿泊先を提供する領主達は、当然陛下の巡行であることは知っているので、夜に娘を送ってよこすこともまれにあった。
実際、古より続く国内巡行の中、歴代の王も各地に愛人や庶子を儲けた方もいたようだ。
ただ、現国王陛下はそのようなことは好まれないらしく、今まで夜伽で送られた娘達には手を付けずに送り返していた。
陛下の御前に上がった娘の中には、麗しきお姿に一目で恋に落ち、一度だけでも良いからと懇願してくるものもいる。
昨日の領主の娘も、去ってゆく陛下に熱い視線を送っていたから、こっそりついて来た可能性も否定できない。
相手にもされず屋敷へ返されるだろう娘に同情しながら、俺は油断なく辺りに視線を走らせた。
どちらにしても、近衛のやることと言ったら一つ、何があってもただひたすらに陛下の御身をお守りすることだ。
そんなわけで、俺は何も見ず聞かずの精神で護衛を続けていたが、俺の想像はこの後見事に破れることになった。
「っつ……」
「どうした?」
風が治まった頃、不意に息を飲む音が響き、次いで陛下の訝しそうな声が聞こえてきた。
「いえ、突風で髪が乱れた拍子に、枝に絡まったみたいで……」
暫らくガサガサと葉の擦れる音が続いたが、絡まった髪は中々解けないようだった。
「あー、もう、面倒ですね。いっそのこと、切ってしまいますか」
「せっかく長くて美しい髪なのだ、勿体無いことを言うな。ちょっと、見せてみろ」
草を踏む音が聞こえ、再び葉摩れの音が続く。
「……何をどうしたらこうなる」
「そんなの、こちらの方が聞きたいですよ」
昨日今日出会ったにしては、陛下のあまりに気安いご様子に、俺は不審げに眉を潜めた。
僅かに混乱する俺に、更に衝撃を与えたのは、次に続いた陛下のお言葉だった。
「仮面が邪魔だな、少し外してくれ」
仮面と聞いて俺が思い浮かべたのは、件の仮面の薬師だった。
咄嗟に奴の事を思い浮かべた俺は、慌てて頭を振る。
顔を見られたくなくて、女の方が仮面をつけてきているのかもしれない。
そうだ、きっとそうに違いない。
変な汗をかきながら、俺は己の考えに小さく頷いた。
確かに、陛下はいつの間にか薬師と親しくなられたようで、この視察中も奴を気にかけているご様子ではあった。
よくご自分の天幕に薬師を呼んでおいでだが、しかし、同衾されることはなかったはずだ。
それに、陛下にはお美しい側妃様方がおられるし、後宮に赴かれる陛下をお送りしたことも多々ある。
側妃様方に興味を抱かないとなれば、何らかの対処がなされているだろうが、その様な話は聞いたことがない。
だが、陛下が側妃方をお迎えになって、それなりの時が経つが未だにお子は誕生していなかった。
もし陛下が特殊な嗜好であられた場合、お世継ぎの問題などもある。
密かに宰相様や副官殿にお知らせするべきだろうかと、俺は痛む頭を抱えた。
冷静になって思い返すなら、夜半に二人きりで会っていたからといって、そういう間柄とは限らない。
でも、普通、男の友人に美しいとか使わないだろう?
いや、使うやつもいるかもしれないが、少なくとも俺の周りにはいない。
そもそも、その時点では相手が仮面の薬師であるかも曖昧だったんだけどな。
だが、俺は混乱していたこともあって、もうすっかり陛下の相手は仮面の薬師で、彼らが恋人同士なのだと思い込んでしまっていたんだ。
そうとう取り乱していた俺は、冷静に考える能力を失っていた。
普段なら不敬に当たるため、その様なことはしないんだが、変な使命感も手伝って、俺はそっと背後の様子を窺った。
はたして、そこに居たのは俺が顔を青くしながら想像したとおりの人物だった。
しかし、その直後、仮面を外した薬師の姿を目にし、俺は更なる衝撃を受けることとなったわけだ。
*************
数日を供にしていたが、あの薬師が女性だなんて、俺はこれっぽっちも気付かなかった。
だって、この厳しい道のりを、涼しい顔でついて来れる女性がいるとは思いもしないだろう。
それに、普段の薬師の声はもう少し低く、成長途中の少年のようにも聞こえた。
更にはあの刺々しい雰囲気も合わさって、てっきり男だとばかり思っていたのだ。
今思えば、フォルト副団長は薬師が女性であることを知っていたんだろうな。
しょっちゅう気にかけては鬱陶しがられていて、あんな奴は放っておいたらどうですかと、何度か告げたことがある。
その時、副団長は何とも曖昧な笑みを浮かべながら、そうもいかないんだと呟いていたっけ。
薬師が女性と分かったからには、騎士として無視するわけにはいかない。
彼女に不審がられないように、視察中、それとなく気を配るのに苦労した。
西での日々を思い出している間に、陛下と俺は目当ての中庭へと辿り着いていた。
様々な植物が植えられている庭の端に、件の人物は座り込んでいた。
何かを植えていたらしい彼女は、両手を泥だらけにしたまま、近くに居た老齢の庭師に何事かを告げた。
それにおどけて返した庭師に、娘は僅かに目を丸めると、ころころと笑い声を上げる。
何だか楽しそうにしているな、などと思いながらふと陛下のご様子を窺った俺は、一瞬思考を停止させた。
お側に仕えて早数年、陛下がこのような表情をなさるのを、俺は今まで見たことがなかった。
新緑の色をした瞳を眩しそうに細められた陛下は、とても穏やかな顔で彼らのやり取りを眺めておいでだった。
なんというか、満たされてるって感じの表情で、つられてこっちまで心が温かくなるような気がした。
陛下にこのような顔をさせられる彼女は、やはり特別な存在なのだろう。
ただ、視察の時は愛人なのかと思っていたんだが、最近はどうも違う気がする。
そういう関係にしては、陛下と薬師の間に流れる空気が穏やかなのだ。
俺の経験からすると、恋って言うのはもっとこう、浮かされるような熱さがあると思う。
かと言って、陛下のご様子が、友人やお身内に対するものと同じかというと、首を傾げざるを得ない。
まぁ、つまるところ、よく分からん。
この所振られ続きの俺が、愛だの恋だのを偉そうに語るのもおこがましいしな。
結論付けた途端、先日潰えた恋の行方を思い出した俺は、表情は変えずに内心でがっくりと肩を落とした。
彼女は高嶺の花だったし、玉砕覚悟の告白ではあったさ。
だけど、それにしたって、振られる時の台詞が「あなたって優しいけど、男としては見れないの」ってどういうことだよ。
打ちひしがれている俺を尻目に、長閑に小鳥が囀り、時は穏やかに過ぎていく。
暖かな陽気に包まれたまま、暫らくその場に留まって彼女を見つめていた陛下は、ゆっくりと中庭へと足を向けられた。
こちらを背にしている薬師は気付いていないようだが、庭師の方が王を認めてその場で平伏した。
不思議そうに小首を傾げた薬師が振り返り、近付いてくる陛下に目を瞠った。
彼女と会話を始められた陛下は、あの笑みを浮かべたまま相槌をうって薬師の話をお聞きになっていた。
溜め息をついて気持ちを切り替えてから、俺は顔を上げて一つ頷く。
薬師が陛下の愛人であろうと、そうでなかろうと、もはやそんなことは関係ない。
敬愛する陛下が、このように安らいだ表情を浮かべられる場を、俺は全力でお守りしたいと思う。
そして、これは私事ではあるが、今年こそ可愛い彼女を作る!
そう決意を固めて、俺はこっそりと拳を握りしめた。
リハビリ的小話第2段です。
初めての一人称で、色々と悩みつつ書いてみました。