<17・Glasses>
一定時間が過ぎるか、もしくは一定距離を進んだら即連絡。
それ以外にも、何か新しいものを見つけたら即連絡。
戦場において、“ほう・れん・そう”の重要度は言うまでもないことだろう。
「あつ……」
トーリス達は既に、出発して十五キロを過ぎた地点を進んでいた。大回りしているので、直線距離よりもずっと時間がかかっている。直線距離で言うならばとっくに到着していてもおかしくないはずである。
第十司令基地&第十塔と敵のJ塔までの距離は、他の塔同士とくらべても各段に近い。というか、ここの中立地帯が極めて狭いエリアに限定されていると言えばいいか。
進む距離は短くていいが、その分敵の射程に入りやすくなる。そろそろ、向こうの砲に気付かれたらお陀仏な距離だろう。
今日はいつもより蒸し暑い。額に浮かんだ汗を拭い、時折水分補給をしながら三人は歩を進めていく。自分はこのチームの隊長だ。あとの二人は己より体力がないことがわかっているし、気を配って進まなければいけない。
「お前ら、水分補給怠るなよ。それと、このへん虫も多い。中立地帯には百年前の段階ではいなかった虫やイキモノが発生してるって話だし、変なものに刺されると面倒だからな。感染症貰うかもしれねえし」
「ちゃんと虫よけスプレーもしてるし、ブーツとパンツに隙間作らないようにしてるっすよ。暑いっすけど」
「よしよし」
何より、この近隣には“ナナツバチ”という強烈な蜂が巣をつくることがあることでも知られている。
一番攻撃的になるとされる時期ではないとはいえ、刺されたら激痛が走り、死ぬこともある大型の蜂だ。語源も「ななつ数える前に死ぬ」から来ているというから笑えない。
バチバチバチ、と火花が弾けるような音がしたら要注意。ナナツバチの警告音だ。すぐにその場を離れなければいけない。――まあ今回はロックが一緒なので、その前に蜂の気配を察知してくれそうではあるが。
「……森林エリアを通ったのは、大正解でしたね」
ロックがちらっと北北西の空を見つめて言う。
「敵の対地砲だと思うっす。完全に、荒野の方向に向けてるっすね」
「こっちは射程に入ってるのか?」
「距離的にはそうなんですがこの気配……多分、こっちの森は角度的に狙えないようになってると思うっすね。だから敵意がこっちのエリアに向いてないというか……あーこの感覚をどう説明すればいいのかわからないんすけど」
「了解。この森が狙えないなら特に問題はない」
まだ敵の支配域まで何キロもある。それなのにそこまで砲が狙えるというのはなかなかの脅威だ。敵の対地砲は想像以上に射程が長いということらしい。
それでも森が狙えないようになっているのは、森にバカスカと弾丸を投げ込んだら燃えてしまうからなのかなんなのか。
普通に考えたら、森から敵が侵入してくる可能性もありうるはず。
ということは、何か別の対策をしてあると考えるのが妥当だ。
「な、何か見えますね」
「!」
突然、ずっと前方を注視していたケンスケが呟いた。振り向けば、彼は眼鏡を外している。
ケンスケの眼鏡は実のところ、ちょっと特殊な仕様になっていると聞いていた。彼の能力は『自分の視界に入る距離のものを透視する』というものだ。つまり、視力が上がるとその分透視能力の範囲も広くなるのである。
そしてケンスケが眼鏡をかけているのは、実は視力が悪いからではなく「異常なほど良すぎるから」なのだった。つまり、遠くまでものが見えすぎるし、近くのものも細かく見えすぎてしまうのだという。視力が良いと便利だろうと思われるかもしれないが、実際は良すぎてもろくなことはないのだそうだ。
例えば、パソコンで作業をしている時。パソコンのディスプレイというものは極小の画素を数多と並べて映像を作っているわけだが――この画素まで鮮明に見えすぎるせいで、全体の画像を捉えるのが困難になってしまうというのだ。
自分の手を見ていても毛穴までくっきり見えてしまって気持ち悪いし、机の上のちょっとした埃や小さな産毛まで見えて気になってしょうがない。遠くを見れば、窓の外の高層マンションでうっかりカーテンを閉め忘れて着替えている人の姿まで見えてしまう――という始末。透視能力がうっかり発動したらさらに大惨事。見えすぎて、脳の処理が追い付かなくなってしまうという。
だからそんな特異な目をセーブするために、普段は眼鏡をかけて視力を下げているという。夜寝る時は、寝ている時につけても問題ないコンタクトを装着するのだとか。それゆえ、裸眼でものを見ることは滅多にないという。
そう、超遠距離を見なければいけない、今回の任務のような状況を除いて。
「まだ遠いですけど。な、何か赤い光のようなものがちらちらしてますです、ハイ」
「赤い光?」
「森の出口のあたりです。た、多分センサーの光か何かだと、思うんですけど……まださすがに遠すぎてはっきりとは」
森の出口。ケンスケはあっけにとられた。この森は、J塔から残り一キロ程度となったところで終わっている。つまり、此処からはあと四キロ近く離れた場所だ。元々、森の出口までしか進まないつもりだった。視界が開けてしまい、敵に見つかる危険がぐっと高まるためである。
だが、あと四キロ近く先まで見えてしまうとは。もはやその視力も、ケンスケの特殊な武器と言っても過言えではないだろう。望遠鏡要らずというのは本当だったらしい。
「う、め、目が痛い……」
「あんまり長く見過ぎるな。眼鏡かけろ。……出口に近づくまでは、変なものは見えなかったんだな?」
「は、はい。大丈夫です、ハイ」
「自分も大丈夫だと思います。まだ、何かの敵のセンサーに引っ掛かってくる気配はないですから」
目頭をごしごしするケンスケをフォローするように言うロック。彼らが二人揃ってOKというのなら問題ないだろう。
とりあえず一度連絡を入れるべきだ、とトーリスは判断し、無線を取り出した。
自分達は偵察。偵察隊というのはけして敵に見つかってはいけないが、見つかる危険と常に隣り合わせであることは忘れてはいけない。
そして自分達が敵に見つかって捕まったら、その時点で情報は途絶える。いつそうなっても対策が打てるように、逐一報告は怠るべきではないのだ。
***
敵の塔まであと1キロ。
そして、出発してからおおよそ19キロ進んだ地点で、トーリスたちは足を止めていた。木陰に隠れて森の外を観察する。微かに視界を赤い光が、ちら、ちら、と通り過ぎていくのがわかった。だが、ケンスケがあらかじめ注意喚起してくれなかったら、気のせいだろうとスルーしてしまっていたかもしれない。
「これ以上進んではいけないっす」
ロックが冷や汗をかきながら言った。
「出口に、まるで網目みたいに、無数の警戒網が張り巡らされているっす。そして、なんだろうこれ?……その網目の奥から、こっちを狙ってる別の殺気があるっすね。網目と繋がってるように見える。これ、センサーに引っ掛かった人間を、自動で狙い撃ちにするサブマシンガンか何かがあるってこと?」
「その認識で多分正しいです、ハイ」
再び眼鏡を外したケンスケが、じっと前方を睨む。
「森の出口から塔までの中立地帯一体に、レーザーみたいな赤い光がたくさん見えます。多分、僕の視力じゃなければ見えないやつです、ハイ。これに引っ掛かると……奥で壁から飛び出してる、五基の重機関銃にハチの巣にされるみたい、です」
「なるほど。ここで引き返すってのはどっちみち正解か」
バリアを貼る塔と塔の間には、高い壁が設置されている。高いといってもせいぜい10メートルくらいではあるが、壁の向こうの様子を隠すには十分な高さだ。バリアはもちろん、その壁ごと敵の支配域を守っている。
その壁に、機関銃やらセンサーやらを埋め込んでいるということなのだろう。実際、荒野を狙っている対地砲も壁にくっつける形で併設されていたはずだ。
こちらの戦車や航空機でも十分、壁だけなら壊せる強度である。バリアのシステムさえ失わせることができれば、壁を壊して支配域に侵入することは十分可能だろう。
「重機関銃も、センサーのシステムも……壁から生えてる、ってかんじで。こう、このあたり……」
彼は持ってきた地図を取り出すと、それらの機材が埋め込まれている壁のあたりに赤い印をつけた。機関銃とセンサーの作動エリアは広いが、武器が埋め込まれているあたりや機材本体は壁の極めて狭い範囲に密集しているようだ。
恐らく、荒野を狙う対地砲、の死角になるエリアを、あのセンサーと機関銃でカバーしているというわけなのだろう。
「壁の奥……“透視”したところ、すぐそこに、飛行場と、たくさんの戦闘機が。本当に壁のすぐ裏側が、侵略者の基地になってるってことでまちがいないっすね……。そ、それから、赤い光は地面の下には伸びてません。機関銃も、地面の下まで弾丸が届きそうには、見えないっす……」
そこまで観察したところで限界が来たのだろう。ケンスケはこめかみを抑えながら眼鏡をかけなおした。素晴らしい、と拍手かわりにトーリスは彼の頭を撫でる。
「ケンスケさんの見立ては正しいと思うっす。……地面の中まで、警戒の“色”はついてない。センサーも、機関銃も、地面の下には何もないです。ただ、ところどころ爆弾を埋めてそうなところはあるので……そこだけ避けて通ればいいかと。ここから自分がわかる範囲だと、ここらへんっすね。あくまで地面を行く敵をぶっ倒すための保険ってかんじで、数も多くないし深さも浅いっす。地面から1メートル以内の深さにしかないってかんじ」
ケンスケの地図に、ロックも印をいくつかつけた。彼の能力も非常に役立つなと感心させられる。J塔まで残り1キロ程度。その間で、四個の地雷の場所まで察知できるとは。
これだけ情報があれば十分だ。
「報告入れて、帰還するぞ」
トーリスは高揚を抑えられなかった。
「これなら、司令官の作戦が実行できる!」
歓喜の時は、きっと近い。