55◆異変
アンデッド・ドラゴンが現れた村へ向かう道の途中から通行止めとなり、デリア領の兵士が見張りとして立っている。切り立った崖に阻まれた一本道なので迂回はできない。セシリアが一人で来ていたらここでストップを余儀なくされたようだ。だが王都の護衛騎士が一緒となるとバリケードは開かれた。
「セシリア様、この先はアンデッド・ドラゴンの影響により土地が腐食されています。途中から馬車では通れなくなるようです」
護衛騎士の一人が見張りの兵士と話した内容をセシリアに伝える。
腐食した土地は浄化魔法で回復が可能ではあるが、現在そのままになっている場所が大半だ。アンデッド・ドラゴンがいる辺りは討伐隊や魔法術者がいるため浄化の結界を張っているが、そこに辿り着くまでには未浄化の腐食した土地を歩く必要がある。置き石などをして歩く場所を確保しているが、馬は腐った土地を歩かせて病気になったら大損害なので、被害が軽度な場所までで留め置いているとのことだ。
「強化した聖水で馬にも守護を与える予定なので、それからでしたら馬車で出発できます」
「いつまで掛かるのって話ね。大丈夫よ、私物体浮遊の魔法使えるから」
笑顔で答えるセシリアに護衛騎士はため息をつく。今、この場所だってアンデッド・ドラゴンの影響で新緑のシーズンだというのに葉が枯れ落ちている。デリア領中心部とまるで様子が違うのだ。この先に行けばより状況は酷くなる。そんな場所に貴族の令嬢を連れて行くのはやはり躊躇うのだ。
「どうしても行きますか」
「あら、マリウス殿下に叱られる覚悟は出来ているんじゃなかったのかしら?」
「そんなのは構いません。あなたの身も必ず私たちが守ります。しかし、女性をこんな場所に連れて行きたくないというのは男なら思います」
女は男に守られるべき存在という概念の前に、肉体として男性の体の方が頑丈である。しかも相手は鍛え上げられた騎士なのだから、そう思うのは仕方がない。
セシリアは馬車から降り、アンデッド・ドラゴンの穢れを受けた森を見やる。遠くから腐臭が漂い、空は真っ黒な雲に覆われて、夜は明けたというのに光を通すことはない。
確かに「こんな場所」という表現になるだろう。
だけど、こんな場所でもセシリアの居た牢獄よりはずっと広く、断頭台より未来が見える。
「この先で戦う者たちに早く追加の聖水を持って行きましょう。馬が走れなければ戦う準備すらままならないわ」
セシリアは不安そうな表情一つ見せずに淑女の笑みを湛えている。
この少女の強さは一体どこから来るのだろうか、護衛騎士は不思議さと、何か神聖なものを見るような思いが胸に湧き上がる。
強さの源は別に崇高な気持ちからではなく開き直りなのだが、護衛騎士は知る由もない。
馬車で走り馬を留め置いている場所まで行く。ここまで来ると腐臭は一層酷くなる。そこでは後続の隊が持ってきた聖水を結界内へ運び入れる為、担げるように荷造りをしている所だった。
「聖水と回復薬の追加だ」
「そうか、有難い。この辺りまで結界を広げられれば馬で行き来出来る」
「まだ掛かりそうか?」
「アンデッド・ドラゴンに張った結界がとにかく術者の力を消耗させて他に手が回らないんだ。その周囲に張った浄化の結界は今ので精いっぱいの範囲だ。だけどこの強化された聖水があれば少しずつ範囲を広げられるだろう。それに今マリウス殿下がアンデッド・ドラゴンの周りの結界の効率化を試みている」
「なんですって!?」
兵士の説明に声を上げたのはセシリアである。
「発動している術の効果を保ちながら書き直していると言うの!?」
「お前は一体…!?」
いきなり馬車から現れた少女の姿に兵士は驚愕の声を上げ護衛騎士の顔を見る。
「マリウス殿下の命を受けているお方だ」
「この少女が?」
「そういうことだと飲み込んでくれ」
兵士のもっともな疑問に護衛騎士は目を逸らす。根負けして連れてきましたなど口が裂けても言えない。
(結界の魔法効率化の術式なんて書にはなかった…ということは、ここにやってくるまでに考え出したってこと?)
確かに書いた本人が『エネルギー効率が悪い、要調整』とメモを入れていたが、マリウスはそこに課題点と調整できる要素を見出し、この短期間に作り上げぶっつけ本番でやっているのだ。それならば使い魔を5体必要とする魔法もレシピを変えてぶちかますつもりかもしれない。倒せるかはともかく、王族はアンデッド・ドラゴンに立ち向かえるという所を見せなくてはいけないのだから。
マリウスは魔法実践の授業でも優秀な成績を修めていたが、派手に目立ったことをすることはなかった。もしかして学園で見せている力などほんの一部分ではないだろうか。
(そうよ…時逆の秘法を七回繰り返しているのよ)
セシリアも時逆の秘法の術式は見たが、戻す時間に対して乗算で魔法力が必要だった。始祖の魔法使いは短い時間戻すのを想定して設計した術だ。寿命を使うのは理を曲げることの代償の支払いを寿命の少しで済ませていると言っていい。それを何度も、幼い頃まで戻しているとなると、どれだけの魔法力を払っているのか。
セシリアは自分が魔法を学んで初めてマリウスの力を知る。彼の底知れぬ力に思わず身震いをした。
「何としても…マリウス殿下には無事でいていただかないといけないわね」
マリウスを失うということがどれだけの喪失か。王家の才能の集大成ではないか。
万が一アンデッド・ドラゴンに敗れ彼が死んだのなら、例え倒すヒントを残したとしても王とアレスにそれができるかは疑問である。
もし自分に聖女の力があれば役に立っただろうか。
ふと、セシリアはそんなことを思う。今までの人生を振り返っても人を羨んだことなど無かったので、初めて抱く気持ちだ。
メリーナのような力があれば、今この穢れを受けた地を浄化できるかもしれないのに。
自分が持たない物を求めるのは、なんと苦しいことか。
その思考の最中に思い浮かんだのは、いつかのメリーナの姿だ。アレスの陰で笑っていた彼女はずっと、こんな思いで生きていたのだろうか。
「…感傷だわ」
セシリアはわざと口に出して自分を戒める。持ち得ない自分が受けたかすり傷を可哀そうがっている暇はないのだ。今の自分にできることで対応をするために思考を巡らせる。
エステバーンのレポートを読み込み、そこから見える彼から選択しうることを想定し、仮説も立てた。仮説の検証は自分にしかできない。
「進みましょう」
護衛騎士にそう言うと、セシリアはこの先の道へ行くために踵を返す。
その時だった。
胸の辺りがカッと熱くなったかと思うと、鼓動が早鐘のように打つ。自分の体を支えきれなくなり倒れかけたのを護衛騎士が寸でのところで抱き留めた。
「セシリア様!」
苦しみ悶えるセシリアに只事じゃないと兵士も集まってくる。体が燃えるようで呼吸が整わない。自分に何が起きたかは解らないが、ここでは終われないと強く思った。
たとえ死んだとしても、必ずアンデッド・ドラゴンの元へ辿り着く。
必ず。