56◆戦闘開始
マリウスがデリア領の私兵と討伐隊に合流した時、そこは散々な有様だった。
アンデッド・ドラゴンを結界で封じたと言っても、本当にアンデッド・ドラゴンを囲う程度の大きさしかなく、それを保つだけでも魔法術者の魔法力はどんどん消費されている。そのため戦闘要員のはずの魔法兵士も結界の保持に回すことになった。
その周囲、兵が滞在するエリアには浄化の結界は張ってあるものの、そんな状況なので腐食の進行は止めても回復までは至っていない。
アンデッド・ドラゴンを囲む結界の特徴は、光の壁で穢れを纏ったものは外側に出せないようにすることと、エネルギーの無効化である。これは外側からの攻撃も無効にするためこの状態では戦うことすらままならないのだ。戦うためには結界を解く必要がある。
今の大きさで甚大なコストが掛かっているのなら同じものを二重に掛けるのは現実的ではない。かと言ってその周囲に張っている結界ではアンデッド・ドラゴンの足止めはできないだろう。
少し様子を見てから対策を打ち立てたかったが、どうにも悠長をする時間はない。魔法術者たちが交代で結界を維持しているが、交代したところでこの未浄化の土地では術者の回復が追い付かない。だんだん魔法力の持ちが悪くなっており、交代のスパンが短くなっている。後続の部隊が来るとは言え、今いる魔法術者の力を枯渇させるわけにはいかない。
マリウスは今ある聖水で滞在エリアの浄化をすることを優先した。この場にいるだけで少しずつ体力が削られる状態をまずどうにかしなくてはならない。
アンデッド・ドラゴンに用いた結界の効率化について試算はできていた。魔法研究者の意見も聞いてからと思っていたが、そんなことを言ってはいられない。
術を軽量化して、できれば範囲も広げる。そうすれば動き方も少しは見えてくる。
術を書き直している間、一瞬の揺らぎも許されない。隙を突き破ってアンデッド・ドラゴンが出てきたらお終いだ。
マリウスは深呼吸をし、胸ポケットからキツネのぬいぐるみを取り出す。
「どうか、見守っていてくれ」
そう呟いて、またそっとしまう。
ここまで強力な光の壁を張れるのは、始祖の魔法使いが精霊と契約を交わしていたからだろうとマリウスは考える。エネルギーの源泉が精霊界に繋がっているからこれだけのパワーが出る。そして契約者の血を引く者も有効なので術を使うことができる。血が薄れると契約の範囲外になるのだろう。
マリウスは設計し直した結界魔法の詠唱を始める。今の結界の力を保ちながら書き換える作業は長時間に及ぶ。補強をしている魔法術者たちにも緊張が走る。
その間、兵士たちは滞在エリアの浄化作業を手分けして進めていた。後続隊がやってきて強化された聖水が届くと作業効率も上がった。ただ道中、荷馬車から下して人力で運び込むために時間が掛かるがそれは仕方ない。
そうしている間ずっとマリウスは術の詠唱をしている。結界補強から交代して休憩に入った魔法術者はその時の様子を語った。結界補強の間、術が書き換わっていくのと、その間結界から発する光の力が変わることなく出力が続いたのに驚愕していた。
「あれは…どういうことだ?あんな強力な回路をそのままの力を保ったまま書き換えるなんて…しかも書き換わったあと軽くなったんだ」
いまだマリウスが続けているということは、その作業を幾重にも重ねるつもりなのだろう。そして軽量化しきったら結界範囲を広げる。
これが王族の持つ力なのかとその場にいた者、特に魔法術者は感嘆した。
マリウスは討伐隊の隊長と魔法術者のリーダーと事前に打ち合わせをし、術の軽量化の後に可能であれば結界を広げることを伝えていた。範囲は今ある外側の結界の半分ほどが限界との見立てだ。
そうするとその範囲にいるとアンデッド・ドラゴンと同じ結界内にいることになるので、実行する場合は合図をするので範囲外まで下がる手はずだ。
マリウスも術を実施後速やかに結界の外に出る予定だが、その予定通りに行かなかった場合、マリウスの救助のために結界に入ることは禁じた。
「そんなことはできません!」
「いや、僕はアンデッド・ドラゴンにやられるつもりはない。ちょっと早いがアンデッド・ドラゴンと戦うことになるというだけだ。その場合結界内に他の者がいると僕の魔法に巻き込む可能性がある」
「そんな!我らも一緒に戦います!」
「勝機が見えたら号令を掛ける。しかし物理攻撃も効かず、魔法術者たちの魔法力は結界の維持に使わなければいけない今、戦力に換算できない。それよりも僕の戦った状況の記録を頼む。僕が死んだとしても、記録とその分析結果があれば打開策を考える者がいる」
マリウスはそれをセシリアに託したのだ。王はきっと使い物にはならない。王都に居て状況を見ていないアレスは有識者たちと手立てを考えるだろうが、それでは遅い。だからセシリアなのだ。
未来を切り開くヒントは全て渡すと決めた。なので時逆の秘法を使うタイミングが無く自分が死ねば、この状況は必ずセシリアに伝わるようにしておく。
「…さあ、アンデッド・ドラゴン。ご対面だな」
マリウスはそう言うと右手を空に向けてかざし、光を打ち上げる。これが合図だ。
「全員撤退!」
隊長の号令で全員が新たな結界の有効範囲まで下がる。マリウスは魔法力を地面から流し有効範囲に印を刻んでいく。ここまで軽量化したのなら同じだけの威力を保ちながら範囲を拡大でき、出力する魔法力は今までの半分程度で済む。
そして範囲拡張のための魔法力を出力すると、結界が稲妻のような音を上げながら広がった、その時だ。
瞬間、撤退をするはずだったマリウスが激しく吐血をし倒れこんだ。
「マリウス殿下!」
結界の外側で見守っていた隊長が、小さく見える影に異変が起きたのがわかり叫ぶ。
咳き込んだマリウスの口からは血が流れ続ける。魔法力を休みなく使い続け、体の方が持たなくなったのだ。
結界の範囲は広がり、今この結界内にはアンデッド・ドラゴンとマリウスが残された。
デリア公爵が傷を負ったのは、結界は自分が中心となり円を描きながら張る必要があるからだ。なので必ず自分は結界内にいることになる。きっとデリア公爵も魔法力の消費量が多すぎて動けなかったのだろう。
マリウスの咳は落ち着いて来たが血まみれの手が震えている。結界の外まで駆ける力は、もう無い。だけど時逆の秘法を使う気にはなれなかった。この状況は次に繋げたとは言えないか?ならば時間を戻す必要はない。次に託す。
マリウスは胸にしまったキツネのぬいぐるみの辺りを握りしめる。ぐっしょりと濡れているのは自分の血だろう。
「…あとは頼んだ」
結界の範囲が広がり、動けるようになったアンデッド・ドラゴンはマリウスを目掛けて襲い掛かる。物理では防げない、魔法でガードしなければ。しかし今マリウスにはその力はない。
大きな破壊音と共に砂埃が舞う。この場にいる全ての者がマリウスの名を叫んだ。デリア公爵に続き、偉大なる英雄が失われたと心を抉る。
結界の中央で大きな炎が上がる。それをアンデッド・ドラゴンの攻撃だと皆が思った。しかし炎が落ち着いて見えてきたのは、アンデッド・ドラゴンの体が燃え上がる光景だった。
マリウスは、生きている。だけど今目の前で起きたことが信じられないでいる。
「君は…フォレックスか?」
セシリアの相棒、フォレックスの戦いの姿。
それがどうして目の前に現れるのだ。
『マリウス殿下大丈夫ー?早く回復薬飲んでよね!』
大きな魔獣のようなフォレックスが振り向いて言った言葉は、いつもセシリアが喋らせているのとそっくりだった。
本日は二話更新です。今年中に終わらせるぅぅぅ!