鈴木係員のいない会社
本作は、「飲み屋で聞いた話」をもとに想像でふくらませたフィクションです。
登場する人物や企業は架空であり、実在のものとは関係ありません。
◇
オフィスの一角、パーテーションの陰で、朝倉係長は得意げに眼鏡のブリッジを押し上げた。
その口元には、同僚を見下す冷ややかな笑みが浮かんでいる。
「同じ眼鏡でも、インテリの小倉課長よりは、筋肉バカの久守課長の方が、100倍操りやすかったですね。
大声を張り上げるだけで、何の役にも立たないから、忙しい私の代わりに鈴木いじめでもやってもらいましょう。
あのおっさんにできるのは、それぐらいですよ」
その言葉を隣で聞いていた町田係長は、困惑したように、しかしどこか他人事のような相槌を打つ。
「そうか、そうか。でもな、鈴木をいじめたら、神楽部長が黙ってないぞ」
朝倉は鼻で笑った。
視線の先には、部長席で力なく書類を眺めている老人の姿がある。
「あのボケ老人に何ができるんですかね。
この会社は、町田さんと私、あと近藤主任とかで成り立っているんですよ。
その証拠に、私が鈴木さんにきつい態度をとっても、何も言わないじゃないですか。
自分が役立たずのボケ老人だって、分かっているんですよ。
定年まで給料をもらいたいなら、おとなしくしてもらいましょう」
若手実力者を自称する彼らの傲慢さが、静かに、しかし確実に組織の歯車を狂わせていった。
――そして、鈴木係員は心身を病んで自主退職した。
退職届を出す際、鈴木係員の表情には生気がなかった。
彼を追い詰めた張本人である久守課長を真っ直ぐに見据えることもできず、ただ視線を落として告げた。
「久守課長のパワハラに耐えかねて辞めます」
神楽部長は、引き止めるでもなく、ただ遠くを見るような目で応じた。
「そうか。私がいる間はもつかと思ってたんだけどな」
鈴木係員はその言葉を聞き、冷めた心地で思った。
『最近では何も助けてくれない。見て見ぬふりじゃないか?
長年の便秘が治ったときみたいな、すっきりした顔をしてるな。
でも、それを指摘したら、退職できずに殺されてしまう』
誰にも惜しまれることなく、一人の優秀な社員が去った。
――6か月後、重要顧客から一報が入る。
それは日常的な連絡ではなく、「取引を停止するぞ」という激怒に満ちた、断罪の宣告だった。
「本件を解決するために、鈴木さんを任命して欲しい」
電話を受けた海外営業の担当者は、困惑と焦燥に声を震わせる。
「退職しました」
「鈴木さんの分析と対策力があったから、我慢してきた。
鈴木さんがいないなら、取引をたたんでいく」
事の重大さに気づいた海外営業は、血相を変えて神楽部長に詰め寄った。
受話器越しに、怒号に近い悲鳴が響く。
「鈴木さんがいた頃に、カレンダーの日付を戻して下さい。
なぜ、鈴木さんを辞めさせたのですか?
鈴木さんの代わりは誰ができるのですか?」
神楽部長は、その怒りの矛先を自分の身から逸らすべく、久守課長を呼びつけた。
「久守課長、海外営業から激しい抗議を受けた。
どう責任を取るつもりだ。
だから私は、鈴木を大事に守ってきたんじゃないか?
課長になって、たった6か月でいじめて辞めさせやがって、責任を取れよ!」
責任を押し付けられた久守は、顔を真っ赤にして、今度はその元凶である朝倉を怒鳴りつける。
「朝倉、お前はどういうつもりだ?
鈴木なんていない方がマシだって言ってたじゃないか。
あんなに邪魔だから辞めさせた方がいいと言ってたくせに、どういうことだ?
俺を騙したのか? どうしてくれる?」
しかし、朝倉の顔に反省の色はない。
彼はすでに、次の「身代わり」を見繕っていた。
「まあまあ、小倉課長が鈴木をいじめたことにしておきましょう。
そうすれば、久守課長にも私にも責任はないですよ」
――結局、鈴木係員を目の敵にして徹底的にイジメてきた小倉課長が、鈴木係員の代わりを命じられた。
しかし、鈴木係員よりも役付けが5段階も上で高い給料を受け取っている小倉課長は、鈴木係員が今まで顧客に回答してきた報告書と社内文書を熟読しても、鈴木係員が実行してきたことを真似することさえ出来なかった。
鈴木係員と同じ大学の同じ学部を卒業した者でさえも、長年の経験と直感に裏打ちされた鈴木係員の成果を、再現できなかった。
その結果、小倉課長は「鈴木と同じレベルに達するには研修が必要」という一見すると合理的な名目で、1年間を海外営業のもとで過ごす、事実上の左遷を味わうこととなった。
なぜなら、鈴木係員が合格した資格の知識を学ぶことをしなければ、鈴木係員と同じことができるようになる訳がないからだ。
ひとことで言えば、この機会に諸悪の根源を徹底的に排除するべきと会社側も考えたようだ。
もちろん、鈴木係員が辞めたあとでは、【後の祭り】、【時すでに遅し】なのだが、会社としても責任を誰かが取ったという形が必要だったのだ。
その後、会社はひとつの事業から撤退することになった。
鈴木係員が一人で支えていたその領域において、代わりを務められる人物は、会社に残った誰にもいなかったからだ。
技術レベルが数段下がった、誰にでも作れる簡単な製品を作る方向へ方針転換することで、会社はかろうじて存続した。
しかし、「誰かを泣かせてもいい」という歪んだ社風は、皮肉にも”成功体験”として組織に深く根付いてしまった。
お客様の信用を失い、ブランドが死んでいく現実に、誰も、あるいは見て見ぬふりをして気付けなかった。
少しずつ注文が減っていく現実からも目をそらし続けた結果、かつての活気は消え失せ、会社の人数は全盛期の30%にまで削減されることになった。
◇
これは、「飲み屋で聞いた話」に想像を加えたフィクションです。
実在の人物や企業とは一切関係ありません。
詳細を尋ねられても答えられません。
※この作品はフィクションです。事実とは一切関係がありません。




