思春期2
姫美が小学六年生になった頃、育良のアカウントに食卓に赤飯を置いた写真がアップされた。
『今日は本当におめでたい日です。姫美に初潮が訪れました。大人の女性への一歩を踏み出した大事な日。急にお赤飯を出されてお父さんは、ねえこれどうしたの。何か良いことでもあったの? と食卓でうるさく尋ねてきます。でも言えませーん。ただフフフ、と笑うだけ。姫美、言わないでほしいって必死にお願いしてたもんね』
久しぶりに食べた赤飯は育良にとって美味しくて、彼女は食卓で上機嫌だった。
初潮は体が大人に近づいた証拠だ。娘の成長を喜ばない母親はいないもので、育良は健やかに育っていっている姫美を微笑ましく思っていた。
『生理かー。女はこれから毎月地獄ですよ(笑)』
『お父さんには、そりゃ知られたくないですよね。私も子どもの頃、お父さんには言わないで!って母親に言ってました』
やはり初めての生理というのは、格好の話のネタになるらしく、様々なコメントがくる。
『うちの母親は、内緒にしてて、って言ったのに夕飯の時お父さんに教えちゃって。その日の食卓は地獄でしたよ』
そんなコメントが目に入り、育良はそれはかわいそうに……とフォロワーに同情した。
そこは女親が配慮してあげなくちゃいけないのに……たまたまデリカシーのない母親のところに生まれてしまって哀れだと思った。
『でも今どきお赤飯って子どもは喜ぶんですかね』
言われてみれば、あんまり子ども受けしない食べ物だ。
現に姫美も、食卓を囲んでいる間、ずっとムスッとした顔をしていた。
せっかくお祝いの気持ちで作ったのだから、もっと嬉しそうにしてくれないと張り合いがない、と育良は最近愛想がなくなってきた娘が少し不満だった。
『娘が救急車で運ばれました』
そう投稿すると、フォロワーは即座に食いつきを見せた。
『何があったの!?』
『交通事故!? 娘さんは無事!?』
『時期的に熱中症とか? とにかく無事でいて!』
フォロワーの反応を見た後、30分の間を置いて育良は状況説明をした。
『私がスーパーから帰ってきたら、姫美がリビングで首を吊っていたんです。椅子が転がっていて、姫美の足がプラプラ揺れてて、ロープで首を括った姫美の口端から涎が出てて……悲鳴を上げて急いで姫美を下ろしました。呼びかけたところ、息はあるけど意識が戻らなかったので、救急車を呼びました。今、お医者さんからの説明を待っているところです』
育良は、病院の廊下の椅子に腰を下ろして、一心不乱に文章を打っていた。
この驚きを誰かに吐き出さずにはいられなかった。
こんな大きな出来事があったのに自分の中で留めておくということは、育良にとって考えられなかった。
『娘はまだ目を覚ましません。お医者さんには、命に別状はないとだけ伝えられました。どうしてこんなことしたのか、早く娘に聞きたいです……家の中では辛い顔なんて一度も見せたことなかったので、なんでこんなことになったのか全然わからないです……』
途方に暮れる文面に、数々の同情の声が寄せられた。
『これは学校でなんかあったな』
『いじめられっ子は、家で明るく振る舞おうとするんだって聞いたことある。気づけなかった育良さんは悪くないよ』
『担任は何をしてるんだ!』
フォロワーたちの間では、すでに姫美は学校でのいじめに悩んで自殺未遂したのだという認識になっていた。
そんな意見ばかりを見ているうちに、育良もだんだんそれが本当のことのように思えてきた。
姫美は目に入れても痛くない大切な一人娘だ。
不自由な思いなんてさせなかった。
やりたいと言った習い事は何でもさせてきたし、毎日三食手の込んだご飯を食べさせてきた。可愛い服をたくさん買ってきてあげたし、お祝い事は盛大に祝った。
愛能う限り大切に育ててきた娘が自殺だなんて。
許せない、と思った。
学校に抗議してやる。担任と校長に土下座させる。姫美をこんな目に遭わせた同級生にもきっと——。
育良は監督不届な学校に対して、強気な態度でいこうと固く決意した。
『娘は五年生の頃から、学校で酷いいじめに遭っていたそうです。娘は最初口を頑なに閉ざして話そうとしませんでしたが、私が忍耐強く聞き出してみたところ、ようやくポツポツと話し始めてくれました』
姫美の判然としない語り口によると、姫美は五年生頃から不特定多数の生徒に嫌がらせを受けていたらしい。
すれ違いざまにクスクス笑われたり、トイレから出た時に「トイレ失敗しなかったー?」と大声で尋ねられたり。それで恥ずかしくなって縮こまると、その様を複数人に笑われたり。
『そして今日の朝、姫美の下駄箱にご飯が入れられていたんです』
姫美はショックで教室に向かえなくなり、先ほど辿った道を引き返して家に帰った。
家に帰ると、母は買い物に出かけていていなかった。父親が趣味のアウトドアのために買ったロープが、リビングのテーブルの上に置きっぱなしになっていた。
これはチャンスなのだという考えが、姫美の頭をよぎった。
『これは"いじめ"なんて軽い言葉で済ませられていい問題じゃありません。姫美を殺されるところだったのです。悪魔のような子どもと腑抜けた教師たちに。学校側は今回の件の犯人解明に全力を尽くします、なんて当たり前のことをのたまうばかりです。どうせそれも口だけで大した調査はしないんでしょうけど』
文章を打ち込んでいるうちに、落ち着き始めていた育良の怒りは、火をつけられたように再度燃え上がってきた。
『大体食べ物を粗末にするなんて、それだけでこの学校の生徒のレベルが伺えるってものです。今回の件で公立の学校なんて行かせられるものじゃないってよくわかりました。姫美が安心して過ごせるように、中学は絶対に私立に行かせようと思います』
そうだ。私立に行かせよう。公立の中学なんて治安が悪いに決まってる。姫美みたいな可愛い子は、またいじめのターゲットにされるに決まってる。
姫美は、親の贔屓目を抜きにしても可愛らしい容姿の少女だった。女の子らしい可愛い服がよく似合うので、育良はそういう服ばかり買って着せていた。
見た目が可愛い女子は、それだけで何かとやっかみを受ける。
姫美は何も悪くないのに。かわいそうな姫美。
ずっと辛かったのに、お母さん気づいてあげられなくてごめんね。
今日の夕飯は姫美の大好きなオムライスにしよう。
育良はそう思って、夕飯の支度を始めた。
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