58◆邂逅
あんなに熱かった体の熱が感じられず、自分を呼ぶ護衛騎士たちの声がとても遠い。真っ暗闇の中を深く深く落ちてゆくようだ。
「なぜ、俺の直系の血を持たないのにこの術式と繋がるんだ?」
聞いたことのない声がするが姿が見えない。瞼を開こうと思っても開かないのだ。
「今お前は肉体を持たない。目で見ようと思っても駄目だ、心眼を開いて俺を見ろ」
心眼といきなり言われてもどうしたものか。セシリアは肉体はないらしいが気持ちで首を捻る。
「ああ、使い魔の術式をお前が書いたのか。あれは魔と自分の魂を混ぜて一つにし、両方に戻す術だ。発動は俺の血を引いていないと難しいんだが、別人が書いても上手くいくんだな。知らんかった」
声の主は何のことを言っているのだろうか。使い魔の秘法の術式は確かにフォレックスに掛けてみたが発動しなかった。「俺の血を引いていないと」ということは、この声の主は始祖の魔法使いなのだろうか。セシリアがそんなことを考えていると、聞いていたかのように相手は答える。
「俺は厳密には術者本人ではなく、術式に移行した術者の意識だ。俺の切り離した意識で魔を調伏するから使い魔を作るときに必要なんだ。魔に流れ込んだ俺の意識が魂を分け合ったことでお前にも流れ込んだ。ちなみにこの術、魔の魂と混ざった時点で死んだり発狂したりして失敗することあるの、俺ノートに書いたっけ?」
「書いてない!!」
セシリアは目をカッと見開いた…ような気持ちになると、突然視界が広がった。一面、白い世界。足元に広がる煙のような、もやのようなものも真っ白で、その後ろに広がる空も真っ白だ。そこにただ一人、黒い髪の青年がいた。
「見られたじゃないか、どうも初めまして」
「始祖の魔法使い…?」
セシリアにそう呼ばれた青年は一瞬キョトンとした顔をして、すぐにああと思い至る。
「遠い未来でそう呼ばれてるんだな。魔を使役する時に俺の名は絶対だ、覚えておけ。俺の名はアリアドネ。お前は調伏するべき魔の魂を持っている」
「女性の名のようね」
「母が女の子をご所望だったから女の名しか考えていなかったんだとよ」
始祖の魔法使いはそんなことをちょっとした笑い話みたいに話す。
「アンデッド・ドラゴンを倒さなければいけないの」
「アンデッド・ドラゴンの生成方法に関する全ては処分をしたはずだけど、また誰かが作り出したんだな」
「やはりあれは人工的に作られたものなのね」
エステバーンの仮説は正しかったということだ。きっと今までも同じ仮説に辿り着いた者はいただろうが、アンデッド・ドラゴン復活の可能性のある研究は見つかれば厳しく取り締まられていたので実現せずに済んでいたのだろう。
「そう。あれは俺の兄が作った…」
「ちょっとまって、兄!?じゃあ王家の元になる一族がアンデッド・ドラゴンを作ったってこと!?」
「この意識を切り離した時点じゃ俺は王なんてもんじゃないんだけど。でもまあ、そういうことかな。俺があんなに命がけでアンデッド・ドラゴンを倒したのは身内の尻ぬぐいだ」
とんでもない事を聞いた気がする。その事実を他の人たちは知って始祖の魔法使いを王にしたのだろうか?少なくとも歴史書にはそんな記載は一切ない。
「あれは辺り一面腐らせて、物理攻撃も効かない。人間が生身で掛かっていくと穢れに晒されてじきにタイムオーバーだ。短期決戦を余儀なくされる」
「どうしてそんなものを…」
「意図して作れるものじゃない。偶然が重なって出来上がったんだ。兄はそれを奇跡だと呼んだけどね」
そう言うと始祖の魔法使いは少し俯いた。どうやら家庭の事情が色々あったらしい。だけど今はそれを聞いている暇はない。
「あなたの記した使い魔を5体使った魔法、あれが決定打?」
「あくまで俺の時はな。穢れの風を止めるすべが無かったし、戦力は使い魔だけだったから。人間は連れて行くと死ぬ」
その言葉にセシリアの顔は歪む。今、マリウスはどうしているだろうか。だけどふと疑問が起こる。
「あなたも人間じゃなくて?」
「守護の力を高める魔法は開発していたし、魔と魂を分け合っているから普通の人とは強度が違う。俺が作った術を血縁限定にしたのはそういう意味もある。俺の直系なら薄くはなっても多少強度があるだろうから、術を使ってもまあ無事でいられると思う」
始祖の魔法使いの言葉からすると、王家に伝わる秘法はやはり規格外の魔法のようだ。規格外の化け物に対抗するべく半ば無茶を承知で作ったのだ。
「アンデッド・ドラゴンを倒すにはどうすればいいの?」
「わからんな」
「はい?」
「いや、あのな、状況も条件も違うだろ。こうすれば倒せるなんて断言はできない」
言われて確かにそうである。ついうっかり、アンデッド・ドラゴンには倒し方があるのだと思ってしまっていた。だが実際は明確な倒し方がわからないからこそ、無茶な威力の魔法を作り無理矢理破壊したのだ。
「セシリアよ」
「あら、わたくし名乗りましたかしら」
「俺はお前と溶け合った魔の魂の一部だ、わからんことなどないよ。確かに言えることは、過去を踏襲しても正解があるわけじゃないということだ。過去を参考に現状をよく観察し、自分の頭で考えろ。…だけど俺の子孫はいいな、こうして共に戦ってくれる人間がいるなんて。それがとても羨ましいよ」
始祖の魔法使いは家族以外の人間関係でも何か思うところがあるらしい。しかしやっぱりそんなの聞いている暇はないのでセシリアはあえて突っ込んだことは聞かないでおいた。
「それと…俺がわかるのは、お前がそれを身に着けていればアンデッド・ドラゴンの攻撃など屁でもない。穢れの対極にあるものだ」
今肉体は持たないが、「それ」と指を指された胸元にあるものはすぐにわかった。メリーナの貸してくれたネックレスだ。メリーナの力を何年も吸収し続けてすごいお守りになっているのかもしれない。
「なるほど、あなたの時よりも生かせそうな目があるということね」
「そうだな…まあ、お前の目が覚めればだけどな。ここから意識を元の場所に戻せないと、眠ったままか、意識というコントロールの外れたお前が目を覚ます。それを人は狂ったと言うだろうな」
始祖の魔法使いに言われた言葉にセシリアは肩をすくめて小さく笑う。
「起きればいいのでしょう?」
「簡単に言う。それができなかった弟子を何人も見てきた」
今セシリアの目の前で語る彼は術式に編み込まれた意識で、自分の子孫を見守っている存在などではない。自分の子孫が使い魔を作ろうとして成功したかまでは知る由もない。だが自分の弟子は皆失敗をした。現在技術として伝えられているのは魔木偶であるので、きっと使い魔の生成方法を簡易にする研究をして広く人々に伝えた子孫がいたのだろう。きっとそれまでに悲劇に見舞われた者はいたはずだ。
セシリアは不敵に笑い、始祖の魔法使いに美しく淑女の礼をしてみせた。そしてその瞬間、この真白な世界からセシリアの魂は飛び立った。それは一瞬の出来事だった。
「セシリア様!」
護衛騎士の腕の中でセシリアは瞼を開く。倒れた自分はどこにも運ばれておらず、そんな僅かな時間の出来事だったらしい。
「心配かけたわね」
そう言うとセシリアはケロリと立ち上がる。護衛騎士も兵士たちもセシリアのあまりの変化にポカンと見守っていた。
そしてセシリアは大きく息を吸うと、叫んだ。
「私を導いてちょうだい、フォレックスちゃん!」
フォレックスの位置はわかるようにしてある。相棒が居る場所が座標になり、転移することが可能だ。空間のひずみを作り座標に繋げる。それはどんな結界内であろうが関係なく、座標がある場所に繋がる。
そして魂を分け合った今、フォレックスと情報を同期することができる。そうして座標を示したフォレックスに導かれ、セシリアは現れたのだ。