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第四話「ルーズソックスのJKと画家の夢 ~高校から社会への扉~」


  高校は名古屋市立工芸高等学校のデザイン科に合格した。

 倍率は六・一倍。父は、娘を画家にしたいという密かな願望を抱いていたらしく、合格が決まった途端、親戚中に自慢し回っていた。

 その誇らしげな様子を見ながら、私は少し照れくさい気持ちと、なんとなく責任の重さを感じた。父にとっての夢と、私自身の夢が重なる瞬間だったのかもしれない。


 しかし、私は当時、周囲の期待を気にするよりも、親友の真似をしてルーズソックスを履く“ギャルもどき”だった。

 足にゆるく巻かれたソックスを固定する為のソックタッチをコンビニで買い、ひざ下部分を鏡で何度も確認し、友達とファッション談義に花を咲かせる日々。

 デザイン科という真面目な環境の中で、どこか遊び心を忘れず、少女としての自分も楽しんでいた。


 それでも、私の中にある“観察力”と“集中力”は誰にも負けなかった。

 七人の動きのある人物を一瞬で見分け、特徴をつかんで似顔絵にする技術は、この頃から磨かれていた。

 放課後、教室で元カレの似顔絵を描き、ちょっとしたプレゼントとして渡すと、驚きと笑いが返ってくる。その瞬間、絵を描くことの喜びがさらに深まったのを覚えている。

 元カレの表情や仕草を、似顔絵イラスト調にしたのだが、それをかわいく表現できた自分に、正直驚きもした


 授業では、デザインの基礎を学んだ。

 だが、恩師には申し訳ないが、本来、美術を学びたかったので、デザイン科授業は退屈でもあった。


 高校では、いくつかの作品を残した。

 放課後に教室に残り、静物や風景、模写などを何枚も描いた。

 色の重なりや筆のタッチ、形の正確さにこだわり、時間を忘れて没頭する。

 その一方で、友達とふざけ合ったり、ファッションを楽しんだりする“普通の女子高生”としての自分も大切にしていた。二つの世界を行き来することで、私の表現力は少しずつ豊かになっていった。


 美大への進学も考えたが、金銭的な事情から断念することになった。

 家族に負担をかけるわけにはいかない。

 進学を諦めることは悔しかったが、同時に「今できることに集中しよう」という覚悟も芽生えた。

 制約の中でも、描くことをやめないと決めた瞬間だった。


 卒業後、斡旋されたスーパーマーケットの正社員の職を五か月で辞めた。

 今でもそうだが、体的に立ち仕事が苦痛以外の何物でもなく、更に時間に縛られ、自由に創作できないことがもどかしかった。

 その後は“フリーター”という言葉に妙な憧れを抱き、短時間のアルバイトを転々とした。

 コールセンターの架電業務、ピザ屋のデリバリー、ガードマン(警備員)、居酒屋のお運び……さまざまな場所で働きながら、生活費を稼ぎ、合間にスケッチブックを開いた。

 自由な時間の中で、筆や鉛筆と向き合う日々は、私にとって最高の贅沢だった。


 この時期、集中力の強さが自分を支えてくれた。

 疲れて帰宅しても、スケッチブックを開くと、手が自然と動く。

 色や形、影の微妙な表情に没頭することで、心は落ち着き、日常のざわめきから解放される。

 観察する目は鋭く、筆先に全てを伝える集中力があった。

 自由でありながら、表現に真剣に向き合える時間。

 それは、まるで自分だけの小さな世界に住むような感覚だった。


 思い返せば、高校時代から社会に出るまでの経験は、私にとって大きな学びだった。

 ルーズソックスのJKとして友達と笑い合う一方で、観察力と集中力を養い、絵を描くことで自分を確認してきた。

 その両方があってこそ、後に画家として生きる力の基礎が築かれたのだと思う。


 絵を描くことは、いつでも私を自由にし、心を守る道具だった。

 美大進学を断念し、正社員を辞め、フリーターとしてさまざまな経験を重ねたことも、全ては自分の創作の幅を広げる糧になった。ルーズソックスの少女と、画家としての夢。その二つの世界が交差した時期が、私の表現者としての原点の一つになったのである。


 描くことの楽しさ、観察する喜び、集中する力。

 そして自由に生きること――その全てが、この高校から社会への扉をくぐる日々の中で育まれた。

 絵とともに歩む人生は、ここから本格的に動き始めたのだ。


 真剣に向き合える時間。

 それは、まるで自分だけの小さな世界に住むような感覚だった。

 窓の外で吹き抜ける風や、通りを行き交う人々のささやかな動き、遠くに聞こえる犬の鳴き声や電車の音までも、観察の対象となった。

 紙の上にすべてを表現することはできなくても、心の中に刻み込むことで、次の作品に活かすことができる。この時期に培った感覚は、後に人物や光、空気の動きを描く際に不可欠なものとなった。


 アルバイト先でも、私は無意識に観察を続けていた。ガードマンの職務中にも、クレーンのデッサンを行ったりしていた。

 ほんの一瞬の動きや光の変化に気づき、それを頭の中で再構成してスケッチブックに落とし込む。

 その繰り返しが、私の感性を磨き、細部へのこだわりを育てた。

 自由な時間の尊さを知り、創作への渇望は日に日に強くなっていった。

 監督さんにノートを覗かれたが、今思えば、怒られなくてよかったと思う。(笑)


 また、この時期は生活の厳しさも同時に経験した。

 短時間のアルバイトで収入を確保しながら、創作の時間を確保するには計画性と忍耐力が求められた。

 疲労や空腹を抱えながらも筆を握り、色彩や形の微妙な変化を追求する日々。

 時には、次のスケッチにどのモチーフを描くか悩むこともあった。

 そんな生活のなかで、自分の意思で動く自由の尊さと、限られた時間をどう生かすかという緊張感を身をもって学んだ。


 思い返せば、この時期の経験は、単に絵の技術を磨くだけでなく、人間としての洞察力や自己管理能力、そして自由に生きるための覚悟を育んでくれた。

 ルーズソックスを履き、笑い合い、友達と日常を楽しむ一方で、観察力と集中力を武器に創作に没頭するという二つの世界の行き来。

 どちらも自分にとって必要で、どちらも大切にしたかった。

 互いに補い合い、刺激し合うことで、表現者としての自分が少しずつ形成されていったのだ。


 絵を描くことで、私は自分を守り、自由を得た。

 描くことは単なる趣味や学びではなく、生活の軸であり、心の支えだった。高校時代から社会に出るまでの間に、自由でありながらも真剣に向き合える時間を積み重ねた経験は、後の画家としての生き方の土台となった。

 ルーズソックスの少女としての日々と、画家として夢を追う日々。

 どちらも私の人生の原点であり、表現の原動力であり続けた。


 この時期の積み重ねがあったからこそ、私は後に、さまざまな環境や困難に直面しても、創作をやめることなく自分の道を進むことができたのだと、今ならはっきりと言える。

 描くことの楽しさ、観察する喜び、集中する力。

 そして自由に生きること――このすべてが、高校から社会への扉をくぐったあの日々の中で育まれ、私の表現者としての核を形作ったのである。


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