薬の半分は優しさでてきています (カーデュレン&室長)
「何だ。誰かと思えば、お前か」
「今、お時間はありますか?」
研究室のドアを開けた室長は、やってきた人物に僅かに目を丸めた。
訪問者であるところのカーデュレンは、彼女の頭越しに室内を確認する。
現在は丁度昼時で、中にいる研究員も疎らだ。
「構わない。室長室で良いか」
「では、お邪魔します」
踵を返した室長の後に続き、カーデュレンも研究室内へと足を踏み入れる。
研究員達は訪問者よりも己の研究にご執心で、ちらりと彼に目をやるだけですぐに手元に視線を戻す。
異様な熱意の篭った室内を横切り、カーデュレン達は部屋の奥にある個室へ入った。
「どこか、適当なところに座ってくれ」
「……何と言うか、相変わらずですね」
中を見渡してから、カーデュレンは小さく溜め息をついた。
室内は様々な書籍、魔法薬の素材、用途の分からない小物で埋め尽くされている。
カーデュレンは、その中で比較的被害を免れている来客用ソファーに腰を下ろす。
茶を勧められたが、彼は丁寧に断りを入れた。
普段、この研究室で起こる珍妙な事件の後始末をしている身とすれば、おいそれと口にしたくない代物だ。
特に、目の前の室長が相手であるならなお更だ。
古い付き合いである自分に、彼女は遠慮などしないだろう。
幼い頃からの数々の出来事を思い出し、カーデュレンは苦い笑みを浮かべた。
室長は自分の分だけカップを用意し、彼の前にある一人がけのソファーに座る。
「で、何しに来たんだ。問題を起こしていないかの視察か?」
「いえ、まぁ、それもありますけど、単純に少しあなたと話がしたかったので」
確かに、色々と面倒ごとを起こす研究室の面々は、要注意人物に間違いない。
だが、今回ここを訪れたのは、単に室長である彼女に用があったからだ。
「話と言えば……、本題からは外れますが、少しお伺いしても?」
「何だ」
「ユーリ殿のことです」
先日、どうしても魔法薬の実験がしたいのだと、ユーリに懇願された。
こちらの都合で城に留まってもらっている手前、彼女の願いを無下にはできない。
だが、薬の実験となると、この研究室以外に勧められる場所がなかった。
あまり人様にお勧めできる場でないのは、カーデュレンが一番よく知っている。
それに、変わり者のトップである室長が、簡単に部外者を自分達の城に招きいれる気がしなかった。
渋い顔で暫らく悩んだものの、他に候補があるわけでもなく、カーデュレンは仕方なくユーリを伴ってここを訪れた。
結果、すんなりと受け入れられたのだが、室長の性格をよく理解している分、逆に首を傾げざるを得ない。
「あなたの事ですから、数日間は通うはめになると覚悟していたんですよ」
「あぁ、まぁ、何だ。面白そうだったからな」
カーデュレンの言葉に、室長はにやりと笑みを浮かべた。
「あれが、陛下の『イグシスニアの精』だろう?」
イグシスニアとは、東門の近くに根を下ろす大樹の名である。
遥か昔、この王城を築いた何代目かの王とその正妃が植えたと伝えられている古木だ。
まだ魔と人間との境が曖昧だった時代、フェヴィリウスも魔物の大群に襲われたことがあったのだそうだ。
フェヴィリウスが劣勢に苦しんでいた時、突如圧倒的な魔力を誇る魔導師が現れた。
その魔導師は王の側で彼を助け、戦乱が済んだ後、溶けるように姿を消したのだという。
王は彼の魔導師と顔見知りであったようだが、最後まで詳しいことは話さなかった。
その代わりに、魔導師の名と同じイグシスニアの苗木を、あの場に植えたのだそうだ。
あれから多くの時が流れたが、樹は今も王都を見守るように枝を広げている。
そんな逸話のある大樹は王城のシンボルであり、幼い頃のラズフィスの心の拠り所でもあった。
感情を抑え、必死に王の子であろうとしていた少年が、唯一泣くことのできる場所。
一人感情を吐き出す幼子を、大樹の下で見守った事は一度や二度ではない。
そんな彼が、満面の笑みで自分達に駆け寄ってきた時は、正直己の目を疑った。
フォル、ユスティナ、余はイグシスニアの精霊を見つけたぞ、と嬉しそうに報告する姿は年相応の少年に見えた。
久しく見ていなかった、輝くような第一王子の笑顔に、思わず目頭を熱くしたものだ。
「子供の癖に時折張り詰めた顔をしていた殿下が、あんなにも顔を輝かせて話していた相手だ。気にもなるだろう。」
そして間もなく、その『イグシスニアの精』が、本当の精霊のようにラズフィスの魔力を目覚めさせた。
当時、第一王子の身近にいた人間はたいそう驚いた。
母親である前王妃など、是非礼がしたいとカーデュレンに『イグシスニアの精』を捜索させたくらいだ。
名前と南地区の人間である以外に情報はなく、探し当てるのに大変苦労したのだが、それはまた別の話だ。
「それに……」
「え?」
あの頃に想いを馳せていたカーデュレンは、近くで聞こえた室長の声で我に返る。
そして、いつの間にか目の前に来ていた室長に目を瞠った。
そんなカーデュレンの態度は気にも留めず、室長は問答無用で彼の口に何かを押し込んだ。
変な薬の類かと慌てたカーデュレンだったが、口に広がった甘味は馴染み深いものだった。
「……何です? これは」
「何だと思う」
「飴菓子……ですか?」
口の中で転がり、溶けているのは間違いなく蜂蜜だろう。
蜜を固めた飴菓子は、女性や子供に人気がある。
だが、目の前の女性は、甘いものより酒の方を好む人間だったはずだ。
首を傾げるカーデュレンに、室長はくつくつと笑みを零す。
「残念。それは紛う事なき、滋養強壮薬だ」
「は?」
滋養強壮薬と言えば苦かったり、青臭かったりするのが通例だ。
中には栄養価の高い蜂蜜を混ぜたものもあるが、これほどの甘さはなく、えぐみの方が勝ってしまう。
それに、液体で飲むものが多く、粒状にしたものなど聞いたことがない。
「ユーリが作ったのだが、飲む人間がなるべく辛くないようにと、丸薬にして周りを蜜で固めてみたらしい」
室長自身も驚いたが、周りに居た研究員もその画期的な薬に興味津々だった。
薬の中には、臭いや味が独特で、飲むのにかなりの気力を要するものも多いのだ。
だが、これならば抵抗なく薬を飲むことができるだろう。
「そんな風に相手のことを考えられる奴が、悪い人間なわけがないだろう」
暫らく唖然としていたカーデュレンだったが、やがて笑みを浮かべて室長に同意を返す。
だが、不意に疑問がわき、顎に手を当て首を傾げた。
「それにしても、ユーリ殿は一体どこから蜂蜜など手に入れたのでしょうね」
蜂蜜とはそれなりに高価なものだから、そうそう簡単に手に入るものではない。
だが、室長は肩をすくめ、席に座ると温くなった茶をすする。
「それなら、自分で採ったと言っていたぞ」
「……は?」
「庭師に聞いて、迷惑にならない所に蜂の巣箱を作ったと言っていた」
再び目を丸めたカーデュレンは、口を開けたまま室長を見つめた。
「蜂蜜やら、作った野菜やらを分けてもらうことがあるが、これがなかなか美味いんだ」
「……ユーリ殿」
「その内、あれは家畜でも飼い始めるんじゃないか?」
思わず頭を抱えたカーデュレンに、室長はからからと笑い声を上げた。
確かに、最近妙にいそいそと中庭や畑に出て行くと思っていたが、まさかそんなことをしていたとは。
「変人を暇にすると、とんでもないことをやらかすものだ。気を付けろよ」
「……例えば、あなた方のように、ですか? 姉上」
じとりと目の前の女性に視線をやると、彼女は無言でにやりと人の悪い笑みを浮かべる。
この腹違いの姉には、昔から適わないのだ。
無駄であることを理解しながらも、カーデュレンは本題である実家からの言伝を伝えた。
「いい加減、そろそろ帰ってこいだそうですよ。嫁の貰い手がなくなると、父上が頭を抱えていました」
「そうだな、家よりも研究室に居て良いと言う奇特な男がいたら結婚してやってもいい」
変わり者の姉のことだから、本当に研究室に入り浸るだろう。
下手をすると、新婚と言われる時期にすら家に寄りつかないかもしれない。
そんな心の広い男は、全国を捜してもそうそういるものではない。
これからも続く父の心労を思い、カーデュレンは深々と溜め息をつくのだった。
題名はとあるお薬のCMから借りました。
今回は、カーデュレンと室長姉弟の話です。
カーデュレンの名前がフォルセデオだったことを、作者自身が忘れていました(笑)
そして、私の書く弟は苦労人が多いようです。