命の旋律 (ラズ&ユーリ)
「……で……か、……殿下。」
そっと体を揺すられ、ラズフィスは慌てて目を開ける。
一瞬、自分がどこに居るのか分からなかったが、気遣わしげに覗き込まれて思い出す。
そう言えば、経済の授業の後、僅かな休みを使って目の前の彼女に会いに来たのだった。
「……ユーリ」
「殿下、樹上でお眠りになっては危のうございます」
「余は、眠っていたのか?」
幹にもたれていた身を起こし、軽く頭を振る。
心地よい風と、暖かな陽気に、いつの間にかうつらうつらしていたらしい。
「お疲れのようですし、本日はもうお戻りになられた方がよろしいのでは?」
「いや、大丈夫だ」
目を擦ると慌てて止められたが、お陰で少し目が覚めた。
今日を逃したら、また暫らくここには来れそうにないのだ。
どうせなら、彼女とたくさん話をしていたい。
ラズフィスに全く戻る気が無いことを悟ったユーリは、暫し考えて木の下を示した。
「では、せめて降りましょう。殿下に何かあっては、両陛下に申し訳が立ちません」
確かに、木の上で転寝をして、落っこちたなど笑えない話だ。
彼女に促され、ラズフィスは慎重に大樹を降りた。
木の根元に座り込み、隣に座るように声をかけ、ユーリを見上げる。
彼女は暫らく迷ったような素振りを見せていたが、やがて諦めたように息を吐き腰を下ろした。
眠る前、自分は何の話をしていただろうかと少し考え、武術訓練の時の話をしていたことを思い出す。
昨日は、初めて本物の剣を握らせてもらったのだった。
危なくないよう刃を潰されたものではあるが、木刀とは全く違った感覚に感動したのだ。
夢中になって話すラズフィスに、ユーリは穏やかな声で相槌をうつ。
そうしている内に、また徐々に睡魔が忍び寄ってくる。
もったいないと思うのに、落ちてくる瞼をどうすることもできない。
とうとうラズフィスの目は完全に閉じ、傾いだ頭が何かに当たって止まる。
暖かい何かは、干した草のような香りがした。
ユーリが自分を呼んだのが分かったが、返事をすることもできない。
やがて、隣から聞きなれない旋律が紡がれ始めた。
小さな歌声ではあったが、それはラズフィスに心地よさを覚える。
何と言う歌なのか、起きたら彼女に尋ねてみようと考えながら、ラズフィスの意識は完全に沈んだ。
*************
聞こえてきた歌に、ラズフィスは意識を浮上させる。
ゆっくり瞼を開くと、ぼんやりとした視界の向こうに、ユーリの背が見えた。
本を読んでいる彼女は、自分に気付くことなくページを捲っている。
隣に座っていた筈なのにどうして、と考えふと違和感に気付く。
ゆっくりと周りを見渡せば、大樹の根元ではなく、室内のようだった。
そして、ここが王城の客室であることを思い出した。
どうやら、自分は窓辺の椅子に座り、頬杖をついて転寝をしていたようだ。
(ああ、そうか。夢を見たのか)
自分がまだ、幼かった頃の夢。
ユーリと出会って、すぐの頃だろう。
あれから、たくさんの時が過ぎた。
失ったと思った彼女と、奇跡的に再会を果たしたのはつい先日のことだ。
満たされる思いに、ラズフィスは笑みを浮かべる。
だが、唐突に頭を擡げた不安に、その表情を凍らせた。
本当に、自分は彼女と再会できたのだろうか。
これは夢の続きで、目の前のユーリは、勝手に自分がつくり出した幻なのではないか。
いつもの様に、目が覚めると見慣れた天井が映り、再び絶望を味わうのかもしれない。
そう考えると、心臓が凍りついたように、体の芯が冷えた。
口の中がカラカラに乾いていたが、唾を飲み込み彼女の名を呼んだ。
擦れた自分の声に、思わず苦笑が漏れる。
それほど大きな声ではなかったが、流れていた旋律が止まり、彼女がゆっくりと振り返った。
「ああ、起きたんですか」
ユーリは本を閉じ、立ち上がるとラズフィスに近づく。
「疲れてるなら、自分の部屋に戻ったらどうです? こんな風に椅子で転寝するより、よほど良いと思うんですけどね」
そう言って、呆れたように溜め息をつく彼女の右手に金色の腕輪を見つけ、ラズフィスは安堵の息を吐く。
再会したその日、彼女に強制的に着けた魔道具。
彼女にとっては屈辱以外の何ものでもないだろうが、自分にとってはこの上もない安心感をもたらしてくれる。
あれがユーリの腕についている限り、自分は彼女を見失うことがない。
黙り込んだままのラズフィスに、ユーリは訝しげな顔をする。
眉根を寄せると、伺うように顔を覗き込んできた。
「顔色が良くないですけど、本当に具合が悪いんじゃないですか?」
「いや、起きたばかりで頭が働いていないだけだ」
「体調管理には、気を付けてくださいよ。国王が倒れるとか、洒落になりません」
体を起こしたユーリの腕を引き、傾いだ彼女を抱き止めた。
途端に香る干草の匂いが、実は薬草の香りだったのだと、今なら分かる。
「ちょっと、急に何するんです。危ないじゃないですか」
「最近、夢見が悪くてな。あまり眠れていないんだ」
「……なんだ、それならそうと、早く言って下さいよ。安眠効果のある香ぐらい、お安い御用です」
薬の調合となった途端、ユーリの意識はすでにこれから作る香に移ったようだった。
あれこれと薬草の名や効果を呟く彼女の声が、振動を伴ってラズフィスに伝わる。
そのことに、ようやく自分の顔に笑みが浮かんだ。
伝わってくる生命の旋律が、規則正しく脈打ち、彼女が生きていることを実感する。
暖かな温もりに包まれ、ラズフィスは静かに目を閉じた。
こうして並べてみると、ユーリの猫かぶり具合が良く分かります(笑)
連載の方と比べると、少しは甘い雰囲気に・・・なってると良いな。