思春期3
『娘が引きこもりになってしまいました』
例の自殺未遂事件から一ヶ月後。
育良はしばらくSNSの投稿を休んでいたが、再び娘に関する内容を投稿した。
『一昨日から部屋を出ようとしません。ご飯は、と尋ねると、いらない、と言うので、おにぎりを部屋の前に置いています。お風呂も入らずにずっと部屋の中……具合が悪いのか訊いてみても、あっち行って! と返されるだけ。せっかく私立中学校のパンフレットをもらってきたのに』
部屋から出ない娘を心配する声で、画面が埋め尽くされる。
『このまま不登校になっちゃうのかな……』
『五年生の頃から耐えてきたんだもん。そりゃ張り詰めた糸が切れた状態にもなるよね』
『学校から離れて時間が経てば、気持ちも落ち着いてきますよ。娘さんを信じて待ちましょう』
「信じて待つ……か。確かに今はそうするしかないのかも」
育良は一人きりのリビングで頷く。
我が子を信じて待つのも、時として親に必要なことなんだ。
「ん?」
育良は奇妙なコメントを見つけ、首を傾げる。
『姫美ちゃん、ありがとう』
「たそたぬきさんだ……」
姫美が5歳の頃から育良のアカウントをフォローしているユーザーだった。
「あれっ!? ブロックされてる……」
どうして? 何かいけなかった? 私何かしちゃった?
長年フォローしてくれていた人が急に離れた原因を考えるも、育良には見当もつかなかった。
ありがとう、と言って去ったということは、何か気に障ったわけではないのか。
SNS自体やめるってことなのかも……うん。きっとそうだ。
育良は気分を切り替えると、姫美の好きなオムライスを作り始めた。
そして、完成したそれを様々な角度から撮影して何枚もの写真を吟味した末に、これだ! と決めた一枚を文章と共に投稿した。
『姫美に元気になってほしい一心で、大好物のオムライスを作りました。姫美の好きな卵フワフワのやつだよ。作るの大変なやつだけど、お母さん、あなたが少しでも元気になればと思って、頑張って作ったんだよ。だから部屋から出てきてよ……またお話ししようよ。お母さんだけはあなたの味方だから……』
涙を誘う文面に、フォロワーたちから好反応が雪崩のようにくる。
『ヤバい泣けてきた……』
『久しぶりに母に電話してみようと思いました』
『母の愛は深いですね……私も育良さんを見習って、不登校の息子とちゃんと話し合ってみようと思います』
育良は姫美の部屋のドアをノックした。
「姫美。夕飯の時間だけど」
「ドアの前に置いといて」
「でも今日は姫美の大好きなオムライス作ったの。だから——」
「ケチャップライス?」
「え?」
「中のご飯はケチャップライスかって訊いてるの!」
「そうだよ。いつもそうじゃない。姫美もそれが好きでしょ?」
「……いらない」
「えっ? でも……」
「いらないって言ってるの! 色のついたご飯なんてもう食べたくない!」
姫美がこんなに声を荒らげることは珍しかった。
娘に大声で拒絶されたという事実に、育良は激しいショックを受けた。
その場にうずくまって、嗚咽をもらす。
「お母さん?」
姫美の気遣わしげな焦ったような声と、部屋のドアに駆け寄ってくる気配がする。
私は子育てをどこで間違えてしまったのだろう。
ただ娘のためを思って行動しているだけなのに。
「せっかく作ったのに……」
消え入りそうな声でそう言うと、部屋のドアが開いて歪んだ表情の姫美が出てきた。
「わかった……食べるから。ごめんね、お母さん」
『姫美は夕食を一緒に食べてくれるようになりました。学校のことを尋ねると、真っ青な顔で黙り込んでしまいます。やっぱりいじめのことを引きずっているみたいです』
姫美が学校に行かなくなってから、三ヶ月が経った。
姫美は夕食の時と風呂とトイレの時だけ部屋から出るようになったが、それ以外は頑なに自室を出ようとしなかった。
今日はお母さんと一緒にコンビニに行かない? と尋ねると、体全体で拒絶するように二階に逃げてしまうのだった。
『娘が家から一歩も出ません……。小学校に行くのが楽しみだと入学前にランドセルと一緒に眠っていた姫美のことを、つい昨日のことのように思い出せるのに。娘の心を壊した非道ないじめっ子が憎いです』
ちなみにランドセルと共に眠る姫美の写真は、今もネット上に残っている。
『でも私、諦めません』
育良は目元に浮かんだ涙を拭って、フォロワーに向けて文章を綴る。
『どんな状態になっても、姫美は私の可愛い子どもです。お腹を痛めて産んだ大切な娘です。姫美が大変な状況だからこそ、せめて私だけは明るく振る舞うべきだと思うんです。母親の私が凹んでたらいけませんよね』
姫美に通わせたい私立中学校のパンフレットを、育良はスマホで撮影しておいた。その写真を投稿する。
『娘がもうあんな辛い目に遭わないように、私が姫美に合う環境を見つけてきました。今日の夕飯の時に、姫美にどの学校がいいか聞いてみようと思います』
暗い状況でも明るく前を向こうとする育良を、たくさんのフォロワーが賞賛した。
しかし事態は育良の夢見たストーリー通りにはいかず、姫美は中学生になっても家から一歩も出られなかった。
姫美が13歳になった頃から、育良は漫画を描くようになった。




