49◆真夜中の教会
デリア公爵の私室から出てきた王は憔悴し黙りこくっている。そんな姿に疑問を抱く者はいない。ここにいる全員がそんな気持ちだろうと、同情すらしている。
アンデッド・ドラゴンが現れてから休みらしい休みを取っていない王に休息をさせるようデリア公爵夫人へ頼み、マリウスはデリア邸を後にした。
すっかり暗くなってしまった道を教会へ向かう途中でマリウスは考える。エステバーンのアンデッド・ドラゴンを呼び出す魔法陣の研究レポートはデリア領へ向かう最中目を通した。書かれている仮説に興味深いものがある。アンデッド・ドラゴンは魔物ではなく人工物ではないかとの記載だ。
生物、それは魔物であっても自然界の中ではその摂理に基づき生まれている。しかし、触れたものを全て腐らせていくのであればいつか生態系は様変わりするだろう。
そんな生き物が循環する自然界で作用するのはどこだろうか。そして今日まで二度目の出現はない。破壊の意図を持って作成された人工物、または人工生物と考えた方が合理的ではないか。
そしてその仮説の元、エステバーンは魔法陣を作成した。ドラゴンを呼び出す魔法陣をベースに、生きたまま腐らせるよう設計し、そして腐食の進行の促進と、そのサイクルを維持する魔法の付与を与える。だがその状態だと動力はドラゴンであるので、ドラゴン自体の体力が消耗し早急に死に至る。体を動かすためにはコントロールが必要である。
マリウスの読んだ押収物には具体的な魔法陣の形式や必要な魔法の計算式が書かれていたが、コントロールに関するものは無かった。
大昔に現れたアンデッド・ドラゴンが仮説の通りかは知らないが、エステバーンが呼び出したのはこの方法で間違いない。と、いうことは、生成方法を確認し、有効手段を講じることができるということだ。
(有識者たちに検証してもらうしかない…本当は僕がやりたい所だが、そういうわけにもいかないしな)
手順を解体して一つずつ潰していくという工程は割と得意だし好きな作業ではあるが、持ち場というものがある。今マリウスに任されているのはアンデッド・ドラゴンの出没現場での対応だ。
デリア邸では王とアンデッド・ドラゴンについての対策会議の予定であったが、とてもじゃないけどそんなことができる状態ではなくなった。心から信頼を寄せてきた人間に裏切られた王は放心から未だ帰ってこない。王と共にいる側近に王都の様子とマリウス率いる討伐隊の動きを伝え、王がずっとあの状態であれば王都に戻し、アレスと交代させるよう指示をした。アレスにも同じ内容を伝えるべく使者を出す。王都にはカーン公爵もいるしその方がいいかもしれない。
教会に着いたのはもう真夜中になるという時間だ。教会の門はいつ人が訪ねてきてもいいように明かりが灯してある。その明かりの下で一人佇む者がいた。
「マリウス殿下」
「セシリア?なぜそんなところに!」
馬車から降りたマリウスがセシリアに駆け寄った。
「教会にいらっしゃることになっていたので、もう来るかなと思って」
「もう真夜中だ。いつになるかわからないんだから休んでいてくれ」
「中にいる方が忙しいから、サボっているようなものですわ」
セシリアはマリウスに教会での出来事をざっと伝える。第一報を確実にマリウスに伝えるために待機していたのだ。今のセシリアは役割を振られていないが、全体を見て自分ができそうな部分を担うべく動いている。
マリウスとセシリアがそうしているうちに、外の様子に気が付いた司祭とシスターが出迎えにやってきた。
「マリウス殿下、よくおいでくださいました」
司祭の言葉にマリウスは黙って頷く。
「収容されたけが人の状況を見る。それと、聖女はどうしている?」
「ご覧いただく方が明らかです。こちらへ」
司祭に案内されマリウスはけが人が収容されている部屋へ向かった。その後ろにセシリアとマリウスの護衛騎士が続く。
薄暗い真夜中の廊下を進み、大きな重い扉がゆっくりと開かれた。
「聖水追加来ました!」
「二回目のお清めが必要な人は別室に移します!」
「こちらの患者さん、傷口の腐食がなくなったから傷薬で対応可能です!」
「回復薬はー!重傷の方を優先にしていまーす!軽傷の方は傷薬を使ってくださーい!」
「ご飯食べれる人いる?もうじきできるよ!」
デリア公爵の状態を見ていたので悲惨な状況を覚悟していたマリウスだったが、活気のある部屋の中に素直に驚いた。医者やシスターだけではなく、たくさんの手伝いと思われる者たちが忙しく立ち働いている。
「腐食に対して為す術もなく、治療してもイタチごっこだったのですが、聖女が強化した聖水で腐食を止めることができたのです。傷の状態が悪い者には先ほど強化した回復薬の投与が始まりました」
「メリーナの力でそこまで強化したのか?すごい…想像以上だよ」
手伝っているのはアンデッド・ドラゴンに襲われたものの軽傷で、瘴気さえ払ってしまえば動ける者たちだそうだ。重傷者に対してもようやくまともな治療を開始できるようになった。
「メリーナはずっと頑張ってるわ、褒めてあげて」
セシリアはそう言うと、メリーナが詰めている礼拝堂へマリウスを案内する。そこもやはり真夜中だというのにすごい熱気だ。
「メリーナ様、もう一箱開けました!」
「はひ…次はどっちぃ…?聖水?回復薬ぅ?掛ける魔法間違えそぉ…」
「そろそろ休憩にします?」
「今ご飯作ってるんでしょぉ?それまではやるわよ。ご飯食べたら寝ちゃうもん絶対…」
メリーナと手伝いのシスターたちは集められた聖水と回復薬の強化をひたすらに続けていた。最初は王都よりはるばるやってきた聖女に失礼がないようにとしていたシスターたちだったが、メリーナは元平民で教会ではよく遊んでいたこと、あまり畏まられるとやりづらいことなどを話した。そしてシスターたちも実際に接してみるとメリーナは下町の女の子と変わりないと思った。今はお互い何の遠慮もない様子だ。
「メリーナ、ご苦労様」
「マッ、マリウス殿下!」
メリーナの恰好は来た時のままで身を整えることもなく、ずっと魔法を使っていたのでヘロヘロだ。必死になってやっていたのは振り乱した髪でよく解る。その姿をマリウスは、今まで見たメリーナの中で一番美しいと感じた。
「ゆっくりやれとは言えないが、倒れない程度には休んでくれ」
「はい!炊き出しが出来たら休ませてもらう予定です!」
様子を見終わったマリウスは軽く話すとその場を離れた。セシリアは強化した聖水と回復薬の効果を纏めたレポートをマリウスに渡す。
「強化前と後の効果の差と、プラス効果については一枚目。在庫についてと今後の補充については二枚目以降に書いてあるわ。今後も検証を続けて教会から定期報告をするけど、どなたにご報告をしたらいいかしら」
マリウスはその資料に目を通し、その場で2、3質問をする。セシリアはそれに簡潔に答えると、マリウスは少しの間思案した。
「助かるよ、これですぐ叔父上に薬を使える。まず僕から父上に報告しよう。王の側近がデリア邸に詰めているからそこで定期報告を受けてもらうよう依頼する」
未検証の薬をデリア公爵に使うことはできないが、これだけの効果が確認できたのなら大丈夫だ。マリウスは司祭に聖水と回復薬をデリア邸へ持っていくよう手配を命じた。
「僕の直筆の手紙を添えるから王に直接渡してくれ。そして、荷が聖水と回復薬であることは決して口にしないように。…デリア公爵の容態を見てきたからね、他の者に期待をさせて…間に合わないということもある」
「はい、今すぐに。デリア公爵…どうか間に合ってください…」
そう言って司祭は祈りの印を切った。司祭が手配をする間に一筆書く必要がある。マリウスは事務室の一角を借りて国王に向かって手紙を書いた。
マリウスはデリア公爵の罪を詳らかにし、生きて償わせることを望んでいる。前回までの人生分までひっくるめて、やりたいことをやり、死んで逃げおおせるなど許しはしない。
聖水と回復薬を積んだ荷馬車が用意出来て、手紙とともに司祭が自らデリア邸へ向かうというので、マリウスは封をした手紙を司祭に渡した。デリア公爵を助けたいと司祭は急いでデリア邸へ向かう。
真実を知らない者にとってデリア公爵は、アンデッド・ドラゴンに立ち向かった英雄なのだ。