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第三話 写実の扉~巨匠へのあこがれと初めての金賞~


 中学の教科書をめくると、そこにはこれまで私が見たことのない世界が広がっていた。

色鮮やかで、光と影の表現が驚くほど緻密な絵。ルネサンスの巨匠たちの作品だった。 レオナルド・ダ・ヴィンチの繊細な手の動きや、レンブラントの光の使い方、フェルメールの静謐な空気……。

ページをめくるたびに胸の奥に火がつくようだった。


「いつか、私もこんな写実画を描けるようになりたい」


 その思いが、私の中で静かに、しかし確実に燃え始めた。

美術の成績は常に4か5だった。テストで4を取ったときは、たいてい美術史の問題で知識を問われるものだったからだ。(笑) 

でも、私にとって絵を描くことは、点数や評価のためではなかった。

目の前の光や影、質感を見つめ、鉛筆や筆で形にすることそのものが、心の支えであり、喜びだった。


 中学に入ると、私はArt部に入部した。

部活は、放課後の短い時間ではあったが、私にとっては特別な場所だった。

顧問の先生は、私が描く絵の線の緻密さや色の扱い方に目を留め、油絵セットを勧めてくれた。

初めて手にした油絵具は、鉛筆とは全く異なる感触で、戸惑いもあったが、それ以上に心が躍った。

絵の具を混ぜ、キャンバスに色を置くたびに、新しい発見があった。

初めて描いた静物画は、今でも大切に手元に残してある。

そこには、見たままを写し取る喜びと、失敗を恐れず挑戦する気持ちが詰まっていた。


 その際、初めて油絵のモチーフに挑戦した。

机の上には、赤りんご、青りんご、レモンなどの果物、大理石のような模様の花瓶、ブランデーを入れる透明な瓶、白いコップ、そして富士山のように盛り上げられた水色のテーブルクロスが並んでいた。


 光は窓から斜めに差し込み、りんごの表面にほんのりとハイライトを作る。

赤りんごの丸みを描こうと筆を走らせても、光の反射が鋭すぎたり、影が濁ってしまったりしてなかなか納得がいかない。

青りんごは陰影のグラデーションが微妙で、単純な色塗りでは立体感が出ない。

レモンの皮のざらつきや、白いコップの陶器のつややかな表面、花瓶の光沢を表現しようとすると、筆先のわずかな力加減で色がにじみ、質感が壊れてしまう。


 テーブルクロスの水色は、厚く盛られた生地の陰影を表現するのが難しく、光の方向と影の濃淡のバランスに何度も悩んだ。

それでも、筆を動かすたびに色と形が少しずつ呼吸し、モチーフたちが静かに立ち上がるような感覚があった。

完成したとき、まだぎこちなさは残っていたが、「物を見ること」と「描くこと」がつながる瞬間を初めて実感した。

 

 Art部で、ある日友達に「セーラームーンを描いて」と頼まれたことがあった。

私は意気込んで鉛筆を握ったものの、顔の輪郭はどこか歪み、大きな瞳も左右の高さが合わずぎこちなくなった。

髪のツヤを表現しようと線を重ねるが、思うように滑らかに流れず、かえってぼそぼそとした印象になってしまう。

衣装のプリーツや装飾の細かい模様も正確に描けず、色鉛筆で塗っても透明感のあるグラデーションは作れなかった。完成した絵を見て、自分の描写の未熟さを痛感した。

友達は線の一本一本に迷いがなく、目や手足のバランスも自然で、私との差は歴然としていた。

人物を上手く描きたい気持ちはあったのだが、そのとき、自分には二次創作よりも、実物や自然の観察から描くことのほうが向いているのだと、初めて自覚したのだった。


 中学三年生の春、学年恒例の写生大会があった。

会場は区内の農業文化園。

季節の花々が色とりどりに咲き誇り、特にチューリップの花壇は見事だった。

赤や黄、ピンクやオレンジ――風に揺れる花びらの色彩は、まるでキャンバスの上に散らばった絵の具のようだった。

光が花に落ちる角度や、茎の影が地面に落ちる様子を、ひとつひとつ丁寧に観察した。


 時間内に完成させることは私には難しかった。

目の前の光や色の移ろいを急いで切り取ることなどできない。

結局、作品は未完成のまま家に持ち帰り、何時間もかけて仕上げた。

夕暮れ時の窓辺で光の角度を確かめ、花びらの微妙な色の濃淡を調整する。

茎の曲がり方、葉の重なり、花壇の土の質感まで、すべてを自分の目で確かめながら描いた。

鉛筆で下描きをしては水彩絵具で色を重ね、乾かしてはまた手を入れる。

気づけば深夜になっていたこともあった。


 そして、結果は金賞。初めての大きな成功だった。

私の力作に、金賞のシールがつけられたのを見た時、心の中で小さな火が大きく燃え上がるのを感じた。

自分が描きたいと思ったものを、描ききることができた。

努力が形となり、誰かに評価された喜びは、言葉では言い尽くせないほど大きかった。


 その経験は、私にとって大きな分岐点となった。

それまで絵は、自分の内面を整理する手段であり、孤独な時間を満たす方法だった。

しかし、この金賞は、絵を通して世界とつながる感覚をもたらした。「観察すること、線や色で表現することの力」を実感し、自分の努力が確かな形になる喜びを知った瞬間でもあった。


 その後も教科書や美術雑誌で巨匠たちの作品を眺める時間は欠かさなかった。

色や形、光の表現、筆の運び方……すべてが学びの対象だった。

学校では、仲間と絵を描く時間も楽しかった。

部員たちはそれぞれ個性豊かで、互いの作品を見て感想を言い合うだけでも学びが多かった。

教室で教わる技法と、自宅での観察や実験を組み合わせることで、絵に対する理解はより深まった。


 中学三年生のこの時期、私は自分の中に小さな信念を持った。

「描くことは、私にとって必要で、かけがえのないことだ」と。

光や影、色や形を追い求める旅はまだ始まったばかりだったが、あの写生大会での経験が、私の画家としての原点の一つになったのは間違いない。

心の奥に灯った火は、その後も消えることなく、私を描き続ける力に変わったのだ。


 家族も、私の絵に興味を持ってくれていた。

母は完成した作品を額に入れて玄関に飾ってくれ、父は友人や親戚に自慢して回った。二人の温かい視線に支えられ、私はより一層、絵を描くことに夢中になった。

友人から「すごいね」と声をかけられることもあれば、何気ない日常の中で褒めてもらうこともあった。

そうした些細な経験が、私の自信と創作意欲を育んでいったのだ。


 そして、振り返れば、中学三年生の写生大会でのあの金賞は、ただの賞ではなかった。

それは、光を見つめ、形を追い、色を重ねることの喜びと、努力が実を結ぶ喜びを私に教えてくれた瞬間だった。

あの経験があったからこそ、私はさらに深く絵に向き合う覚悟を持つことができたのだと思う。


 中学時代を通じて、観察と試行錯誤、そして好きな色彩への憧れが私の表現の基盤となった。

Art部での経験も、写生大会での達成も、巨匠の名画への感動も、すべてが私を“見て描く”画家への道に導いてくれたのだ。

 

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