第一話 静かなる色彩のはじまり~幼い手が選んだピンクと水色~
1981年2月、名古屋市。ごく一般的な会社員の父と、パートをしながら家を支える母のもと、私は二人姉妹の長女として生まれた。
けれど、同じ家に暮らしていても、私は妹とはまるで性質の違う子どもだった。
妹が外を駆け回り、近所の子どもたちとにぎやかに遊ぶタイプだとすれば、私はその対極にいた。
三歳の頃から、なぜか眠り病の様に眠り続ける事が多く、また、外の光や大きな声のする場所がどこか苦手で、家の中の薄い日差しと静かな空気の中にいるほうが、ずっと心が落ち着いた。
外からは、鬼ごっこをする子どもたちの笑い声がときどき窓越しに届いてきた。
その声を聞きながらも、私は輪の中に入る気が起きないまま、部屋の隅で色鉛筆を一本ずつ丁寧に並べていた。
色鉛筆が整然と並ぶと、心がようやく絵の世界に向かう準備が整った気がした。
その頃、私をもっとも夢中にさせていたのは、サンリオの“キキララ”の世界だった。
キキララのピンクと水色――あのやわらかくて、少し甘くて、夢の中のように霞んだ色の組み合わせは、幼い私にとって魔法そのものだった。
ピンクを塗ると胸の奥がふんわり温まり、水色を重ねると頭の中の空気が澄んでいく。
「色って、こんなに気持ちを動かすものなんだ」
と、まだ言葉にはできなかったけれど、確かに身体で感じていた。
よく描いていたのは、豪華なお城の食卓だった。
天井に大きなシャンデリアが輝き、長いテーブルにはステーキやホールケーキがずらりと並んでいる。
描きながら私は、そこに漂う“ごちそうの匂い”まで想像するほどだった。
人物を描くのは苦手だったので、誰も座っていない食卓だけがぽつりと存在していたけれど、その静けさがむしろ私には心地よかった。
今思えば、その構図はまるで「最後の晩餐」のような横長のレイアウトだった。
もちろん、三歳の子どもがそんな名画を知るはずもない。
それでも本能的に横長の画面を選んでいたというのは、今振り返ると少し不思議で、そしてどこか運命めいたものも感じる。
母はよく「外で遊んだら?」と声をかけてくれた。
しかし私は首を横に振り、もう一度ピンクの色鉛筆を握った。
「ここが私の場所なの」と言わんばかりに。
父はときどき新しい色鉛筆やスケッチブックを買ってきてくれた。
家族はみな、無理に私を“外の子どもたちの型”に合わせようとはせず、私の静かな世界を尊重してくれていた。
それがどれほどありがたい環境だったか、大人になった今だからこそ深く理解できる。
あの頃の私は、人と話すよりも色と対話していた。
言葉にする前に、筆や色鉛筆で感情を紙に落としていく。
静かだったけれど、私の内側には、色で満たされたにぎやかな世界が確かに存在していた。
今振り返ると、その頃の“静かさ”は、私の表現者としての原点そのものだったのだと思う。
外の音よりも、色のささやきを聴くほうが得意だった。
言葉よりも、線が先に走る子どもだった。
今思えば、私は“世界そのもの”よりも、“世界をどう切り取るか”に強く惹かれる子どもだった。
窓辺に差し込む日差しの角度、畳の目がつくる細い影、母の動きに合わせて揺れるエプロンの端――
なぜかそんなほんのわずかな変化に、心が吸い寄せられていった。
たとえば、夕方。
台所から漂ってくる醤油の匂いに、家の中の空気がゆっくりと変わる瞬間、私はよく黙ってその場に立ち止まっていた。
母はそんな私を見て、「また何か感じてるの?」と笑った。
今思えば、あれが“光を感じる感性”の芽生えだったのかもしれない。
また、私は色鉛筆の減り方にも、自分なりの法則を感じていた。
ピンクと水色はいつも短くなっていく。
最近の私は、黄色をたっぷり使う為すぐになくなる
白もほぼ同様だった。
一方で、黒と茶色はほとんど残っていた。
それは今でも画材を扱うときの癖として残っている。
暗い色よりも、光に近い色を求めてしまうのだ。
ときどき母は、出来上がった私の絵を冷蔵庫に貼ってくれた。
それがどれほど嬉しかったか。
“自分の世界が認められた”ような、そんな小さな誇りが胸の奥に灯った。
妹は「またお姉ちゃんの絵だ」と多少呆れたように言ったけれど、それでも嬉しかった。
外の世界に出るのが苦手だった私は、絵を描いているときだけは自由だった。
色が自由に動き回り、紙の上で小さな物語を作っていく。
私にとって、絵は“世界とつながるための唯一の窓”のようなものだった。
ある日のこと、父が買ってきた新品のスケッチブックを開いた瞬間、真っ白なページを前にして胸がドキドキした感覚を覚えている。
あの白い画面の前に立つときの高揚感は、今でも変わらない。
「ここから何を生み出せるだろう?」
その問いかけが、いつだって私にとっての始まりだった。
色鉛筆が紙の上を走り、小さな点が線になり、線が面になり、やがて世界そのものが形を成していく。
そんなプロセスが、幼い私はたまらなく好きだった。
もし、あの頃の私に言葉を与えることができるなら、おそらくこう言っただろう。
「私の世界は、静かだけれど、美しいんだよ」と。
あの静かな日々が、私の感性の土台を静かに育て、光と影の捉え方や、色の重ね方を決めていった。
後にデッサンを学び、油絵に挑戦し、グループ展に参加するようになっても――
根っこにあるのはあの、小さな部屋の隅で息をひそめながら色鉛筆を並べていた私だった。




