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【夏のホラー2024】秋乃ver.

噂を聞きたい人はいますか?

 さあ、お待ちかね。

 劇薬エッセイの時間だよ。

 私が聞いた噂の中で、今でも忘れられない話を書くね。



 *



 夏休みの終わり、少年野球のチームでのこと。

 あるお母さんが私に言った。


「ねえ、怖い話していい?」

「なんですか、楽しそうな顔して。またコーチの話ですか?」


 チームのコーチは、地域の人から一目置かれる存在で、少年野球の取り組みにも熱心だった。

 だけど、誰しも欠点はあるもので……


「またどっかの保護者さんに手を出したんですか?」


 コーチは女癖が悪かった。それは限られた人だけが知る秘密だった。

 表向きは爽やかで子どもたちに慕われる、厳しくて有能なコーチ。

 その一方で、野球チームの母親たちと、こっそり私的な連絡を取る男性。


「毎度のことながら、そんなクズ男がなんでモテるのか、私にはよく分かりません」

「これがねぇ、野球してるときは格好良く見えるんだわ」

「へぇ、そういうものですか」


 そのお母さん——Mさんもアプローチされていた。だけど(なび)かないのが、彼女のすごいところ。持ち前の経験値の高さで、コーチの誘いを右から左に流し、ドロドロの不倫模様を俯瞰(ふかん)して楽しんでいた。


「で、今度は誰なんですか」

「Tさんの話はしたっけ?」

「えっと、前に聞いたときは……子どもも旦那も放っておいて、コーチの家に入り浸ってるってとこまで」


 口に出してみると中々エグい。


「そこまでしといて結局、捨てられたんだって」

「えっ!」

「でも未練タラタラで、いまだに連絡来るらしい」

「うわぁ〜……恋する女コワ……」


 Tさんは二十歳で子どもを産んだ。年齢ゆえの大変さもあったと思う。遊び足りなかったのか、何か満たされないものがあったのか。

 これは筆者の勝手な推測である。


「次は誰ですか?」

「それがさぁ……」


 Mさんは苦笑してスマホを操作する。


「コーチとやり取りしてたら、こんなスクショ送られて来て」


 それはLINEのトークだった。

 ホテルに行くだのなんだの、浮かれたやり取りが書いてあった。


「この人さ、あたしの友だちなの」

「マジすか」

「しかもさぁ、あたしと一緒になってTさんの噂して『ないよねぇ〜』って言ってたんだよ」

「ん? どういうことですか」

「こいつは、自分もコーチと繋がってるのを隠してたの。そんであたしの前では何食わぬ顔でTさんの悪口言ってたんだよ」

「うわ……しかもそのスクショを、コーチ自身がMさんに送ってきた、っていうことですか」

「そう。もう誰も信じられんわ」


 Mさんは笑っていたが、私はドン引きだった。

 ここに出て来る登場人物は、その当時、私以外の全員が既婚者で、小学生の子どもを育てていた。

 外から見ればまことに《幸せで平凡な暮らし》をしているはずの人々が、なぜか、二股三股上等の不倫劇を繰り広げているのである。


 この後、Tさんの子どもは性格が激変した。

 それまではとても聞き分けの良い、学年の皆を引っ張っていくような存在だったのに、周りに当たり散らして物を壊すようになった。

 コーチは女だけでなく、お金にもだらしなかったようで、詐欺でお金を騙し取ろうとしたところ、現行犯で逮捕された。

 彼には十歳の娘がいたけれど、家族ともども引っ越していった。


 これらの出来事は全て実話だ。

 私とMさんの会話については、時系列がわかりやすいよう多少の脚色を加えたが、ほとんど当時の会話そのままである。


 ここで怖いのは、コーチと関係を持った母親たちのその後である。

 彼女たちはコーチが逮捕のち拘留されてから、顔を見にも行かなかった。

 もちろん家族の手前、会いに行けないことは明白ではある。

 しかし、あの浮かれたトーク画面と、現実の冷淡さの、この落差はどうか。

 そうして自分の不義を隠したまま、今も、普通の平凡な母親の顔で、地域に住まいしている。



 *



 こんな古句がある。


 みな人の心の底の奥の院

 探してみれば本尊は鬼


 奥の院とは、家の中でもっとも中央にある部屋だ。

 思い浮かべてみてほしい。

 貴方は今、立派な造りの日本家屋の前に立っている。

 このような立派な家に招かれて光栄だと、心密かに喜んでいるかもしれない。

 門扉から入ると、丁寧に剪定(せんてい)された松の木があり、落ち葉のひとつもない石畳から表玄関に入る。立派な(あが)(かまち)に案内され、拭き清められた板敷の廊下を渡る。

 そして案内された部屋は、障子が貼ったばかりのように真新しく、畳も青々と輝く和室である。

 そんな静謐(せいひつ)な場所で、貴方は正座をする。

 この家を訪問して最初に挨拶する場所だ。当然、もっとも尊ぶべきものがあるはずだと、貴方は辺りを見回す。

 先祖の遺影、もしくは位牌、または神棚か、仏壇か。

 しかし表れたのは、醜悪な人喰い鬼だった。

 貴方は突然のことに為すすべなく、鬼の餌食となる。

 自分が喰われる音を聞きながら、立派に見えていた家の(すがた)は、自分を誘い込むための擬態だったと知る。


 つまりはそういう歌である。

 外がどのように整って見えようとも、内を覗いてみると鬼が住んでいる。


 しかも恐ろしいことに、句の初めに「みな人の」とある。

 私も、貴方も、他の人も。

 この中に入らない人はいないのだ。

 人類共通、昔も今も変わらない姿が、「本尊は鬼」だと歌われている。


 本当に怖いのは、人間の本性である。

 人は皆、心に鬼を飼っている。





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