第五話 結婚と再生の筆先 ~マティスとデジタルへの扉~
二十二歳で結婚した。
相手は、私の画家活動の一番の理解者になった。
胸の奥で芽生える安堵感。
新しい生活は、予想以上に穏やかで、日々の些細なことにも心が満たされていくのを感じた。
結婚生活が安定するにつれ、私は再び筆や絵具に触れたいという衝動に駆られるようになった。
以前のように生活や学業に追われることはなく、時間は自分の手に委ねられていた。
生活が落ち着くと同時に、心も少しずつ穏やかになったのか、私は再びアクリル絵の具や画材を買い集めるようになった。
小さなチューブや筆、紙の質感を確かめながら、どうやって表現しようかと頭の中で構図を考える。
その瞬間、私はまた、自分が自由であることを実感できた。
ある日、夫から買ってもらった美術雑誌のページに、特に心を奪われた作品があった。
それはアンリ・マティスの「金魚」だった。鮮やかな赤が画面の中心で主張しているにもかかわらず、絵全体にはどこか涼やかで穏やかな空気が漂っていた。
光の反射が色彩だけで巧みに表現され、まるで画面の中に清涼な風が流れているかのように感じられた。
その瞬間、私の胸の奥で何かが震えた。
「私も、こんな色で空気や光の感覚を描きたい」と、初めて具体的に強く思ったのだ。
画面を何度も見返しながら、私は色の選び方、筆のタッチ、余白の使い方を頭の中で解析した。
赤い金魚が泳ぐ水面の透明感、背景の落ち着いた青とのコントラスト、光が反射することで生まれる奥行き。色彩だけで風景や空気の温度まで感じさせる画面の魔力に、私はただ見入ることしかできなかった。
ここにあるのは単なる色の配置ではなく、マティス自身の感覚と息づかいだと感じた。
その感動は、すぐに創作への衝動に変わった。
私はアクリル絵の具を並べ、色の混ぜ方や筆の動かし方を試す日々を送った。
だが、描けば描くほど自分の技術の未熟さを思い知らされる。
赤をどれだけ鮮やかにしつつ、涼しさを表現できるか。
光の反射は単なる白いハイライトではなく、水や空気の透明感と重なるように表現しなくてはならない。
試行錯誤の連続だった。
時代は少しずつデジタルの波を私たちの生活に押し寄せていた。
ふと思い立ち、ペンタブレットを購入することにした。
最初の数日は、慣れない感覚に戸惑った。紙に筆で描く感覚と、液晶画面にペンを走らせる感覚は大きく異なった。
タッチの強弱や筆圧、色の混ざり方をどう再現するか、手元の操作と画面の反応に神経を集中させる。デジタルのキャンバスは無限に広がる自由を与えてくれる反面、制御の難しさも伴った。
それでも、少しずつ慣れていく。
アナログの経験があるからこそ、色彩感覚や構図の感覚はスムーズにデジタルに移行できた。
赤の鮮やかさ、背景の透明感、水面の揺らぎ……表現したいイメージを画面上で重ね、調整し、光の効果を試す作業は、アナログとはまた違う楽しさに満ちていた。
気づけば、デジタルだけで五百枚以上の作品を描いていた。
毎日少しずつでも描き続けることで、色彩の扱い方は驚くほど向上したし、構図や奥行きの感覚も深まった。マティスの影響を受けつつ、デジタルでしかできない表現を試み、試行錯誤の中で自分だけの表現の幅を広げていった。
描くことはただの趣味ではなく、私の精神を整える大切な行為になっていた。
結婚生活は私に安心感と安定を与え、創作はその中で自由を感じさせてくれる。
夫や子供たちと共に過ごす時間と、自分だけの創作時間の両方が、互いに支え合うように存在していた。
生活の中で生まれる小さな幸せを描き、色彩で世界を再構築する。
そんな日々を重ねるうちに、私は過去の孤独や不安が、絵を通じて再生されていくのを感じた。
マティスの作品に心を奪われたあの日から、私はただ色を置くだけではなく、光や空気の感覚まで描くことに意識を向けるようになった。
デジタルの可能性を知ったことで、描きたいイメージはどんどん広がり、アナログでは届かない微細な表現も試せるようになった。
描くことの自由さと奥深さを同時に味わえる日々は、私にとって最高に幸せだった。
思い返せば、結婚と創作は私の人生において、互いに補完し合う存在だった。
生活の安定が心のゆとりを生み、創作の熱量が人生を鮮やかに彩る。
アナログとデジタル、過去の経験と未来の可能性、日常の喜びと創作の情熱……それら全てが交わる中で、私は自分の色を見つけることができたのだ。
結婚生活と創作、そしてマティスの色彩がもたらした衝撃は、私に「人生の新しい章は、私自身の色で満たせる」という確信を与えた。
描くことの喜び、観察する楽しみ、光と色彩を操る感覚……それら全てが、私にとっての再生であり、自分らしさを取り戻す扉となったのだ。
To be continued……




