聖域の拒絶 ― レンズ越しの境界線~寺社仏閣にカメラを向けられない理由~
どこの街にも、当たり前のように神仏は息づいている。
角を曲がれば赤い前掛けのお地蔵様が佇み、夏には子供たちの笑い声が地蔵盆の提灯を揺らす。
観光地の寺社は夜になれば色鮮やかな光に彩られ、人々は競うようにその美しさにカメラを向ける。
けれど、私だけは……、 もう何十年もの間、私はその聖域にカメラを向けることができない。
それは、ある有名な観光地を訪れた若かりし日のこと。
帰りの列車を待つ手持ち無沙汰な時間。
ふと開いたガイドブックの中に一枚の写真を見つけた。
古びた石段の両脇を、むせ返るような苔の緑と草木が彩る門前。
吸い寄せられるように私はそのお寺へと足を向けた。
実物は写真よりもずっと静謐だった。
拝観料を払い、古い廊下を渡り、本堂の奥へと進む。
最後に辿り着いたのは、白い土壁の扉が重厚な空気を纏って鎮座する土蔵のような小部屋だった。
その時だった。
「帰ろう」と背を向けようとした瞬間に全身の自由が奪われた。
目は開いている。
周囲の景色も、埃が舞う光景もはっきりと見えている。
だが、指一本動かせない。
声も出ない。
まるで空間そのものが凝固し、私を凍らせてその空間に閉じ込めてしまったかのような感覚。
それまで聞こえていた観光客の足音や話し声が嘘のように消えた。
5分、10分……、時間はただ静かに過ぎていく。
「列車に間に合わない」という焦りだけが、動かない体の中で虚しく空回りする。
誰も来ない。
助けも呼べない。
永遠とも思える30分が過ぎた頃、突如として呪縛が解けた。
体が嘘のように軽くなったその刹那。
それまではどこかに隠れていたのか、新しい観光客のグループが賑やかに部屋へ入り込んできた。
私の静止していた30分間は、まるで初めから存在しなかったかのように。
結局、予約していた特急には乗れなかった。
特急列車や新幹線を乗り継ぎ、疲弊して深夜に帰宅した私に残されたのは、神仏から「拒絶された」という冷たい確信だけだった。
それからも、不思議なことは続いた。
超メジャーな神社の鳥居にカメラを向ければ、カメラが故障したかのようにシャッターが下りない。
撮影は諦め参拝しようと手水舎行けば、今度は立っていられぬほどの眩暈に襲われ神職に救護される始末。
近所の見慣れたお地蔵様にカメラを向ければ、風もないのに祠の扉がピシャリと閉まる。
「撮るな」
言葉ではない何かが、いつも私を押し戻す。
神様や仏様に嫌われているのだろうか。
気づかぬうちに取り返しのつかない不敬を働いたのだろうか。
私は今でも寺社仏閣にカメラを向けることはない。
レンズというフィルターを通さずただ静かに手を合わせる。
それが「30分間の静寂」で私に伝えた、目に見えない存在との唯一の付き合い方なのです。




