<14・Kensuke>
以前クリスがちらっと言っていた、一番不人気の訓練。
それが訓練場に垂直に立てた棒を使って行うものである。よく子供の運動会で使う、棒倒しで使う棒を思い浮かべる人もいるかもしれない。しかしあれより頑丈であり、高く、かつ下にマットが敷かれている時点でなんとなく想像がつくだろう。
つまりあれを兵士たちで登る訓練である。
それも軍のフル装備をつけて、腕の力だけで登る。シンプルに見えて、この訓練が一番きつい。女性兵士だろうと勿論容赦はない。そもそも敵地で侵略者が、女性だからといって手加減してくれることなどありえないのだ。戦場で死なないため、ここで男性と同等に戦える力を身に着ける。その覚悟がない人間は、そもそも陸軍になど来ないだろう。
訓練内容は単純明快。一人が順番に棒を登り、一番上までいったらマットの上に飛び降りる。木登りの、登る過程だけ頑張ればいいといえば簡単に聞こえるかもしれない。問題は、笛が鳴ったら一人、また一人とどんどん登っていってしまうこと。そして上まで上れなかった者は途中でずり落ちてマットに転がる。着地できた者もマットに落下した者も、痺れている上半身に鞭打ってさっさとそこから退避してこなければいけない。モタモタしていると、次の兵士が上から降ってくるのだから。
「遅いですよ皆さん!ほれキリキリ、キリキリと!」
ぴっぴっぴっぴ、とクリスが笛を吹いて兵士たちを促す。気のせいだろうか、今の彼は一段と、楽しくみんなをシゴいているような。トーリスは顔をひきつらせた。
「這って進まなければいけない場面、高い木にに素早く昇って退避するべき場面、様々な状況があります。上半身だけでも動き回れるように鍛えることは必死!もたもたしてると、狙い撃ちされますよ!ほら、ポーラさん遅い遅い遅い!」
「む、無理ですうううう!」
他の訓練ならば比較的元気にこなすポーラが、悲鳴を上げて落下していった。ずるるるる、と滑り落ちたところで休む暇などない。彼女の上に、さらに次の兵士が落ちてくることになるのだから。
数本立てられた棒すべてをフル稼働して、クリスが満足するまでこの棒登りが行われる。落ちた者も着地できた者も、ひーひー言いながら列の最後尾に再び並ばなければいけない。そして、列はきりきり進む。休む暇などほとんどないのだ。
「し、司令の鬼!悪魔―!」
「鬼で結構!ほら、さっさと上りなさいコットン曹長!」
「くっそおおおおおおおおおおおお!」
ぎゃあぎゃあ言いながらも命令に従う兵士たち。この訓練は自分もきっつい、と思いながら息を整えつつ隣のレーンを見るトーリス。するするする、と息一つ乱さず登っていくのはあのレナだ。
彼女はその長身と筋肉密度もあって、女性としてはかなり体重が重いと聞いている(さすがに具体的な数字を聞くほど野暮ではないが)。体が大きいということは、その分腕にかかる負担も半端ないのだ。自分の体重に加えて、背中に装備をどっさりしょっているからさらに重たいはず。
それなのに、彼女はなんなく棒を、足を一切使わず腕の力だけで上まで上っていく。素直にかっこいい。さすが、筋トレの虫というだけある。
「ほら、皆さんレナさんを見習って!特に男性陣、女性に負けて恥ずかしくないんですかー!?」
問題は、クリスがその姿を見て褒めつつ、しれっと周りを煽ることではあるが。それを見て燃え上がる者がいる一方、並び直したポーラがげっそりとした声で呟くのが印象的だった。
「クリスさん、比較対象がおかしいです……あれは無理、あれになるのは無理……」
「あ、ははは……」
トーリスは乾いた笑い声を上げた。自分も笑っている場合ではない。すぐ前で、ケンスケがひゃあああああ!と甲高い悲鳴を上げながら落ちていくのが見えた。
相変わらず、彼はなかなかのモヤシぶりである。完璧に後方支援タイプらしい。いや、軍に来たのだから相応の覚悟はあったのだろうが。
***
「ケンスケ・ヤマウチ准尉。ちょっといいか?」
「は、はい?なんでしょ?」
その日。夕食の後、風呂に向かうところだったケンスケをトーリスは呼び止めた。円い眼鏡を押し上げてきょとんと見上げる彼は、眼鏡を外したら案外イケメンなのかもしれないと思う。牛乳瓶のような眼鏡をかけていることと痩せた体格のせいで、やっぱり普通にしていると兵士には見えない。何か事情があって入隊した、というパターンだったのだろうか。
「まだ正式に発表されてないんだけどな。……今、クリス司令が上から『敵の塔をどれでもいいから攻略しろや』ってせっつかれてる話は知ってる?」
「え?あ、はい。それについては司令からも聞いてます、ハイ。そんなの無理だろうとみんな思ってますが」
「実は司令から、塔攻略のための具体的なプランを聞いたんだ。ものすごく斜め上っていうか、斬新な作戦だけどな。俺は、あの作戦が成功すれば、侵略者に一矢報いることも不可能じゃないと思ってる」
「ほ、本当ですか!?」
その言葉に、ケンスケは眼鏡の奥の瞳を輝かせた。思った以上に大きな反応。彼は目をきらきらさせて良かった、本当に良かった、と繰り返している。
「そうか……そうなんだ。あ、あいつらに、やっと、一矢……」
その様子でピンと来た。ひょっとして、文系にしか見えないようなケンスケが此処にいる訳は。
「ひょっとして。ケンスケって、侵略者に恨みがあって入隊したとか?」
「……まあ、そんなところです、ハイ」
トーリスの問に、彼は目を伏せて答えた。
「元々僕はその……ひ弱ですし。頭でっかちですし。勉強だけはできましたから。軍の学校に入ったけど、それは裏方の事務仕事するためでして……。軍用事務の仕事って安定してるというか。戦場に行かないし、ようは公務員だからそうそうクビにもならないしってんで、親も安心してくれるかなあって。で、じ、実際、卒業してからはずっと事務やってたんです、ハイ」
「それが、前線に出ようと思うきっかけがあった?」
「そうです。……五年前の事件がきっかけ、です。詳しく説明するまでもないですよね。僕は第七司令基地の事務やってたんで、戦況は知ってたけど……じ、自分で前に出るようなことはありませんでした。ただ、どんどん入ってくる厳しい状況とその情報聞いて、正直怖くて……データ入力とか電話とかしながら震えているような感じで」
何もできなかったんですよね、と彼は続けた。
「……同じ第七司令基地には、ぼ、僕の……尊敬する、叔父さんが配属されてました。叔父さんは銃の名手で、結構遠い場所にいるロボットも正確に撃ちぬける腕があって。だから、最前線にすぐ呼び出されたんだと思いますです、ハイ。僕は心配で心配で、でも叔父さんならきっと生きて帰ってきてくれるはずだって信じてて。信じることしかできなくて……」
彼の声は、そこで途絶えた。
その後何が起きたのか。改めて解説するまでもない。撃っても壊しても迫りくるロボット軍団。その機銃にどんどん撃ち落される航空機、破壊される戦車、殺されていく歩兵。
そして最後には。
「事務してた僕は知ってるんです。……叔父さんが、最後の最後まで生き残ってて、仲間を助けるために走り回っていたこと。そして、救援要請をし続けていたこと。それなのに……あそこの司令官は、他の基地と同じ決断を下しました。まだ叔父さんとその仲間は生きていたのに、ロボットたちを吹き飛ばすために叔父さんたちごと地雷で……」
「それは……辛かったな。しかも、その様子をリアルタイムで聞いてたんだろ」
「はい。……僕は例の司令官を恨みました。そして、いつにもなく汚い言葉で罵りもしました。こんな場所にはいられない、あの人達の元で働くことなんかあり得ないって、そう思って……勢いのまま辞表を一度提出したんです」
それは知らなかった。同時に、人は見かけによらないとも思ってしまった。大人しそうに見えるケンスケに、そんな苛烈な一面があったとは。
「でも、そのあと。ニュースとか、いろんなところで情報を知って……第十司令基地以外ではみんな似たような状況だったこと。そうでもしなきゃ、塔を壊されてもっとたくさん死人が出たかもしれない状態だったことを知って、わからなくなったんです、ハイ。叔父さんは……叔父さんはどうして死んだんだろうって。僕は、その死を誇るべきなのか、あるいは仕方なかったと割り切るべきだったのかって」
そして結論は出なくて、と彼は続けた。
「それでも、一つだけはっきりしたことは。一番に恨むべきは、叔父さんたちを死に追いやった侵略者どもだと思ったんです。そして、軍の、あの日の決断が正しかったかどうか知るためには、やっぱり逃げてちゃいけないって。そして、叔父さんと同じものを見ないとわからないこともあるはずだって。だから、お、臆病でひよわなくせに……無理やり軍の入隊試験に合格して、戻ってきたわけです。まあ、それでまた覗きやっちゃって、第十司令基地に飛ばされてるわけですけど……はは」
「……勝ちたいんだな、お前は」
トーリスは彼の肩に手を置く。
「侵略者に。そして、弱い自分に勝ちたくてお前は此処にいるんだな?」
本当は、少しだけ迷っていたのだ。明らかに慎重で、臆病なきらいのある彼。仲間たちの怪我や状態を見るのには長けているし、どう見ても後方支援向きの性格・特性を持っている。最前線で哨戒し、情報収集するような役目はきっと向いていない。敵の兵器を知るためとはいえ、そんな危険な役目を彼に振るのは正しいのかどうかと。
しかし、今はっきりとわかった。彼は自分が兵士に向いていないことなど百も承知で、それでも軍に入ってきたのだ。弱い自分に打ち勝つために。そして、大切な人の仇を取るために。
そんな人間が心から臆病なはずがない。勇気が出せないはずがない。
「お前に、頼みたいと思ってる任務がある。お前のスキルが必要だ。俺と一緒に、やってくれないか。侵略者に、今度こそ一泡吹かせてやるために」
自分の弱さを認められる人間は、強い。
トーリスは経験から、それを熟知しているのだった。