雨の七夕/二年生七月
「毎日よく降るねぇ」
「ま、梅雨の仕舞いだしな」
「仕方ないかな」
放課後。
廊下でつながったほかのクラスも順番に騒がしくなり始め各々自分の行動をとり始める時間帯になってやや薄暗い窓の外の空を何となく友也と勝利と共に見ながらそんなことを呟きあう。
「七夕なのにもったいない」
「催涙雨、って奴だな」
「吉野君は頑張って川を泳いで渡るタイプかしら?」
鞄を脇に抱えてそんなことを言う花梨にふと故郷のことを思い返しながら答える。
「でもこの時期の川って増水してて危ないから……」
「まさかの答えだな、おい」
「いや、色んな所に迷惑になるし」
昔、桃ちゃんに会いたい一心で雪の日脱走事件を起こした身としては現に自分を戒める。
「それよりは何とか普通に会うお許しが出るように普段の行いをきちんとして、が良いと思うな」
「真面目か」
「正論と言えば正論かもだけど」
「浪漫も何もないねー」
まあ吉野君ってそういう奴よね、と真矢と頷き合っている美春の肩をクラスメイトで同じバドミントン部の女子が突きながら聞く。
「そういう言い方するってことは、吉野君って彼女さんのお父さん公認なの?」
「モチのロンで、そうらしいよ?」
「ってか、桃香のお母さんの方も桃香ばりにめっちゃ乗り気だよね」
「えー、それって!?」
声を一応潜めてはいるものの、隼人の耳はしっかり拾っている……というか、後半の盛り上がる声の部分は周囲に駄々洩れ。
「勿論」って何が勿論なんだよと内心突っ込みたくて仕方ないが藪蛇は避ける。
そんな与太話をしていれば。
軽い挨拶をしながら出ていくクラスメイト達の流れに逆らうように声がかかる。
「はーやくん」
噂の片割れが、軽く手を開いて振りながらひょっこりドアから顔を覗かせた。
「なんだか、盛り上がってた?」
「いや、そうでもない」
可能な限り顔には出さず、桃香が余計なことを言う前にと鞄を担いで立ち上がる。
「そなの?」
「ああ……じゃあ、帰ろう」
「わわ」
後ろから軽く肩に手を置いて、ゆっくり押すようにして危険な場所から隔離する。
校内という場所としてはくっ付き過ぎというか恋人感を出し過ぎている気もするが、妙な反応を見せられるよりは良いかな、という選択。
そしてそれが良いことなのか悪いことなのかはさておき、隼人と桃香がそうしていてももう誰も殆ど気にしてはいなかった。
「みんな、お先にねー」
「じゃあね、お二人さん」
「おー、とっとと帰れ」
「えへへ……」
生徒玄関で靴を履き替え外に出て傘を広げて斜め後ろを見て促すと、ジャストのタイミングで濡れたコンクリートの表面で音を立てながら軽いステップが追いついてくる。
偶然近くにいた下級生の女子グループにやや驚きの目線で見られたが、外見上は何でもないように努めて受け流して校門の方へ歩き始める。
「雨」
「ああ」
「ちょうどいい感じに弱くなってよかった」
「……そうだな」
放課後に入った直後がピークだったのか勢いが大分弱まって、地面から撥ねてくる水滴などは殆ど気にならない……だからといって傘を閉じるまでも行かない程度に。
「ここ一年」
「うん」
「少なくとも学校に行くときは桃香が傘さしているところ見ていない気がする」
「えへ……そうかも」
笑いながら傘を差している隼人の手をちょんちょんと触って「いつもありがとう」と囁かれる。
それから追加で肩の辺りに軽く頭を当てられたりも。
「そういえば、さっきは何の話をしていたの?」
「……七夕なのに雨じゃあ残念だよな、って話」
「確かにそうだね」
灰色と黒の間の色合いの空を二人で見る。
「一年に一回だなんて、むりだよね」
「……一応」
「え?」
「何か事情があって桃香のためにそれが必要、なら……耐える」
そんな呟きに、傘を持つ手をぎゅっと上から握られて。
今度はしっかりと頭を預けられる。
「そんなことなんてないから」
「ん」
「いっぱいいっぱい、一緒にいてね」
「……わかった」
「だいいち、ね」
「ああ」
濡れた路面の足音と混ざりながら声が気持ち下から聞こえてくる。
「そんな事情って、どこから出るの?」
「……七夕的には、おじさんから?」
青果店の前掛けをしたしっかりとした体格を思い出しながら言うと。
「んー、じゃあ、大丈夫だよ」
「何が?」
「ちゃんと話し合うから」
「……穏便に頼む」
「えへ、はーい」
何でそんなウキウキな声で言うんだよ、と思っていると。
「あ♪」
「……どうした」
更に半オクターブ上がった声に、二人きりで歩いているため義務として確認する。
「そういえば、はやくんのお向かいの部屋、空いてるよね」
廊下を挟んだ向かい側、一度諸事情で桃香に泊まってもらった部屋。
「一応、そうだけど」
「だったら、万が一の時はそれもアリかな、って」
「それってどれだよ」
「えーっと、予行練習?」
そんな言葉に、暫く考えてから、小さく頷く。
「確かにそうかもしれないけれど……」
「でしょ?」
今日一番の笑顔で小首を傾げられる。
最近、そんな表情がどんどん魅力的になってきて困るくらいだ、と内心で思いながら。
「いや、だから、それはもしもの話なので」
「うん」
「……とりあえず、今はまだお隣さんで居てくれ」
「まだ、なの?」
多分今夜は見ることは無理だろう星々くらい、キラキラとした瞳で問いかけられる。
「ああ、今は」
「それは、もしも、の話じゃなくって?」
「……限りなく現実の話、だな」
「はーい」
頷いて三歩進んでから、隼人の肩に軽く手を置いて伸びあがるようにして耳元に囁きが届く。
「でも」
「?」
「七夕の短冊にはちゃーんと今年も書いたからね」
何をだよ、とは聞くまでもないので聞かなかったのに。
きちんと伝えられる。
「わたしが、ずっとなりたいって思ってるもの」