狂う8
退院して一週間——。
私は学校に行けない日々を送っていた。
あんなことがあったのに行けるわけない。二度とあの小学校に行く気はなかった。お母さんもそれには賛成してくれていた。
家に引きこもってばかりだと体に良くないので、時折散歩しに外出してはいるけど……。
ピンポーン。
昼下がり、家のインターホンが鳴った。
お母さんは、今日は昔の友達と遊びに行っていていない。お父さんはいつも通り仕事。
私が出るしかない。
「はーい」
回覧板かなと思いながら、玄関のドアを開ける。
「初めまして。姫美ちゃん」
笑顔の男性が立っていた。
どちらさまですか、と発する前に、男の人が体を強引に押し込んで、家の中に侵入してくる。扉がバタンと閉じられた。
咄嗟に逃げようとするも、腕を掴まれて床に倒される。口元を手汗まみれの手で塞がれ、くぐもった声しか出なくなる。
「本物の姫美ちゃんだ……俺、ずっとずっと君のこと見てたんだよ。君がちっちゃい頃からずーっとね」
脂ぎった顔が接近してきて、ハアハアという荒い息が私の顔にかかる。
力の限り暴れるけど、重たい体がどっかりと乗っかっていてびくともしない。
「姫美ちゃん、死のうとしたんでしょ?」
どうしてこの人が自殺未遂のことを知ってるの?
理由はすぐに思い当たって、絶望する。
お母さんが投稿したんだ……。もうネットに私のことは書かないって約束したのに。
「あれ? 泣いてるの?」
男の人が私の涙をペロリと舐めた。開いた口から漏れ出る息が、ドブのような匂いだった。
「俺あの投稿見て焦ったんだよ? 姫美ちゃんが死んじゃったらどうしようって。姫美ちゃんは俺の大の"お気に入り"だから。せめて死ぬ前に何か思い出がほしいなって。だからこうして会いにきたんだ」
男はギラギラした目で、分厚い脂肪に覆われた体を押し付けてくる。
全てが終わって満足した男は、玄関に転がった私を笑顔で見下ろすと、最後に言い放った。
「姫美ちゃん、ありがとう」
男が去った後も、私はその場からしばらく動けなかった。
その日から、家から一歩も出られない日々が始まった。
『娘が引きこもりになってしまいました』
お母さんの投稿を見て、変な笑いが出てきた。
お母さんは、小学校のいじめっ子のせいで私が引きこもりになったんだと思っている。
それもあるけど、それだけじゃない。私がこうなった理由は——。
もう説明するのも疲れた。
自分にとって都合の良い部分だけを抽出して、それしか見ようとしないお母さんに、私の気持ちをわかってもらえるわけない。
『今日は昔の友達と久しぶりに会います! その子も歳の近い子どもがいるので、姫美のこと相談してみようと思います』
あの男はお母さんのこの投稿を見て、今日は家に私しかいないと踏み切ったんだろう。
また変な笑いが込み上げてきた。
お母さんに、姫美の大好きなオムライスを作ったから下に降りて一緒に夕飯を食べよう、と言われた。
中身はケチャップライスと聞いて、頭にカッと血が上る。
色のついたご飯なんて、もう見たくもない。
そう思っていたのに……。
「せっかく作ったのに……」
お母さんの涙ぐんだ声と鼻を啜る音に、私はお母さんを泣かせてしまった申し訳なさに居た堪れなくなり、ドアを開けてしまった。
オムライスは、食べ終わってすぐに吐いた。




