夏の思い出/二年生八月
うっかり寝てしまっていたな、と思ったところでまず知覚したのは左手の先をやわらかく握られていること。
次に左の太もも付近に程好い重さが乗せられていて、それからゆっくりとしたペースで耳に入ってくる安らかな寝息。
休日の昼下がりをのんびり桃香と過ごすときの何をするでもない心地よい時間の余りの平和さに桃香が落ちた後そのまま引っ張り込まれることは何度かあって……ただ、今日は自分の体重を背もたれと右側のひじ掛けに預けられるのでこれもゆったりしてしまうことに拍車がかかってしまっていた。
ああ、桃香と家具を選ぶような機会が来たなら、少し奮発してでもしっかりとしたソファーを買うのも要検討だな、なんて思ったところで。
ソファーなんてものは自分の部屋にも桃香の部屋にも無いことに気付いて、それが一気にまどろんでいた気分を吹き飛ばした。
「おや、おはよう」
「おはようございます」
現在進行形で二人で身体を預けているソファー、それに合わせられたテーブルの向こう側にある一人掛け用の二つからそれぞれ控えめな音声でそんな声がかけられた。
王侯貴族がご満悦している様子そのものでスマートフォンで何かしらを見ていた悠と、別荘のリビングにぴったりの静かさで文庫本を読んでいた彩から。
夏休み恒例の悠の別荘に御呼ばれして、午前中にボート遊びを楽しんだ後、昼からはゆったりとくつろいでいた。
そしてそんな時、ふと「グレープフルーツジュースが飲みたい」と思い立った悠がこの春から乗り回し始めている車で買い物に行くと言い出し、昨日のうちに買っておけばよかったじゃないですかと言いながらも当然のように助手席に収まった彩。
そんな彼女の愛用しているスポーツカーは一応後部座席はあるもののそこまで余裕はなく、また普段ならそれでも同行したかもしれないけれど今回は旅行中で四人で過ごす時間も多く……。
桃香と留守番しているうちに二人とも寝落ちていたという次第だった。
「おはよう……あと、おかえり」
「ああ」
「はい」
片手を挙げた悠と小さく頷いた彩、達の延長上にある今は火の入っていない暖炉の上にある時計を見れば一〇分弱眠っていたらしい。
すると桃香の方はもう二〇分ほどになるか。
「ちゃんと買えた?」
そんな問いかけにわざとだろうロックグラスに注いであるそれを掲げて見せたりされる。
それをくいっと呷ってから、唇の端を少し上げて質問を返される。
「そっちは、ちゃんとイチャイチャしたか?」
「……」
単に他愛もない話をした後、甘えるようにもたれかかって来た桃香がそのまましばし無言でいるうちに寝息を立て始めたので安定する体制に誘導した後、このくらいはいいだろうと髪や頬を軽く撫でていた手を捕まえられそのまま大人しくしていたら寝落ちただけ、だった。
無論、それはだけでは片づけられない自覚はある。
まあどうしてもそうなってしまったけれど、最初は本当にそれ目的ではなかった……と言うべきかを迷っている内に。
「悠姉」
「ん?」
「してないわけはありませんし、そもそも私たちがいてもしています」
ページをめくりながら彩にそんなことを指摘される、確かに現行犯なのは間違いがない。
「ま、その通りだな」
「いや、その……」
何か言おうとするけれど、膝の上に桃香の寝顔という証拠品を乗せているので何も言えない。
ついでに、依然として手も握られたまま。
「付き合い始めてパワーアップしているような、でもそもそも元々こうだったような」
「まあ、スタート地点がおかしいもんな」
グラスを置いた手を顎に当てて、悠が目を細める。
「というか、この部屋で二人でくっついたまま寝落ちしているのを見るのもこれで二回目だし」
「確かに、隼人たちが小学二年生の時もありましたよね」
「!?」
頷き合う姉的存在二人にぎょっとする。
隼人も薄っすらこんなことがあったような……と思っていたところにこの発言だった。
「晩御飯を待っている間に二人して静かになったな……と思っていたらこんな感じに」
「……何でそんなにはっきり覚えて」
「ウチの母様が『まあ、可愛い』とニッコニコで写真撮りまくってたから」
「!?」
「何だったら……この時間だと母様書斎のパソコンの前で仕事してるだろうし頼めば送ってくれるぞ、きっと」
子供好きで友達とか親しい仕事先の子の写真データをちゃんと丁寧に分類して保管してるんだ、と悠からご説明が来る。
そういえば家族ぐるみで出かけたときとかに凄い画素数だというカメラを向けられた覚えがあると言えばある。
「この前、隼人と桃香のファイルを見せて貰った時も懐かしいのがありましたね、向日葵の迷路とかここの庭で花火をしていたりとか」
「いや、ちょっと待って……」
何で二人で一つのファイルなのか……と思わず突っ込んでしまうが。
「だって、隼人は一人だとなかなか写真に映りたがらないじゃないですか」
「う……」
「単独の写真だとファイル作るほどもないんじゃないか?」
愉快そうに笑う悠の隣から、おばさま嘆いてたんですよ……と彩に指摘され黙らされる。
自覚もあるし、実の母にも気持ちはわからないでもないけれど、と言われた経験がある。
「第一、隼人がほぼほぼ桃香と一緒にいるんだからそうなるだろ?」
「……桃香が離してくれないからだし」
「ふーん?」
「へーえ?」
苦し紛れそのものの言い訳をするものの、それこそ小学生の男の子を見るような目で見られてしまう。
「……」
でも、実際のところ……二人きりでいたタイミングから触れ合ったままの指先に、軽く握られたような感触がした。
そして寝息もどことなくわざとらしく、笑いを含んだもののように感じられる。
悠と彩もそろそろ気付きそうだし、これはどうしてくれようか……とか思っていると。
「そういえば、昔の写真を同じ構図で、っていうのを撮るのあるよな」
「ですね」
「桃香を起こす前に行っとくか」
「いや、ちょっと」
テーブルに一旦置いていたスマホを構えてくる悠を空いてる手を上げて制止する。
桃香を起こすタイミングを逸したままになっていて、悠と彩が軽く流しているからそうでもないような感じになっているものの……わりと大変な体勢なことの自覚はあったし、思い切り見られはしたけれど残されてしまっては困る。
「姉さん、待った」
「おや、取材NG?」
「こんなに堂々とくっついておいて?」
わざとらしい不思議そうな顔で尋ねられる。
「その、あの……」
「「……」」
「ほんの少しだけ、のつもりだったんだよ」
玄関の方を向いて、白状する。
降ってわいた二人だけのタイミングに思わず隣の桃香を抱き寄せてしまったのが運の尽き。
「悠姉、容疑者が自白したようですが」
「ふむ……若い二人だし酌量の余地はあるかも、な?」
にやりと笑って、裁定が下される。
「じゃあ、桃香とツーショットで昔と同じ構図の写真を撮るのは決定だけど、別のシチュエーションに変更する許可は出そう」
「!?」
「あら、桃香と一緒だと恥ずかしいのしかないじゃないか、みたいな顔」
「なんでわかるんだ!」
「だって隼人ですし」
「ちなみに制限時間付きだぞー」
「んなっ!?」
片目を閉じて一〇からカウントダウンを始める悠に慌てて過去の記憶を辿るが……基本桃香と接触していて、程よい匙加減のものが思い出せない。
と、そんなタイミングで。
「……かき氷」
小さく膝の辺りから聞こえてきたヒントに思わず飛びつく。
「皆でかき氷作った奴で!」
「まあ、それで許そうか」
「仕方ありませんね」
ちょうど明日やる予定だったし、と台所で洗った後乾かしているかき氷機に目を遣りながら悠が頷く。
確か、二人でカメラに向けて各々の味をスプーンに乗せて見せている写真があった記憶。
でも、よく考えれば。
「なあ、桃香」
「……」
「……トランプとか花火とかもっと無難なのあっただろ」
返事は、更にわざとらしさを増量した寝息。
「ってか、姉さんたちも帰って来たんだからそろそろ起きろ」
「……うーん、あと五分」
「起きてるだろ! 完璧に!」
でも、強制排除にはとても移れない隼人は結局更に粘られ……。
そして。
「えいっ!」
「あ、こら」
翌日、昔と同じ構図を撮った直後。
隼人のスプーンに乗せたブルーハワイを隙ありとばかりに思い切り桃香が口にした瞬間を、写真に収められてしまうのだった。