39◆いつか来た地下室へ
一旦寮へ着替えに戻ったセシリアは戦闘演習用の服でやってきた。いつもは長く流した美しい髪も後ろ頭に括っている。
「その恰好は何なの」
「何があるかわかりませんので、一番動きやすい服装でやってきました。これなら一緒にいても城でなら私と気づかれないかもしれませんね」
カーン公爵家の令嬢が演習用とは言え戦闘用の服を着ているとは誰も思わないだろう。
「別に、城では何を突破することもないよ。ただ集めた資料の確認をして対策を立てるだけだ。父上はすでに叔父上の元に向かっていて、今城はアレスが責任者だ」
本は地下からは持ち出し禁止となっているが、王子である自分が地下で確認するのなら問題ない。セシリアを同行した件を咎められても、アレスならまあ、どうにかなりそうだとマリウスは小さく頷く。
城に戻ったマリウスに門番や警備の者が最敬礼をするが、一緒に連れた少女が気になるという視線を隠さない。その視線を無視して二人は城の深部へ向かう。
地下へと向かう道で警護に当たるのは騎士団長と魔法省の官僚だ。現在は王の血で扉は開かれ、有識者たちがそこで調査に当たっている。部屋自体が魔法を帯びているようなものなので魔法省の者も出勤というわけだ。
「マリウス殿下、そちらはどなたですか」
「カーン公爵家より来てくれた協力者だ。炎魔法の心得がある。これがその証拠だ」
騎士団長がマリウスに問うと、セシリアに腕を見せるように促した。
セシリアは今回わざわざカーン公爵家の家紋が施されている豪奢な腕輪を付けてきた。カーン公爵家の血筋の者しか持つことが許されない、貴族には超有名な腕輪である。模倣品を作ろうにも素材が豪華すぎてできないのだ。
「その腕輪は…!カーン公爵からの直々の用命でやってきたということですか」
騎士団長は戦闘服を着ている少女がセシリアだとは思わなかったらしい。マリウスとセシリアは一瞬目を合わせ小さく頷く。
「その通りだ。カーン公爵は今回の件を王より任された中心人物。先に僕に話を付けてお前達への伝達が後回しになることもあるだろう」
「心得ました」
そう言ってまんまと地下へ続く廊下へ足を踏み入れると、セシリアはキツネの相棒と踊りだしたい気分だった。なんだこれ、楽しすぎる。
「……この状況を楽しめるとは、さすがの胆力だよ」
「あら、わたくし楽しんでなんかおりませんわよ?」
本当に踊りだしたわけではないのにとんだ濡れ衣を着せられたものだ。
「空気が歌ってるんだよ」
「…あらぁ」
自分を取り巻く空気のことまでは、ちょっと自分でもどうにもできない。
その昔、マリウスがこの道を来た時は重い体を引きずりながらやってきた。誰一人として傍にはおらず、持ってきたランプの灯りだけを頼りに、寂しい廊下を一人歩いた。
だが今、この廊下には煌々と光を携える魔石が置かれ、狭いながらも簡易作業所が作られており、有識者たちはそこでああでもない、こうでもないと頭を悩ませていた。
秘法が記された書の他にも様々な文献が部屋にあり、それにはアンデッド・ドラゴンについて纏めたものや、強力な魔法のことが書かれたものもある。
隠し扉はもはや隠されておらず、例の秘法の本はさすがに部屋に置いたままとなってはいるが、その他の本は全て廊下の作業台の上に積まれていた。一応全て持ち出し禁止にしているのだが、地下通路の作業場までは部屋の中という扱いにしたらしい。確かに作業効率を考えればそうなるだろう。
繁忙期…
マリウスの頭にそんな単語がよぎった。なんか国の一大事なんだけど、雰囲気としては総決算時とそう変わらない。廊下に積んである食料や飲料がそんな空気を出しているのだろうか。
「…差し入れでも持ってきた方がよかったかしら…」
思わずセシリアからもそんな言葉が出た。マリウスの突然の来訪に気づいた護衛が仮眠を取っていた者を急いで起こすのを「いいから」と抑止する。事の発覚からこんなところに詰めているのだ、疲労もする。
例の本が秘密の部屋に置いたままなのはルールというよりも、王族にしか読めないからだ。王が言うにはアンデッド・ドラゴンを一瞬で消し去るような秘法は無いらしく、どれをどのように使ってアンデッド・ドラゴンを仕留めるかは有識者の案と現場報告を待ってから対策を打つとのことだ。
そんなわけで、今部屋の中にいるのはマリウスとセシリアだけである。
久々に見る台座に置かれた本をマリウスは手に取った。
「確かにまんま『アンデッド・ドラゴンを消す魔法』みたいなのは無かったな」
「中身を覚えているんですか?」
「細部は自信がないが、概ねは。時逆の法はしっかり覚えてるけどね」
秘法を記した本は分厚いわけでもないが、薄くもない。これを一夜漬けで覚えて尚今覚えているとは、マリウスの頭の中はどうなっているのかとセシリアは思う。
「ああ、これだ叔父上が使った結界魔法」
秘法に記されている結界魔法は確かにアンデッド・ドラゴンの動きを封じるために使われたものだったようだ。
「なるほど、今の結界魔法から安全装置を全部取っ払ったような感じだな。パワーに特化してるからこれで捕らえられない魔物はいないだろうね」
マリウスが読み解く本をセシリアも覗き見る。と、言っても王族にしか伝えられてない文字で書いてあるんだから、読めるはずもないのだけど。
「…?」
セシリアはじっと押し黙る。なぜなら状況が理解できないからだ。
どうして私がこの本を読めるのかしら?