スタートライン
=第2話「スタートライン」=
白い光が私を包んだ。
「・・・」
「なぁ、ひとつ聞くけどよ」
「・・・?」
フィニはメスを手入れしながら言った。
「お前、痛みとか感じるのか?」
「・・・」
少しの間考えた。
正直、主人は私に暴力を加えるような人間じゃなかった。
それ以前に私自身、怪我をしたことがない。
傷が付かないように、大切に丁重に扱われてきたのだ。
「・・・」
またフィニに「紙とペンをくれ」と合図した。
それらが届くと、手術台から起き上がり言葉を書き綴った。
『分からない』
「分からないって言われてもなぁ。
だって、これメスだぜ?
切るんだから痛かったら嫌だろ」
また少し考えて、もう一度言葉を書いて、
フィニに渡した。
『なら腕を試しに切ってみればいい』
「・・・あ、そう」
然程、良い提案として受け入れられなかったのだろう。
不思議な目つきで私の腕を持ち上げた。
「・・・」
私は「痛い」というのがどんな物か分からない。
少しだけどんなものか期待していた。
「切るぞー」
フィニの言葉と共に、私の腕にメスが食い込む。
「痛いっ」
「!?」
思わず声が出た。
そうか、これが「痛い」って事なのか。
とても不愉快なものだ。
「お前、しゃべれんのかよ?」
「・・・」
驚愕の面持ちで少女を見つめた。
今まで紙とペンを運んでた自分が馬鹿のように思えたのだろう。
『あまり話したくない』
「あぁ?」
『変な言葉だから』
「声出ればいいんだよ、こっちだって筆談されてちゃめんどくせぇ事ばっかなんだよ」
「・・・」
少し黙って、軽く頷いた。
気を取り直して、フィニが新たなメスを持って来た。
私は横になって、すぐに「麻酔注射」というものを打たれたらしい。
しばらくすると、眠気が襲ってきた。
静かに目を閉じると、
ただひたすらにどこまでも続く闇が広がった。
どれだけ時間が経っただろう。
私は目を覚ました。
起き上がって、自分の足を見た。
包帯が巻かれていて、球体間接がなくなったかどうかは確認できない。
痛みを覚悟して包帯を取ってみようとしたが、
ドアが勢いよく開いた。
「あー、馬鹿。
まだ包帯取んじゃねぇよ、
足抜けるぞ」
さらっと言われたグロテスクな発言に、眉をひそめた。
本当に治ったのだろうか。
私は人形といえど、人間と同じ数の関節を持っている。
その全てが球体間接らしいのだが。
それを本当に治せていたら、
フィニは本物の悪医者だ。
「ちょっと時間かかったけど、
まぁいい出来なんじゃねぇの?
球体間接取る手術なんて初めてだけどな」
ハッハッハッハッと笑い続けるフィニに対して、
冷たい視線を投げかける。
しかし、フィニはそれを軽く流すと、
ため息をひとつついてから言った。
「お前にはよぉ、色々聞きてぇことがあんだけど」
「・・・?」
「あぁ、紙とペンはナシだからな、ちゃんと喋れよ」
「・・・」
私は小さく頷いた。
「お前、ヴィンセントの顔覚えてるか?」
すぐに頭をよぎったのは、いつもの主人の笑顔。
そして、最後に見せた涙。
「覚えてる」
ちゃんと話せる事に安心したのか、フィニは質問を続ける。
「んでもって、何で人間になりたいなんて思ったんだぁ?」
「・・・そのような質問事項は、変化前に行うのが適切だと思案します」
「なるほどな、喋り方が変ってそういう事かよ」
一般的な会話に持ち得ないであろう、単語を一般的会話文と繋ぎ合わせたもの。
不自然極まりない。
「私は人形だという事を否定します。
拒否します。
生活していて、書物にも噂でも、
私のように、人形の限度を超えるほど人間に近い存在には出会いませんでした。
故に、私は人形だという事を拒否します。
私は人間だと思案します」
つらつらと並べられる言葉に、
フィニは呆気にとられた。
言葉も出ないでいると、ニナが口を開いた。
「私の話し方はやはり不可思議でしょうか」
「あ?あぁ、ちょっとな。
でもそんなに単語も意味も知ってたら、
生活困らねぇだろ」
「生活困難には陥りませんでした。
ただ、人間関係という人類特有の繋がりは、
未だによく理解できません。
全て、この話し方が原因です」
「だろうな」
フィニは胸ポケットから煙草を取り出すと、
火をふかし始めた。
ニナはそれを見つめた。
「ところで、お前は何歳なんだ?」
「ご主人様からは18歳だと告げられましたが」
「あのな、そのご主人様って何なんだよ」
「貴方の言うヴィンセントの事です」
「そうじゃなくて、呼び方だって。
何でご主人様なんだぁ?
変態っぽいぞ」
「・・・私は存在した時からご主人様のものです。
ご主人様の言いつけは守ります。
現在、ご主人様は消失いたしましたが、
私はそれでも尚、言いつけは守り続けると誓いました」
「・・・何?
ヴィンセントがそう呼べって言ったのか?」
「肯定します」
フィニは煙草をふかしている。
それをニナは食い入るような目で見ている。
つまり、先程の会話もずっとこの状態で続けていたと思われる。
「煙草なんか見て楽しいか?」
「否定します。全く楽しくありません」
「そうかよ・・・、
つーか何で俺のところに来たんだ?
ヴィンセントの知り合いなら他にもいい奴いたろうに」
「勘違いしないでください。私は貴方を気に入ってここに来た事を否定します。
ご主人様の自室の書物から貴方の名前が出てきました。
職務内容も記載されていました。
もちろん住所も記載されていました。
私の目的を果たす為に利用しなければと思案しました。
全ては成り行きです」
「お前ヴィンセントが自慢してたほど可愛い奴じゃねぇな」
「私に愛らしさなど存在いたしません」
「あ、そう」
ニナはとうとう、フィニの煙草を取り上げた。
「あ、コラ何すんだよ」
「ご主人様が煙草などの有毒性の高い薬物は良くないと言っていました」
「薬物じゃねぇよ」
「どうでもいいことです。
それに、人の親切は素直に受け取っておくものだと思案します」
「本当に可愛くねぇな」
ニナは、そばに置いてあった銀皿の中に煙草を投げ入れた。
中には水が入っていたのか、水の跳ねる音がした。
「もう質問は終了でしょうか?」
「まぁある程度はな。
また聞きたくなったら聞くさ」
「そうですか。
ところで、この包帯はいつ外せますか?」
「お前なぁ、今日中に取れるって思ってんのかよ。
最低でも1ヶ月はかかるぞ」
「1ヶ月?半永久のような長さですね」
「お前も冗談言えるんだな」
「ご主人様譲りの低レベルな冗談です」
「本当にヴィンセントのこと敬ってるのか疑わしいな、こりゃ」
ニナは静かに息を吸い込み、小さい声で言った。
「貴方は1人ですか?」
「あ?」
「ここで職務をしているのは貴方だけですか?」
「あ、いや・・・もう1人いるけどよ、
今は出かけてんだ。
タイミング悪くて、お前が起きてる時はいねぇな」
「・・・」
想像してみた。
フィニの仕事仲間。
でも、すぐに頭が痛くなってやめた。
「とりあえず飯食うか?もう夜だ」
「・・・」
「あ、お前飯食えるのか?」
「・・・分かりません」
「マジかよ」
歩けないニナを気遣って、フィニはニナをおんぶして部屋を出た。