9◆マリウスの回想<2>
地下にある書庫は王族にしか入ることができない。地下への階段にいた門番は自分の顔を見てすぐに道を開けた。城を警備する者も少なく、きっと自分がここにやって来ていることを知るのは門番くらいのものだろう。広間ではきっとメリーナの機嫌を取るための宴が開かれている頃だ。
一体どうして、こんな状況にまで陥ったのだろう。
最初の一つ一つは小さな綻びだったと思う。アレスだってあんな中毒者のようではなかった。
一番最初に死んだのはアレスの婚約者であるセシリア・カーンだ。もう10年も前のことになる。学園でアレスとメリーナの仲が急速に深まったと聞いている。それに嫉妬したセシリアが聖女の暗殺を企てたとして処刑されたのだ。
罪の確定から処刑まであまりに早かった。証拠は揃っていたがまだ検証も不十分、相手は公爵家の娘なのだから処置を考えようと伝えたが、アレスの一存で事は終わった。国王である父上の言葉も碌に聞かなかったのは、今思えば、あの時すでに聖女に毒されていたのだと思う。
その後、アレスとメリーナが正式に婚約し、僕が立太子されることになったが、毒を盛られたのはその直前だった。生死の境を彷徨い、目が覚めるまでに一か月の時間を要した。その間つきっきりで看病したのがメリーナだった。看病することにはアレスが難色を示したが、王子の命に係わることなので渋々承諾したのだという。
目を覚ました後もメリーナは看病を続けていたが、メリーナがいるだけで体調がマシなのに気付いた。メリーナの力は解毒や圧倒的な治癒はできないようだけど、エネルギーを充填するような効果があるようだ。
「マリウス殿下…早く元気になってくださいね」
あの日メイドも出払わせた王子の自室で、メリーナの白く細い両手が僕の手をしっかり握った。その手のひらをメリーナは自分の頬に当てる。
「……メリーナ…」
「マリウス殿下…」
メリーナに真っすぐ見つめられ、僕の心は急速に冷えていった。何故ならこれが色仕掛け以外の何物でもないからだ。
この女はアレスの婚約者でありながら、現段階で王の地位に一番近い自分とアレスを天秤に掛けている。その日にメリーナはアレスの元に返し、僕は離宮で療養した。メリーナが見舞いに来ても一度も部屋に通すことはしなかった。
毒に倒れた王子を付きっきりで看病し、そこに愛が芽生えたというシナリオは陳腐であるが解りやすい。それによって王子二人が仲違いをする筋書きを誰かが書いてメリーナに実行させているのかと疑ったが、ついに10年後まで誰かが王位を狙う動きはなかった。
結局僕は子供を望めない体となり、アレスが王太子となった。目に余る行いが多く苦言を呈することが多かったが、父が存命の頃はまだアレスも聞く耳を持っていた。
「父上が病に倒れなければ…ここまでは」
門番のいる地下への入り口から階段を降り、長い道を抜けた先に書庫がある。通路に明かりは灯していないので手元のランプだけが頼りだ。
書庫は重い石の扉で固く閉ざされており、叔父に聞いた所によると、ハンマーなどで破壊を試みても物理的な衝撃ではひびも入らないそうだ。
ナイフで手のひらを少し切り、血を滲ませる。その手を石で出来た扉の中央に当てると、力が吸い取られるような感覚がした。魔力を帯びた扉が王家の血を吸っているのだろう。力を得た扉が重い施錠を解いた。
父が亡くなり、アレスが王になってから城は狂いだした。アレスだけがおかしいのならば周囲がどうにでもするのだが、あの聖女の力はその場にいるだけで干渉する。メリーナが悲し気な顔を少し見せると、その相手が悪のように見えるというのはアレスだけではなかったのだ。
重要な臣下の中にもアレス同様におかしなことを言いだす者も現れ、そして始まったのが粛清だ。
隠し扉へ向かう途中、一度足を止め長い長い息を吐く。
何もかもがおかしくなっていった。城が荒れた影響はもちろん国民の生活にも出る。各所で暴動が起き、それを制圧するために騎士団が出動する。その中の一人、アレスの同級生だったという勇気ある騎士が出動命令に異を唱えたという。
「自分は王に命を捧げておりますが、国民に剣を振るうのは誠に王のためになるとは思いません」
命に背かれアレスは怒り狂ったが、騎士は最後までそう言ったという。そんな彼ももうこの世にはいない。
「そんなことが…許されてたまるものか」
信頼のおける優秀な臣下たちが、たった一人の道楽の為に死んでゆく。
あまりにも無力な自分自身に吐き気がするが、それでも絶望だけはしてはいけない。何故なら自分は王になるべく育ったのだ。この状況に嘆き悲しむだけをして、諦めてはいけないのだ。
隠し扉を見つけるのにずいぶん時間が掛かったが、いなくなった王子を探しに来るものはいなかった。この城はもう機能を失っているのである。
隠し扉を見つけ、更に深く階段を下ると台座に古い書物が置かれていた。これが叔父の言っていた秘法を記した書物だろう。
古い黄ばんだ紙に記された言葉は王族のみに伝わる文字だ。その書物を隅々まで暗記し、部屋を出たのは翌日の日暮れだった。太陽が沈み、行き交う人の表情がはっきりとは見えない時間。
「魔術を使うのに丁度いい時間じゃないか…」
王家に伝わる秘法「時逆の法」。やり方はすっかり頭に入った。あとはこの秘法とやらが本物か眉唾かというだけだ。
どちらにせよ、僕にはもう時間がないのだ。