輪っか/二年生六月
「よく降るな」
「そだね」
二年生でも相変わらず窓際最前列をキープしている桃香の席に、学食に行くという蓮から借りた椅子を置きながらそんな話をする。
学年が上がる際、というか旧三年生が卒業していった際に空くようになった校庭のベンチをほぼ指定席にしてきたが流石に土砂降りでは行きようがない。
毎朝、せめて持って行くだけは担当している二人分の弁当箱の包みを取り出して机に並べる。
「ちょっと狭いか?」
「でも、それがいいね」
オレンジとピンクのチェック柄の巾着袋を一旦仕舞いながら桃香がご機嫌に笑う。
そんなことをしているうちに外の雨脚はどんどん強くなっていき……。
「梅雨入り、しちゃうかな?」
「まあ、六月と言えば、だからそうなるだろ」
いただきます、はいどうぞ……とやり取りをしてまずはフルーツトマトに箸を伸ばしたところで。
「それは間違いじゃないけど」
「正しくはないんじゃないの?」
「六月と言えば……ねぇ?」
近場の席を四つくっ付けてお昼にしているいつもの面々から突っ込みが入る。
隼人と桃香のクラスにそれぞれ別れたものの、集まって昼にしているのは変わらないらしい。
「まあ、最近じゃそっち関係の会社とかが気合を入れる時期かもしれないね」
応援してくれているのはわかっているものの、からかって遊んでくるのも割といつものことではあるので……変に抵抗せずしれっと流す。
「あら、つれない」
「もしくは、余裕かな?」
「二人でお弁当広げるの、もう手馴れてるもんね」
「えへへ……」
はにかみつつ、熱の籠った目線を隣から送ってくる桃香には目でそういう話はするにしても帰ってからだ、と念を押す。
「でも、吉野君さ」
「はい」
「君の彼女は昔からお嫁さんにものすごーく憧れてた訳で」
「そこのとこは、ちゃーんと汲んであげてね?」
そんな中、琴美と絵里奈から両肩を叩かれつつ、その主要因である自覚的に聞き流すわけにはいかないご指摘が飛んできて。
「あ、桃香、おかず交換しよ?」
「こっちもよろしくー」
「うん、いいよ」
そしてわざとらしく卵焼きの対価に桃香のお弁当箱の蓋にイカリングとオニオンリングを置いて去っていく。
それも二つの輪っかがいい感じに重なるように、惣菜店ではなくジュエリーショップ向きで。
そしてそれをじっと見た桃香が何かを思い出したように口を開く。
「ね、はやく……」
「桃香」
全く同じことを思い出した隼人はそれに対して機先を制して箸を動かす。
「あ……えへへ」
笑顔で差し出されたミートボールをぱくりと口にした桃香に小さな満足感を覚えつつ。
美春たちからのあらあらという視線と、更にその遠方からの「やりやがった」という圧を感じながらもこう思う。
ここで桃香がうっかり「そういえば昔、指輪くれたこともあったよね」と口にするよりは全然マシだ、と。
「はやくん」
「ん」
「これ、覚えてる?」
その日の夜。
幸い生じた雨の切れ間に移動した部屋で、いつものように隣ではなく膝が触れ合いそうな真正面に座った桃香が手に乗せたハンカチを開く。
「覚えてるよ」
「うん」
チープなメッキが随分と剝がれた小さな玩具の指輪。
「商店街のお祭りの時、だったね」
「五十円くじのやつな」
男子の幼心にはピストルか飛行機のを狙っていた気がしなくもないが……お小遣いの端数を使い切るために挑んだくじの結果はそれだった。
落胆しつつも、自分では使わないそれを譲渡する相手は一応その場に悠も彩も居たけれど桃香一択だった憶えもある。
何かをあげるというよりは桃香に喜んでほしい、が強かったという記憶も。
「……」
「どしたの?」
「いや、何でもない」
その割にはぶっきらぼうにビニール袋の包装のままポンと渡したんだったよな、と思い出す。
いや、他にどんな渡し方があるんだという話だけれど。
「えへへ……」
「何だよ」
「えっとね」
そんな記憶を辿っていると、桃香の指が伸びてきて、軽く鼻先をとんとんと突かれる。
「やっぱりはやくんのこと、昔から好きだったな、って」
「そりゃあ光栄だ」
「うん」
微笑んだ顔がそっと近付いて、軽く抱き着かれ一瞬だけ頬同士が接触する。
丁度あのころ何度かされたことあったっけ……と思い出しながら少し離れた顔を見れば昔から相変わらず一番可愛いくせに綺麗まで入ってきてずるいよな、と思わされる。
「ね、はやくん」
「ん?」
「これ、今度ははやくんに嵌めてほしいな? って言ったらしてくれる?」
「……」
「わ」
しばし考えた後、おもむろに桃香の左手首を握って引き寄せる。
爪が綺麗に切ってあるのと、血色良いな、なんてことを考えながらまじまじと見た後。
「桃香」
「うん」
「どう考えても第一関節より先は入らない思うんだけど」
子供用の玩具であるこれは。
「えへ……だよね」
「無理をして壊したくはないし」
「うん」
まだまだ繊細だけれど、料理や店の手伝いでしっかりともしてきた指に触れながら思う。
「大切にとっておきたいからね」
「ん……」
そっと包み直している仕草にこんなものまで大事にしていてくれたのか、とある意味の関心をする。
「あのね、はやくん」
「うん」
「待ってる、からね」
「……ん」
何を、とは互いに言わない。
それで満たされるような、でも僅かに足りないような気もして。
「桃香」
「わ……」
再度、今度は指先で桃香の左手を捕まえて。
甲の部分に、軽く口を付ける。
「どうしたの?」
「変、だったか?」
「ううん、ううん!」
思い切り、髪が揺れるくらい首を横に振る桃香がおかしくて小さく笑う。
「これも、素敵だったよ」
「そうか」
「ちょっとだけ……お姫様気分、かも」
「桃香だし、な」
かわいらしくて笑顔が似合って……とか考えていると、ふと思う。
「桃香って」
「うん」
「宝石にこだわりとかは」
「え? 石言葉とかはちょっとしってるけど……そこまでじゃないかも」
口元に人差し指をやって考えてから、桃香が続ける。
「それよりも、シンプルなのがいいと思うよ?」
「なのか?」
「だって、同じデザインのはやくんも……」
「……」
「するん、だよ?」
頬を染めて桃香の言葉がスローダウンする。
同じような顔色になっているのが隼人も自分でもわかった。
「なんの、話……してるんだろうな」
「えっと……六月っぽい、おはなし?」
「……だな」
「うん」
頷き合ってから、しばしの沈黙。
「はやくんって」
「……ああ」
「六月に、こだわる?」
「別に」
「だ、だよね」
「桃香も、そうでもないか?」
「も、もっといい日取りがあればそっちで……」
「……」
「……」
またしても、互いを見ながらの、沈黙。
「何の、話だっけ」
「だ、だから……六月」
「うん……」
「だよ……」
「とりあえず、そろそろ時間だな」
「う、うん、そだね!」
いつもの習慣をしてから、おやすみを言って窓を閉める。
そして。
「……あのね、はやくん」
寝つきに苦戦したものの何とか耐えた隼人に、桃香がそういう夢を見たことを翌朝報告したのはまた別の話。