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30001人に殺された娘  作者: 絶対完結させるマン


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介護

 『認知症の母と私』という介護エッセイ漫画が映画化をきっかけにヒットしたのは、姫美が55歳頃のことだった。


 累計100万部の大ヒット漫画『引きこもりの娘と私』の作者の娘が描いたこの漫画は、介護のリアルを描き共感を集めると同時に、独特のユーモアと確かな画力が多くの読者を獲得した。


 認知症ならではの傍目には笑いを誘う行動、滑稽みを感じる突飛な言動、あるあるネタなどが次々と繰り出され、その中に老いた母を懸命に支える娘の健気さが涙を誘う作品となっている。


 笑いの中に感動もある、全体的にほっこりした作風の作品に仕立てられていた。


 20XX年、国内で最も売れたエッセイ漫画であり、最も話題になった映画と呼ばれるほどの大ヒットをおさめた。


 


 「姫美……ご飯まだ……?」

 「お母さん、お昼はさっき食べたでしょう? これで三回目よ、このやり取り」

 「あ……そうだったわね。ごめんね姫美。ごめんね……」


 すっかり腰が低くなった母を、姫美は満足げに眺める。


 テーブルに置いたあったスマホで、さっそくSNSを開く。


 『母は今日もご飯を食べたこと忘れちゃいました。ご飯まだ? って何回も訊かれて、笑いを堪えるのが大変です(笑)』


 姫美はインターネットや作品を通して、世界中に母の退化の過程を発表している。


 手が震えて箸が使えなくなったこと、文字が書けなくなったこと、自分の年齢すらわからなくなったこと、夜中にトイレを見つけられずに廊下で漏らしてしまったこと、オムツデビューしたこと。


 全て、全世界の人が見れるようにしていた。


 「姫美……また私のこと書いてるの?」


 先ほどの惚けた顔つきではなく、明瞭な面持ちの育良が尋ねる。


 来たな、と姫美は思った。


 母はこうして、たまに正気に戻る時があるのだ。


 「別に」

 「消してよ。恥ずかしいから消して!」

 「大丈夫だよ。芸能人でもないただのお婆さんのことなんか、誰も気にしてないって。こんなくだらない投稿見る人とかいないよ」

 「いいから消して!」

 「あぶなっ」


 スマホに伸びてきた手を、軽々とかわす。


 姫美が立ち上がると、育良はその三倍もの時間をかけて腰を持ち上げ、何とか立つ。


 「待ちなさい、姫美!」

 「いやだよー」


 リビングをすいすい動き回る姫美を育良は一生懸命追いかけるが、ヨタヨタと亀のようなスピードで進むのが精一杯で、到底姫美に手が届かない。


 育良は、腕力も頭脳も口論も、何一つ姫美に敵わなくなっていた。


 「くっ……待ちなさい! あんたなんか娘じゃない! 絶交してやるから! この——ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ……!」


 年寄りはふとした拍子に咳き込む。床にへたり込んで咳き込み始めた母の背中を、姫美は優しい手つきでさする。


 「ねえお母さん」


 愉悦をたっぷり滲ませた声で、母の耳元で囁く。


 「お母さんは私がいなくなったら誰に頼れるの?」


 育良を封殺する最強の決まり文句が、姫美の口から紡がれる。


 「誰がお母さんのオムツを替えるの? 食事を手伝ってあげるの? 朝起こしてくれるの? 着替えを手伝うの? お風呂に入れるの? この家の他にお母さんの居場所があるの?」

 「あ……あ……」

 「私がいなくなって困るのはお母さんの方じゃない」


 いつもはそう言えば黙るのだが、この日の育良はしつこかった。


 「でも……でも私は嫌なの……姫美。もう漫画描かないで……」


 姫美は冷たい口調から一転「大丈夫だよ」と優しい口調になる。


 「この世にどれだけの数の漫画が存在すると思ってるの? 私の描く漫画なんて大して読んでる人いないから」

 「でも映画化もしたんでしょう」

 「見た人なんて人口の一割にも満たないから、全然注目されてないよ」

 「でも……でも……」


 いい加減しつこい、というようにこれ見よがしにため息をつく姫美。


 「誰もお母さんのことなんて見てないから。自分のことを世界中が見てると思うなんて、大した自信ね」


 大きく目を見張った母を、歪んだ笑みで見下ろす娘。


 姫美の脳裏には『認知症の母と私』に寄せられた、他のものとは趣の異なる感想が浮かんでいた。




 『これぞ最高の復讐ですね』

ここまでありがとうございました!

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