王妹殿下と薬師 (ユーリ&クリス)
「私はそろそろ出なければ。今日はゆっくり休め、クリス」
「はい、行ってらっしゃいませ、お兄様」
クリスティーナが熱を出したと知らせを受けた兄は、朝早くに自分を見舞ってくれた。
執務へと向かう兄の背を見送って、彼女は小さく息を付いた。
喉元を通り過ぎる息が、熱を持っているのが分かる。
額に濡れたタオルを当て、侍女が心配そうに体調を尋ねてきた。
(熱を出すなんて、あの事件以来だわ)
ボーっとした頭で、クリスティーナはあの時のことを思い出す。
薄暗い地下室で、ボロボロの毛布に包まりながら、寒さに震えていた。
体の芯は寒いのに、顔は熱くてどうすればいいのか分からず混乱した。
自分がどこに居るのかも知れず、不安で泣き出したかった。
そんな中、文句を言いながらもクリスティーナを看病してくれたのは仮面の薬師だった。
何だか、もうずっと昔のことのように思えて、彼女は布団の中で小さく笑った。
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己の髪を梳く感触に、クリスティーナは意識を浮上させる。
いつの間にか眠っていたらしい。
ゆっくりと瞼を開けると、黒髪の友人が優しげな笑みを浮かべて自分を見下ろしていた。
「……ユーリ」
「ごめんなさい、クリス。起こしてしまいましたか?」
熱で潤んだ目で、じっとユーリを見つめる。
(あぁ、だめよ)
ふと、頭を擡げた思いに懸命に蓋をする。
きつく瞼を閉じると、心配そうに自分を呼ぶ友人の声が聞こえた。
考えたことが口から出てしまわないように、必死に唇を噛み締める。
だって、そんなことを言ったら、この優しい友人を困らせてしまう。
よく分かっていたことだったのに、熱に浮かされた頭はうまく言うことを聞いてくれなかった。
「会いたいの」
「え?」
「ルースに会いたい」
小さく息を飲む音がして、冷静な方の自分が苦笑した。
それでも、一度開放された思いは、どうしても止められなかった。
「もちろん、ユーリの事も好き。でも、ルースはわたくしの特別だったの」
あんな風に文句を言い合って、クリスティーナを只のクリスにしてくれた初めての人だった。
ユーリも、ルースも、同一人物だと分かっているのに。
溶けてしまった頭は、そう認識してくれないらしい。
ルースに会いたいと願う心と、ユーリに悪いと思う心が喧嘩をしているようで胸が痛かった。
それでも何とか、冗談だったと謝ろうと、クリスティーナは口を開く。
だが、言葉を発する前に、ひんやりとした掌が彼女の瞼を覆った。
「ユーリ?」
「……熱出すなんて、体調管理がなってないんじゃない?」
懐かしい声に、思わず喉が詰まる。
唇が震えて、眦から涙が零れた。
「……ひ……どい……わ。わたくし、きちんと体調には気を配っていたもの」
「どうだか。君って案外ぬけてるから」
溜め息交じりの言葉に、クリスティーナは頬を膨らます。
呼びかけると、なに、とそっけない返事が返ってきた。
「わたくし、あなたの不味い薬が飲みたくなっちゃったわ」
「……君って、被虐趣味でもあるわけ?」
「違うわ。でも、何だか懐かしくて」
呆れたようなルースの声に、自然と笑みが零れた。
他愛のない話をしながら、クリスティーナは自分の気持ちが落ち着いてくるのが分かった。
そして、不意に納得する。
きっと、自分はルースの事が大好きだったのだ。
決して、ユーリが見つからなければ良かったとは思わない。
だって、彼女も自分の大切な友人だ。
それに、兄がどれだけユーリのことを求めていたかも知っている。
ただ、ユーリとルースが別人だったら良かったのに、と思うことは何度かあった。
(ごめんなさい、ユーリ。今だけ、ルースをわたくしにちょうだい)
自分の瞼を覆う滑らかな手に、クリスティーナはそっと両手を添える。
「ねぇ、ルース」
「なに」
「わたくしが眠るまで、側に居てくれる?」
明日からは、きちんといつもの自分に戻れるから。
眠るまで、彼女の優しさに甘えても良いだろうか。
「早く眠ってよね、僕も暇じゃないんだから」
文句を言いながらも、側にいてくれる様子に安堵した。
ゆっくりと髪を梳かれるのが心地よく、次第に意識がまどろみ始める。
うとうととしながら、クリスティーナは浮かんできた考えに笑みを浮かべた。
本当に、今日の自分は頭がどうかしているらしい。
いつか、自分にルースよりも大好きな人ができたら、ユーリに言ってみようだなんて。
今はあの人の方が好きだけど、ルースがわたくしの初恋だったのよ、と。
きっと、彼女は困ったように笑いながら、自分の恋を応援してくれるだろう。
クリスティーナの初恋はルースだったんじゃないかな、と(笑)
けっこう、この二人の掛け合いが好きだったと白状します。